第45話 水面下の動き(二)

「糞っ、糞っ、糞っ……」


 絶えず悪態を吐きながら、魔王城の広い玄関ホールを大股で歩くリコ。現在に至るまでの経緯は出戻りという表現が最も適切で、憤慨して当然といえば当然である。


 しかし、余人から見ればその振る舞いは傍若無人そのものなのだろう。周囲の魔族が皆、リコを流し目で見ている。


「一体、何処に……!」


 当の本人は数々の視線が注がれていることに気が付かないまま思考を巡らせる。そんなリコだが、感情の赴くままに城を彷徨さまよっているわけではなかった。


 息を荒くしながらリコが向かったのは城の西側、遺体安置室の対照に位置する治療室。ここを出る前に一度、ビオの見舞いのため足を運ぼうとしていたのだが、今となっては優先順位の最下層。


 事情が変わった今、用があるのはビオに付き添っているであろう人物。不在の際の面倒が無いことを願いながらドアを乱暴気味に三度叩くと、


「少し待ってくれ」


 ドアを隔てた向こう側から聞こえてきた、ビオとは異なる第三者の声。その声の主はリコが口で急かすまでもなく空間の仕切りを解放する。


 開いたドアから顔を出したのは、紫色の髪と瞳を持つ少女だった。その身に纏った漆黒のドレスが大人びた印象を付加している。


 彼女こそが重傷を負ったビオを引き受け、エルン・ノーハート狂人との要らぬ接点をリコに持たせた人物である。


 リコはエルンと引き合わされた時点でこの少女が魔王エノテラだと確信していた。誰も寄り付かないような者の元へ何も言わずに送り届ける辺り、実に魔王的な判断と言えるだろう。


「リコ・ミルニル、で合ってるね? もしかしてビオの見舞いに来てくれたのかな?」


 右の角に位置するベッドで仰向けになっている妖精族を示しながらエノテラが言う。ビオは既に寝付いているらしく、腹が上下していた。


「ビオさんには申し訳ありませんが、見舞いは日を改めて。それより糞おん──魔王エノテラ。時間が惜しいので私の質問に有無を言わず答えてください」


「分かった。何かな」


 殺気立った様子のリコに触発されたのか、エノテラは暴言未遂に言及せず、柔和な表情を引き締めて真剣なものに変える。僅かに揺れた紫紺の双眸そうぼうがリコの顔を映し出す。まるで己の振りを省みよと言わんばかりだ。


 その表情を染め上げるのは憤怒の色一つのみ。しわの寄った眉間みけんに釣り上がった目元、硬い頬。


 らしくないと思いつつも振る舞いはそのまま。──この情動を、枯らしてなるものか、と。


「緑髪の、木を操る魔女をご存知で?」


「……すまないが、知らないな」


「そうですか、ご迷惑をお掛けしました。では」


 エノテラは本当に知らないようだった。彼女から得られる情報は無に等しいと判断するや否や、早急に立ち去ろうとする。


 魔王でさえ存ぜぬことを他の魔族が把握しているとは考えにくい。独自に魔女の行方を探し出すしかないだろう。


「待ちたまえ」


 エノテラはそんなリコの考えを否定するかの如く、閉じようとしたドアに手をさっと滑り込ませる。リコが思いとどまらなければ、危うくその細い指が挟まってしまうところだった。


 双方が胸を撫で下ろすのも束の間、リコの左手に刻まれた目の模様が赤い光を放つ。しかし、リコがドアノブから手を離すと、その光は何事も無かったかのように収まった。


 一連の現象に向ける驚きの意味合いは違えど、エノテラも珍しいものを見るかのような目で刻印に視線をやっている。


「今のは……」


「ビオさんと交わした【血誓ケッセイ】の証です。……あなたの指を挟んでいたら、死んでいたかもしれませんね」


 リコの口調は冷静そのものだが、内心ではかなり焦っていた。


 誓いを破ることで如何なる裁きが下るのかはその時まで分からない。とは言え、それがリコに何らかの不利益をもたらすのは確実。


血誓ケッセイ】を反故にした者は時として、その罪を命で贖わされるのだから。


「まあ、何事もなくてよかったよ」


 リコは事の発端であるにも関わらず他人事のように片付けたエノテラをキッと睨み付け、


「それで、一体何のつもりです? もう話は終わって……」


「まだだよ。実は今、私もきみに用事ができたところなんだ。少し長い話になるから入ってくれないかな」


「ですが」


「悪いようにはしないから。お願いだ」


 リコもそうだが、エノテラも頑として譲らない。どちらかが折れなければ無駄な時間が長引くのは目に見えている。


 いたずらに時間を浪費するくらいなら、とリコは治療室の入口に溜息を残して部屋に入った。


 しかし、相手は他ならぬ魔王。ビオの提示した『魔族はリコに危害を加えない』という【血誓ケッセイ】の隙を突き、仕掛けてくる可能性も否めない。


 奥のベッドで寝ているビオとそれに寄り添うエノテラ。二人から距離を置いて入口に近いベッドを選んだのは、警戒の表れである。


「それで、さっきの続きだけれど」


 すやすやと安らかな寝息を立てるビオの頬を優しく撫でながら、エノテラが切り出した。てっきり私用だと思っていたリコにとっては寝耳に水の話である。


「さっき、君が言う魔女のことは知らないと言ったね。だけど、捜す方法なら一つだけ心当たりがあるんだよ」


 リコは今、自分が一体どのような表情を浮かべているのか分かっていない。


 ただ、エノテラが向けてくる笑みから、彼女が好感触を得るような反応をしたのだろうと察している。ともすれば、今のリコは笑顔を浮かべているということだ。


 自分の表情をまじまじと見られたのが無性に気に食わなくて、リコは何気なく口元を手で隠す。すると、その仕草を熟考と捉えたのだろう。エノテラはたのしそうに頬杖を突いて首をかしげた。


「どうかな? 興味、少しは湧いてきたと思うけど?」



 ──暗い谷底を行き交う、幾つもの呻き声。常人であれば耳を塞ぎたくなるような不協和音が木霊こだまする空間に、平然とたたずむ女性がいた。


 尋常ならざる精神力を持つ彼女の周囲に乱立する、刺々とげとげしい氷の牢獄。中に閉じ込められているのは色彩豊かな光の玉。それらは見た目の美しさからは想像もつかないような醜い声を女性へと浴びせながら、その姿を照らしていた。


 足元まで垂らした雪のように白い髪に、青いまなこ。猫背気味な身体を覆う薄布は、元の色が分からないくらい土の汚れにまみれていた。布の裾から伸びる脚も細すぎて健康的とは言い難い。


 その出で立ちはさながら谷底に落ちた哀れな遭難者。さもなくば、その成れの果てと言ったところか。


 しかし実際のところ、彼女は遭難者でも、ましてや幽霊ですらない。


「『冥界のあるじジューネ』が、命じる」


 そう名乗ると共に、瞳を閉じながらか細い腕を片方、天へ伸ばす。


「欠落し、曖昧になった肉体、魂、記憶、その全て。凍れる檻の縛めより、今、解き放つ」


 静かな声に呼応して、ゆっくりと氷解する牢獄。晴れて自由の身となった光の玉は漂いながらジューネの頭上に集い、輪を作った。


 なおも詠唱が続く。


「不確かな者たちよ、り合い、溶け合い、新たな一となれ。現世うつしよへ昇りて、その身を平和の礎とせよ。目覚めの時、来たれり。地の底より我は言祝ことほぐ、汝の誕生を」


 最後にジューネは祝福の詞で締め括る。すると、円状に並んだ光の玉が融合し、一つとなった。


 巨大な個となった光の玉は、溢れる力を抑えきれないとばかりに稲妻のような閃光を散らす。それを見て、ジューネは何を思ったのだろうか。


「……上手くようね」


 大光玉から僅かに目を逸らして、ぼそりと呟いた。額面通り受け取れば成功を喜んでいるだけのように聞こえる。


 しかし、言葉に込められた感情を一番に物語るのはその表情。今までの鉄仮面とは打って代わり、どこか物憂げな面持ちをしていた。


 死者の行き着く場所を守る神が、死者を利用する。その行いに、少なからず思うところがあって──、


「専心、しなければ」


 生じてしまった迷いを飲み込み、ジューネは儀式を続ける。


 己の身が、この業に沈むことを信じて。


 これから生まれる命が、この業に苛まれないことを願って。


 ──最後の魔女を、世界に産み落とす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女達の軌跡 田米 龍真 @6712358

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ