第42話 仕合

 ウィスクルとの対話の末、サバクオオミミズの生態調査を手伝うことになったジュード。二人はザーバラに戻り、約束を交わす。


「いいか、明日の朝だ。忘れるなよ」


「ああ、分か──ってオイ」


 別れの挨拶すら告げずに背を向けて歩き始めたウィスクルを半眼で睨む。その姿が雑多に紛れて見えなくなると、ジュードは自身の住まいへ急ぎ足で向かった。彼が兵士に伝書鳩の役を強要いらいしたと聞いてのことだ。


 城から徒歩十分圏内の場所にある何の変哲もない平屋。ジュードはそこでフレイボルダと暮らしている。


 ジュードが住んでいることはザーバラの民にとって周知の事実だが、同居人の存在を知る者はたったの二人。


 国王であるアジィルと扉修理店の店主。そのいずれにもフレイボルダの名は伏せ、神界から遣わされたジュードの教育係という苦し紛れの説明を信じ込ませている。


 一応、設定自体は本人にも織り込み済みではあるものの、やや心配が残るというのがジュードの本音。フレイボルダがパピルスを持ってくる兵士に余計なことを口走らないか不安なのだ。


 もしどこかでボロが出て、民らに本当のことを知られでもしたら大変だ。最悪、信仰心の喪失に繋がってしまうかもしれない。それを避けるためにもジュードは急ぐ必要があった。


「……あいつか?」


 数十歩先、革筒を持った鉄鎧の兵士が周囲を見回しながら歩いている姿を発見する。


「おーい、アタシはここだー!」


 大きく手を振って兵士に自分の存在を示す。すると、それに気付いた兵士がジュードの元に駆け寄ってきた。


「魔女様! 先程ぶりです!」


「先程……ああ、あんたか。いや、わりぃことしちまって……」


「いえ、そんなっ! 私は一切気にしておりませんので!」


 そうかぶりを振った男の正体は、ウィスクルを殴った時に振り払ってしまった新兵だった。


 とんでもないとばかりに目を見開く彼を見て、ジュードは余計申し訳なさに駆られてしまう。しかし、飲み込むしかない。これも罰なのだと。


「では、こちらが約束の物になります!」


「手数かけちまったな。あんがとよ」


 差し出された革筒をジュードが受け取ると、新兵は気恥しそうな笑顔で敬礼をして城に戻って行った。その背を見送ったジュードも革筒をフレイボルダに渡さんと帰宅する。


 しかし、家の中はもぬけの殻。どこを捜してもフレイボルダの姿はない。その代わり、居間のちゃぶ台に一枚の書き留めが。


 ジュードはそれを手に取り、さっと目を通す。フレイボルダが書いたにしては簡潔な内容にジュードは目を丸くした。


『神界に一旦戻ることになった。いつまた人間界に来れるかは分からん。んじゃ、そういうことで』


「……いや、『そういうことで』じゃねえよ」


 以前にも、フレイボルダが他の神々と情報を共有するために神界へ出向くことはあった。しかし、いつもその日のうちに人間界に戻って来るため、このようなことは初めてである。


 きっと何らかの進展があったのだろう。そう推測するに留めてジュードはそれ以上考えないことにした。


 雑念は敵。そうフレイボルダから教わったことがある。戦場で考えるのは身体の動かし方と相手の動き方だけ。それ以外に思考を向けるのは致命的な行為。


 魔女の一角として、拳を鈍らせるようなことがあってはならないのだ。


「よし、そうと決まれば鍛錬だな!」


 ジュードはフレイボルダの手紙をちゃぶ台に戻し、嬉々として城の離れにある騎士団の訓練場に足を運んだ。


 まだ夕飯には早い時刻。ダフニスあたりがいるかもしれない。あわよくば組手の相手になってもらおうという期待を胸に錆び付いたドアノブを回す。


「でやぁぁぁ!」


「はぁぁぁ!」


「せいやぁぁぁッ!」


 数秒前まで密室だった空間から、男共のむさ苦しい大声と汗の匂いが一気に垂れ込めてくる。


 兵の全てが剣や槍を振るうことに全神経を注いでおり、ジュードの入室を気に留める者は一人としていない。


 ──いや、違う。ほとんどの兵士はジュードの存在に気付いておきながら、あえて無視しているのだ。おそらくは組手の相手に選ばれるのを避けるために。


 そのような心持ちではいつまで経っても弱いまま。根性を叩き直すために無理やりにでも稽古をつけるしかないだろう。


 そう思い立ち、ジュードは誰か適当な兵士に声を掛けようと訓練場を見回す。


「おっ、あいつら……」


 ジュードの目に留まったのは、奥の方で木剣を打ち合う黒衣の二人。


 隙のない連撃を繰り出す青年と、それら全てを最低限の動きで防ぎながら反撃の隙を窺う年老いた男。前者はダフニス、後者は確かアカシオという名だったか。


 眉をひそめながら記憶を引っ張り出すと、ジュードは二人の仕合いが終わってから声をかけることにした。向上心が人並み程度の人間より、彼ら二人の内どちらかの相手をする方がジュードにとってはよっぽど建設的だ。


 決着が着くまで、備え付けのベンチに腰掛けて高みの見物である。


「くっ……」


 ただ素早く攻めるのみでは守りを崩せないと悟ったか、ダフニスは一度アカシオから距離を取る。しかし、アカシオは追い打ちをかけるどころか空いた距離を詰めようともしない。


「どうした、もう降りるのか」


「いえ、まだですとも!」


 ダフニスが手をこまねくアカシオにそう答えて再度向かっていく。姿勢を低くし、不規則に左右を行き来しながら。


 本人はアカシオに『左右のどちらに攻めてくるか』という二択を与え、撹乱しているつもりなのだろう。


 だが、いかんせん目が正直すぎた。距離を取った時点でダフニスの視線はずっと右を向いている。これでは意図がバレバレだ。


 ジュードが思っていた通りダフニスは右に回り込む。すると、両の手で木剣を上に振りかざした。守りは捨てたというわけか。


「青いな」


 がら空きになったダフニスの左脇腹へと、うまく歩調を合わせてきたアカシオの突きが吸い込まれ、勝負が決まる。──かのように思えた。


 しかし、ジュードが実際に目にした結果はその予想を覆すものとなる。想像だにしなかったダフニスの行動によって。


「何っ……!?」


 軍配が上がったかと思われたアカシオ。そんな彼が大きく目を見開いた理由は言わずもがな、先の一撃がダフニスの胴に届かなかったためだ。


 その切先を受け止めたのは、身体の均衡を崩さない程度に上げられた左脚のふくらはぎ。模擬戦だからこそできる動きであって、これを実戦に取り入れれば負傷は免れ得ないだろう。


「これ、でっ!」


「くっ──!」


 次の瞬間、ダフニスは右足の力のみでアカシオの背後に跳んで回る。アカシオが急いで身を翻すも、遅い。


 彼が振り返ったその時には、既に木剣の刀身がアカシオの首筋にあてがわれていた。


「はぁ、はぁ、はっ……取っ、た?」


 ダフニスは肩を上下させながら、まるで信じられないとばかりに呟いた。彼の信疑に関わらず、見たままが仕合の結果である。


「……負けを、認めよう」


「はっ──ひひ、ひひひひひっ……」


 深く頷くアカシオの言葉を聞いたダフニスが、変な笑い声をらして膝から崩れ落ちる。余程嬉しかったのか、それとも攻撃を受けた左脚の痛みが遅れてやってきたのか。


 おそらくその両方だろうなと苦笑し、腰を上げるジュード。そうして吸血鬼二人組の元へ向かうと、先にアカシオがその存在に気付いたらしい。彼はダフニスを立たせ、丁寧な会釈でジュードを迎えた。


「……ご機嫌いかがか、〈炎天の魔女〉殿」


「良いもん見させてもらったからな、すこぶるいいぜ。……それと一応言っとくけど、あまりかしこまらなくていいからな」


「そういうわけにもいくまい。デザーテックの方々には、我々を受け入れてくださった恩がある。貴公とて、その一人だ」


「……そうかい」


 引き下がらないアカシオにジュードは肩をすくめる。これはかなりの堅物だ。ウィスクルとは異なる意味で話が通じない。


 なぜ自分と出会う長髪の男は気難しい者ばかりなのか。ジュードは、ふと自身の脳裏を掠めた疑問を追い返す。


 ここに来た目的は仕合うためであり、他人の性格にケチをつけるためではないのだから。


「──ふぅ。それで? どうせジュードの事だから、俺かアカシオ殿のどっちかと仕合うつもりなんだろ?」


「ん、そうだな……じゃあアカシオ殿、頼めるか?」


 ようやく引き笑いが落ち着いたのか立ち上がったダフニスに促され、ジュードは選択した。


 ダフニスとの仕合でほとんど攻撃を仕掛けなかった彼の実力を知るには丁度いいと思ったからである。しかし、指名された本人はやや不服そうだ。


「……わざわざ敗れた方を選ぶとは、余程性格が悪いと見える」


「別に悪意なんてねーよ。……それよか闘志を抑えてくれ、怖ぇからよ」


「いや失敬。私としたことが憤りを隠せなかったようだ」


 その顔に微笑を浮かべ、冗談っぽく言うアカシオ。その全身から漲る殺気じみたものにジュードは寒気を覚えた。


 少しでも気を抜いてしまえば合図無しで合が始まってしまいそうだ。冗談抜きでそう思わせる物騒な空気が今この時、この場を支配している。


「な、なんだなんだ?」


「魔女殿とアカシオ殿とがやり合うらしいぞ……」


「お前ら、どっちに幾ら賭ける?」


 つい先程まで我関せずと各々の訓練に励んでいた兵士らもその圧に気付いてか、手を止めて野次馬に成り下がった。三人目の素行不良者はあとで報告しておこう、とジュードは心に留め置く。


「よし、じゃあ始めようぜ。──あ、血ぃ操る魔術は禁止な」


「……心得ている。そちらこそ、魔法とやらは使わないでいただきたい」


 二人が訓練場の中心に移動すると、兵士らはそれを追うように囲んで観戦の態勢に移った。


 どうせならこの広い空間を最大限活用して体を動かしたいと思っていたジュードだが、見世物になってはそれも叶わない。なるべく派手な立ち回りはけるよう努めなければ。


 ジュードは細く息を吐き、両の拳を胸の前に持っていく。安易だが、それ故に汎用性の高い構え。


 対するアカシオは木剣の切っ先をジュードに真っ直ぐ向けて、左半身を後ろに引いた。突きに特化した体勢だ。


 既にこの時点で有利不利が決定したと言ってもいい。


 近接格闘型のジュードと間合いに余裕を持てるアカシオ。どちらが優勢か、最早言うまでもないだろう。


 先手を取られてしまえば勝機は失せてしまう。この仕合、ジュードに求められるのは如何に素早く攻めるかだ。それ故に、ジュードは──、


「いくぜぇぇぇぇぇ!」


 ──無謀にも、真正面からアカシオの元へ駆け寄っていった。

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