第13話 危ないミミズ

 ──事が起こる数刻前──


「まったく。なんでアタシが──って、そうか。普通に考えて、アタシが壊したからだよな」


 頭を掻き、「何やってんだか」と自分を咎めるジュード。


 彼女は今、王都で経営している扉の修理専門店へ向かっていた。そこの世話になった回数は両手両足の指でも足りない。


 何度もその店に出向くものだから、通行人たちもジュードがいることに慣れてしまったようだ。


 ジュードにひれ伏す者など、この街には一人もいない。


「……ま、その方が楽でいいけどな」


 ただ歩いているところに手を合わせて「ありがたやぁ」と熱心に拝まれても些か反応に困る。そういうのは偶像にでもやってほしい。


 ──などと思考を巡らせているうちにジュードは目的の場所に辿り着いた。


 扉が無いのはジュードに壊されないためなのか、『とびらや』と書かれた暖簾が降りているだけの入口をくぐって入店する。


「うぃーっす」


「お、常連様。また壊されたんですね?」


 ジュードが挨拶するなり全てを察した店主が軽口を叩いてくる。


 まったくもってその通りなのだが、少し失礼な言い草ではないだろうか。


 ジュードは文句の一つや二つ言いたい気持ちを飲み込み、「そーだよ」と肩を竦めるに留めた。


「じゃ、いつも通り代金は前払いな」


「はい。毎度どうも」


 こうして金銭のやり取りを先に済ませてしまうのにはきちんとした理由がある。


 生意気なことに店主はジュードが扉を壊すことを想定して、むこう一年分の扉を量産しているのだ。ムカつく。


 型の同じ扉をいくつも造っているため、仕事は扉の取り付けのみ。


 このような体制により、『とびらや』は迅速な対応を可能にしているのである。なんかムカつく。


「家に親父がいるから、なんかあったらそっちに言ってくれ」


「了解しました。では失礼します」


 店主は頷くと、店の奥から見覚えのある扉を持ち出し、せっせとその場を後にした。やっぱりムカつく。


「……さてと、どうすっかな」


 用も済んで手持ち無沙汰になったジュードは、とりあえず店を出ることにした。


 店主の背を見送ろうかと思ったが、既にその姿は見当たらない。


 胸の谷間にしまっていた巾着を取り出し、残りの小遣いを確認する──が、その額は微々たるものだった。


「残り十二ルーク……ここらで買えるもんなんてねえぞオイ……」


 こんなことになるならもっと多めに持ってくるんだった、なんて後悔しても遅い。


「家に戻って金取って来るか? いや、でもなぁ……」


 そんなことをしては、フレイボルダと『とびらや』店主に挟まれて小言を言われる未来が目に見えている。


 口うるさいオッサンが苦手なジュードにとって最悪の展開だ。なんとしても回避せねば。


「……よし、街を出るか」


 砂漠に行けば何か面白いことが起きる気がする。


 なんて微かな予感を胸に抱き、ナバルは歩を進めた。


 それから数分後、その選択を後悔することになるとも知らずに。


「──くそがぁ!」


 悪態を吐きつつ、飛ぶ。から少しでも距離をとるため、少しでも高く。


 応戦など以ての外だ。それが彼女の天敵であるがゆえに。


 しかし、ジュードがどれほど上昇しても、奴はそれに追いつこうと体を伸ばす。


 ブニブニしてそうな桃色の皮と、それに包まれた蛇のような体。


 頭部には丸い口しかなく、歯が三百六十度余すところなくびっしりと生え揃っている。


 見るもおぞましいその怪物の名は──、


「サバクオオミミズッ!」


 ジュードは全身から血の気が引いていくのを感じながら、天敵の名を叫ぶ。


 それは恐怖に染まった心を奮起させるための、精一杯の抵抗。


「キジュアァァァァッ!」


「うぎゃあぁぁぁぁっ!?」


 しかしそんなの通じません、とばかりにミミズが吠える。


 その際、口から飛沫した唾液のような液体がジュードにかかった。


 そのせいで全身がねっとりべちょべちょ、なんならちょっと臭う。今の悲鳴はそれによるものだ。


 しかも、ミミズの唾液がジュードに与えたのは心的外傷だけではない。


「くそ、火の出が悪くなりやがった!」


 足の裏に付着した唾液が原因だろう。いつかやられると思っていた。


 ミミズの唾液は消化の手助けのみならず、消火も可能のようだ。


「なんて言ってる場合かっ!」


 これまで丁度いい距離を保てていたのは火の勢いがあったからこそ。


 それを失ってしまった今、ジュードを待ち受けているのは死のみだ。


「チクショウ……!」


 はっきりと感じ取れてしまった死の予感に、ジュードの身体が強ばる。


 サバクオオミミズの口は、既にジュートの足元まで迫っていた。


 あと数分と待たずして喰われてしまうだろう。


 ──まだ、何もできていないというのに。


「親父……!」


 今際の際に浮かんだのはフレイボルダ。守ると誓った父の顔だった。


 でも、もうダメだ。


 何かするよりも早く、奴の口がジュードを捕え──


 ──なかった。


「グ、ギ、ギァ……!」


 まるで苦しみもがくような声を上げながら、サバクオオミミズの巨体が崩れ落ちていく。


「一体何が……いや、それより」


 ジュードはとりあえず自分が無事であることを確認し、着陸する。


 サバクオオミミズの胴体は綺麗な断面を残して真っ二つに切られていた。


 誰かが助けてくれたのだろうか。だとしたら礼をしたいところ。


 だが、周囲を見渡すしても人っ子一人姿が見当たらない。


 ここは砂漠だ。人がいればすぐ目につきそうなものだが、まさかフレイボルダの遠隔援護というわけでもないだろう。


 彼なら一瞬で消し炭にするはずだ。


 妙に説得力のある理由に苦笑していると、足元から掠れた声がした。


「タス、ケテ……」


「うおっ! え、なに?」


 あろうことか、命の恩人は息絶えたサバクオオミミズの下敷きになっていたのだった。

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