第26話 片割れとして-雷鳴の場合

 時刻は昼。隣国で魔女による大量虐殺が起きていることなど知るよしもなく、ネルとイスカの二人組は露店巡りの最中だ。


 辺りの人々は値切り交渉や商品を吟味したりして思い思いに買い物を楽しんでいる。


 いつ魔族が攻めてくるとも知れない中、実に賑やかな光景が繰り広げられていた。


 嫌なことからはなるべく目を背けたいという心理が働いているのだろう。


「ま、こういうのも必要っしょ」


 一時の平穏を享受する人間達を遠目に、イスカは肩をすくめながら呟いた。


 現実逃避する人間たちに憂いを抱いたりはしない。心のうちにあるのは「可哀想に」という俯瞰的な同情のみだった。


 思いの外、自分は冷めているのかもしれない。そう考えるイスカの視界の端から、買い物を満喫中のネルがひょっこりと顔を出す。


「ねえ見てイスカ! 風神像!」


 満面の笑みを浮かべながら差し出してきたのはいかめしい尊顔の風神ボロムス、その彫物だった。


 衣の皺や逞しい二の腕など細部まで表現されており、非常に生き生きしている。腕を組んで仁王立ちしている姿には妙な凄みがあった。


 これは素人には決してできない職人技。だが──、


「驚くほど似てないし!」


 そう。目の前の風神像と実際の風神ボロムスが頭の中で全く繋がらない。名を借りた別人と言った感じだ。


 あの軽薄を人型にしたような神が、よもやこのような姿で祀られているとは思わなかった。予想よりもかなり神っぽい。


 そんなイスカの感心を他所に、ネルは懐からもう一つ彫像を取り出す。


 先程の風神像によく似た男神と思しき彫物。しかし、所々に意匠の異なる部分が見受けられる。


 別バージョンか、もしくは他国の神だろうか。


「イスカにはこっちをあげるね!」


「いや誰これ……?」


「雷神様っ!」


 イスカの予想は大いに外れた。


 よく見れば筋肉こそ付いているものの、全体像は曲線的である。


 しかし、これを女神レアヌスの像と呼ぶのは少々憚られるところ。


「本物はもっとこう、スラッとしてね?」


「そうかなぁ。大体こんな感じじゃない?」


 本気なのか冗談なのか、あっけらかんとした調子で返すネルの頭上に、突如として暗雲が立ち込める。雷神レアヌスから天罰が下される際の予兆だ。


 その空気の変化に当事者たるネルはいち早く気付き、


「はははっ……。な、なんてねー」


 ネルが引きつった笑顔を浮かべながら前言を撤回すると、先程まで落雷のタイミングを今か今かと待ち構えていた雷雲が霧散する。


 ほぅっと安堵の息を吐くネル、その姿に呆れつつ、イスカは「失言気ぃつけろし」と注意を促した。


「……それで、これ受け取ってくれる?」


 話を戻すネル。その問いに対する答えをイスカは一つしか持っていない。


「ありがとう。超嬉しいし」


「えへへ〜、喜んでくれてよかった! 吟味した甲斐があったよー」


「えっ、真面目に選んでこれなわけ? センス〜」


「そこまで言うことないじゃんん!?」


 照れ隠しで放った呟きに、ネルが堪らずといった調子で返してくる。


 無論、イスカとて本気で『センスが無い』と思ったわけではない。


 ……いや、白状しよう。少しは思った。だがけなすつもりは毛頭ない。ネルもそのことは承知のはずだ。


 だからこそこうして笑い合える。


 もしもネルがマイナス思考な性格だったらこうはいかないだろう。


 時として歯に衣着せぬ物言いをするイスカと、彼女に憧れその全てを肯定するネル。二人の在り方が偶然にも噛み合ったからこそ、この関係が成立していると断言できる。


 だが──否、だからこそ。


 仲が険悪でないが為に、イスカは距離感を見誤る時がある。


 ──イスカは、ネルの憧れに気付いていない──


 或いはそれが、二人の関係を進展させるに至らない唯一の障害かもしれなかった。


 ネルにしてみればイスカの言動全てに『言い過ぎ』などと思うことは全く無い。


 しかし、イスカに対する許容の定規が狂っていることを本人は知らないのだ。


 『どのような言葉が彼女を傷付けるのか分からない』という懊悩はその無知から来るもの。


 故にイスカは知る努力をする。


 言葉を交わし、気を遣い、合わせる。対応を誤ったのならすぐに謝罪する。


 こうしてイスカはネルとの距離を測ってきた。これまでも、きっとこれからも。


 いつか、胸を張って「ネルの相棒だ」と言えるような魔女になるために。


「……でも、それだけじゃ──」


 ──足りないのだ。『力』が、圧倒的に。


 ネルが魔法を無詠唱で扱えることは周知の事実。


 本人は「大したことがない」と謙遜しているが、その特性が戦闘時に与えるアドバンテージは計り知れない。


 下手をすればイスカが足を引っ張ってしまうなんてことも考えられる。


 そんな時、自分はどう立ち回れば──


「──ッ!」


 突如、悪寒。『良くない何か』を感じ取ったイスカの肩が反射的に跳ねる。


「どしたのイスカ、しゃっくり?」


「いや、なんか今……」


 あまり遠くない場所から、この国を目指して、まっすぐ。


 のような速さで、何かがやって来る。


 それを決して近付けさせてはならない。そんな気がした。

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