第35話 吸血男爵

 仰向けになったままの状態で目線だけを治療室に入ってきた男に向けつつ、ビオは尋ねる。


「エノテラ様に何か用? 『吸血男爵』のアカシオさん」


「……生憎、貴様と話す口は持ち合わせていない」


 アカシオと呼ばれたモーニング・コート姿の老人は、人間社会に身を置いていた頃の渾名あだなを出されたためか、不快そうに顔を歪めた。


『吸血男爵』アカシオ。彼は亡国の子爵から、度々その名で呼ばれていたという。そこには、魔族は成り上がったところで男爵止まりだという侮辱が込められているそうだ。


 己の矜恃を第一とする彼にとって、そのような忌々しい過去を掘り返されるのはこの上ない屈辱であろう。何より、その表情が物語っていた。


「へぇ、だったんだぁ」


 くすくすと面白がるビオの反応を非難するかの如く、アカシオが「貴様」と睨みを利かせる。


 彼が今し方気付いた通り、先程の言葉はただの軽口などではなく、彼が本物か否かを確かめるすべ。眼前にいる人物がアカシオ本人であれば、怒りを露わにするだろうと踏んでの発言だった。


 ビオの試すようなやり口が気に食わなかったらしく、アカシオはエノテラに向き直り、


魔族われらが王よ、この小娘を黙らせる許可を」


「アカシオも案外短気だね」


「な……貴女まで……」


 頼みの綱である直属の上司にも揶揄からかわれ、寄る辺を無くしたアカシオは頬に汗を垂らして抗議。


 しかし、エノテラはこれ以上の無駄話に付き合うつもりは無いとばかりにアカシオの勢いを削ぎにかかる。


「それよりも私に用があるんだろう? 言ってほしい」


「……はっ、仰せの儘に」


 すぐさま居住まいを正すアカシオの姿はビオの目から見ても流石の一言に尽きる。これが上流階級を知る者の振る舞いか、と。


 そう感心するビオを他所にアカシオは片膝を着き、エノテラに要件を語り始める。


此度こたびの作戦が成功した暁には、クレスに代わる錬魔十騎の位を頂きたく存じます。……このような場で申し上げる愚を、どうかお許しください」


「…………へぇ?」


 アカシオの要望を知り、そのように声を漏らしたのはエノテラか、それともビオか。もしかしたら両者同時だったのかもしれないと思いながら、ビオはその頭で別のことを考える。


 吸血鬼族の離反により空席となった〈錬魔十騎〉・【紅血こうけつ】の座。元々その席にいたのは吸血鬼族の長であるクレス。


 前任が誰であれ、残る吸血鬼族がアカシオのみである今、彼がその空席に着くのは至極自然なこと。一つも問題は無い。


 ただ、珍しかったのだ。人間社会における『吸血男爵』の権威が失墜し、野心を失ったはずの男がを望む事が。


 何が彼をそうさせるのかビオには分からないし、知ろうとも思わない。さりとて無関心というわけでもなかった。


 強いて言えば、過程よりも彼の手に入れる結果に興味がある。


 そんな思いから、普段と異なる様子のアカシオに好奇の眼差しを向けるビオ。


「エノテラ様、どうするのぉ?」


「勿論認めよう。〈錬魔九騎れんまくき〉なんて言いづらいじゃないか」


 冗談めかすような発言。しかし、いつになく真剣な声色でエノテラは願いを聞き届けた。


「ッ! 有り難き、幸せ……!」


 アカシオが口にしたのは心からの感謝。震えを押し殺すような声が何よりの証拠である。


 年甲斐もなく喜びを噛み締める老紳士に、ビオは祝いの言葉を送った。「おめでとう。精々無様に足掻いてねぇ」と。



 治療室から出たアカシオは自室へと向かい、柔らかいソファに身を沈めた。ゆっくり瞼を閉じ、己の内に生じた感慨を味わいながら夢想にふける。


 先程〈執行者〉の小娘から掛けられた言葉を反芻しながら。


「『精々無様に』──か。懐かしいな、ティリウス卿」


 それは自分を『吸血男爵』と揶揄し、同時に背中を押してくれた男の名だ。自分と彼には浅からぬ因縁があったとアカシオは認識している。


 ビオはその因縁を確執と捉えているようだが、それは大きな誤解。


 実際は確執と呼べるほど高尚なものではない。あえて名付けるなら没落への大きな一歩と言ったところか。当時のアカシオは、出る杭は打たれるという言葉を知らなかったのだ。


『そんなに高みを目指したいのか? ならば、その見るも醜い努力を続けるがいい。──その泥臭さが、すすけた貴様を磨くこともあるかもな』


 かつてティリウスから投げかけられた侮辱混じりの助言。アカシオはその言葉に従い、結果として失脚した。


 つまるところ、人間社会に魔族が存在する余地など無かったのだ。


 妥当で、自然で、当然かもしれない。人ならざる者に人の掟が適用されないことなど。


 魔族が目立てばその分だけ悪感情を抱かれる。そんな簡単なことにも気付けないくらい、当時のアカシオは未熟だった。一族が国を追われることになったのもその未熟さが原因と言っていい。


「故に、殺してでも止めねばならぬ」


 ──誰を? 我が同族を。


 ──何故? 自分と同じ過ちを繰り返させないために。


 ──そこまでする理由は? 家族だから。


 同族への愛と嫌悪。相反する二つの感情に揉まれた男が、立ち上がった。

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