第41話 溝は埋まらないまま

「またこれかよ畜生……!」


 逃げ始めてから過ぎた時は体感で小一時間。しかし、実際はほんの数十分。


 既視感に頭を悩ませる余裕は無い。そんなことより、今は一刻も早くこの場から逃げなければ。──いったい、どこに?


 距離を保たれたまま追われる状況が続けば、結果として街まで引き付けることになるのは自明の理。今から方向転換したところで、被害を被るのが他の集落に替わるだけ。


 ならば、するべきは決まっているはずだ。国を、人を守るのが魔女の使命だと言うのなら。


「そうだよ。そうだよな……」


 ジュードは逃げるのをやめて、猛進してくるサバクオオミミズを待ち構える。


 ──恐い。怖い。コワイ。


 しかし、逃げてばかりではいつまで経っても成長なんてできやしない。胸を張れるようになるためには、向き合わねば。胸の内にある恐怖とも。


「第二階位・【炎手刀エンシュトウ】」


 細く息を吐き、想像する。五日前、サバクオオミミズを切り刻んだ深紅の刃を。


 するとジュードの右手の甲に魔法陣が浮かび上がり、朱色が漏れ出した。それは掌を包み込み、鋭利な形状を持つ。


 今のジュードが右手に纏わせているのは吸血鬼の血ではなく炎神の炎。


 遍く世界に文明の火を灯したとされるフレイボルダ。かの神を信仰するボアラ教は、故人が神の元へ還れるよう遺体を火葬するという。


「お前と過去のアタシ、まとめて葬り去ってやらぁ!」


「シャァァァァァッ!」


 言うが早いか、ジュードはサバクオオミミズの接地面に向かって急降下。その速さはまさに爆速。裏返りそうになる唇をきゅっと結び、恐怖に立ち向かう。


 そんなジュードの勢いを削がんと口から吐かれる唾液も、正面をけさえすれば少しかする程度。速度を保ちつつひねりを加えるという無茶をすることで最小限すら回避できる。


 そうして全ての飛沫を掻い潜り、皮膚のきめ細やかさすら分かる距離まで近付いた。今なら簡単に手が届く。


 揺るぎない確信と共に、ジュードは炎を纏った右手を横薙ぎに払う。


 それは決別の一撃。【炎手刀エンシュトウ】が確かにサバクオオミミズの胴を捉え、両断する。


 どんなもんだ、と達成感に口角を上げて着地するのとほぼ同時、斬られたサバクオオミミズの半身が落下して地面に衝撃をもたらした。巻き上げられて目に入った砂埃さえ、今は勝利の証。


 とはいえ痛いことに変わりはない。ジュードは【炎手刀エンシュトウ】を解き、手首で乱暴に目を擦る。


「ったく。格好つかねえなぁ……」


 目のゴミを取ったことで視界がひらけた。


 当然のことながら、サバクオオミミズの亡骸が目に入る。激しく燃え盛る炎の中で、グネグネとのたうち回る上半分が。


 ジュードは「ひっ」と短い悲鳴を上げると、その場に尻餅を着いて後退あとずさった。


「なっ、なんで動いてやがるっ……!?」


 気色が悪い。それなのにこの異様な光景から目を離せない。上半分とは言ったが、それでも人の身長より遥かに長いのだ。


 そんな生物が即死の致命傷──のはずだ──を負った上で身をくねらせている。これ程まで理解に苦しむ現象を目の当たりにするのは初めてだった。


 ──ああ、これは夢だろうか。悪夢だろうか。


 度を越した嫌悪感から理解することをを諦め、現実逃避を始めるジュード。しかし、それを何者かの声が無理やり正気に戻す。


「ミミズは両断されても一方は生命活動を維持し続ける。これくらいは常識の範疇だぞ」


「あ……?」


 まるで人を見下すような物言い。抑揚が付きながらも感情を排した声色。聞き覚えのある声の正体を答え合わせするため、ジュードは眉をひそめつつ振り返る。


 背後に立っていたのは冷徹な眼差しでジュードを見下す黒いローブの男。マァナム・ウィスクルだ。


「…………」


 ジュードはその人物を認めても視線を元に戻して俯いた。何せ、ついさっき感情任せに殴った相手。気不味いったらない。


 ──いや、違う。違うだろ。


 ──彼には謝ると決めたはずだ。それなのに無視するなんておかしいではないか。


 意を決してジュードは立ち上がり、ウィスクルに向き合う。


「なあ、ウィ──」


「おい。これをやったのは貴様だな」


「…………ああ。そうだよ」


 ジュードの声を遮るように投げかけられた問いに勢いを削がれてしまった。


 ウィスクルはジュードの気心も知れずに一人「ふむ……」と顎に手を当てて考える素振りを見せる。彼の思考を中断させてはいけないような気がして、ジュードはしばらくの間待つことにした。


 突如として流れ始めた奇妙な空白の時間はサバクオオミミズが完全に沈黙しても続き、不意に終わりを告げる。


「貴様、俺の護衛を務める気はないか」


 まるで唐突な思い付きのような提案に、ジュードは耳を疑った。


「……護衛? どうして急にそんな話になるんだよ」


「分からんのか、頭の鈍い奴め」


「鈍っ!? なんだとぉ!」


「いちいち反応するな。煩わしい」


 ぴしゃりと言い放つウィスクルに怯み、ジュードは理不尽に思いながらも矛を収める。


「先程も言ったと思うが、俺は魔生物学者だ。その道の探究者が生態調査中に食い殺されたとあっては、後世の笑いぐさとなろう」


 そう言って、ウィスクルは燃えかすと化したサバクオオミミズの亡骸を指差した。


「……貴様が現れるよりも前に一度、俺は勅命により騎士団の護衛付きで、『これ』の調査に乗り出したことがある」


 彼の口から語られたのはジュードには知る由もないウィスクルの過去。


 その話によると、護衛を務めたのは選りすぐりの手練てだれ達で構成された精鋭部隊だったと言う。それにも関わらず、サバクオオミミズに襲われた際はウィスクルを逃がすだけで精一杯。生還者は彼のみだったらしい。


 今の騎士団が組手で全員ダフニスに敗れてしまうくらい質が低いのは、その件も少なからず関与しているのかもしれない。


「……ってかコイツ、魔生物なのか……」


 何より、サバクオオミミズが魔生物という分類に位置付けられているという事実は驚きを以てジュードに迎えられた。


 ウィスクルとの諍いも、元を辿れば魔生物に対する知識の無さが原因だ。或いはフレイボルダからこの化け物について詳しい話を聞いていれば、それを避けることもできたのではないか。


 そんな自責の念に絶えないジュードに構うことなく、ウィスクルが話を続ける。


「俺は魔生物と相対しても決して死なぬ者を待ち続けていた。……癪ではあるが、貴様の実力であれば申し分無い」


「どうして、そんなこと……」


 ウィスクルの出処でどころ不明な期待がジュードの肩に重くのしかかる。


 彼にとってジュードは度し難い存在のはずだ。それなのに、何故ここまで正面から向き合ってこれるのか。


 普通なら自分を殴った相手と二度も会う気は起きないもの。ジュード自身、その認識が間違いだとは思えない。


 そんな心中を見透かしたかのように、ウィスクルは肩をすくめる。


「貴様に殴られただけで終わっていれば、俺も再度会おうなどとは思わなかったさ」


「は……? そりゃあどういう……」


「簡単だ。貴様の炎と身体捌きを目の当たりにして『これは使える』と思った。俺は使える物は何であろうと使う主義でな。──それが例え、存在を容認し難いものであっても」


「────ッ!」


 最後の一言、ウィスクルの眼が確固たる敵意を帯びる。その視線を受け、ジュードは全てを察した。


 彼はあの一件を決して許していない。むしろ心の底から憤慨し、ジュードを嫌悪している。謝罪を重ねたところで、意味は無いのだ、と。


 それでも認めるべき部分は認めるのがマァナム・ウィスクルという人間の在り方。決して簡単に真似できるものではない。


 己の理性と感情を完璧に把握し、制御し、相互不干渉を成立させることで初めて彼のような人間が完成するのだ。


 故に、今の彼は『マァナム・ウィスクル』である以前に『魔生物学者』。ジュードとの間にあるわだかまりとは無関係の所にいる。


「……そこまで取り付く島もねぇと、謝る気が失せちまうぜ」


「俺にとってはどうでもいい事だ。勝手に罪悪感を抱いたまま、俺の護衛を引き受けろ」


「…………」


 逡巡。その後、


「ああ、分かったよ。アタシに拒否権はねぇからな。──ただし」


「……ただし、何だ」


「アタシの実力以外の部分も、そのうち認めさせてやる。中身を入れ替えたって見るは変わらねぇだろ?」


「ふん、どうだかな」


 啖呵を切ったジュードの考えを、ウィスクルは嘲笑うかのように鼻を鳴らすのだった。

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