幕間
第34話 二人の『彼』
場所はエアルトス王国とマウロ聖皇国跡を二分するミドハルト川の上空。
「────」
エアルトスを守護する魔女の片割れ、その墜落をビオは見届けた。
追い打ちをかけるという選択肢は無い。強化魔術がすり減ってしまった現状では、斬ろうとしたところで鎌の方が砕け散るだけだ。
「今度こそ、行かないと……」
〈疾風の魔女〉の墜落場所に背を向け、紫電に貫かれた身体を無理やり動かす。リコと、彼女が倒したもう一人の魔女を回収しなければならない。
どれも魔王エノテラが目的を達成するために必要な事だと言い聞かせ、ぎりぎり意識を保っている状態だ。ここで自分が倒れてしまったらエノテラを守る者がいなくなってしまう。
謀反を企てていた三人の〈錬魔十騎〉を見せしめにしたとは言え、油断は禁物。それで叛意を抱く不埒者が消えたとは限らない。依然として、彼女がいつ背中を襲われてもおかしくない状況は続いている。本当なら一瞬たりともエノテラの傍を離れたくないというのがビオの本音である。
「だから早く見つかってほしいんだけどぉ……」
傷の痛みにも慣れ、余裕が出てきたところでビオはリコへの不満を口にした。
ネルと一戦交えた河原から少し離れたところで、聳え立つ木々が森を成している。その一箇所に魔法による倒木の被害が見受けられ、中心地でビオの気も知らずに座り込むリコの姿があった。
「お〜い、迎えにきたよぉ」
「……どうも」
高度を落として接近するビオに気付いたらしいリコが、頭を押さえながら立ち上がる。そして足元で
あとはこのままリコを拠点まで案内し、回収した死体をエルン・ノーハートに預けるのみ。これだけ面倒な──もとい多仕事をやるのだから、全て終わったらエノテラに褒めてもらわねば。
そう心に決めるビオの視界に入ったのは、手酷くやられた〈雷鳴の魔女〉の亡骸。
「あはっ、私とお揃いだぁ」
「何が『お揃いだぁ』ですか。楽観してる場合じゃないでしょう。──というか本当に大丈夫ですか? 顔色が悪い気が……」
「え〜、心配してくれるのぉ? でも大丈夫だよぉ。全然、まだまだ余裕。よゆ…………うっ」
──やっぱり駄目かもしれない。出血量が多すぎる。
「どこか大丈夫ですか!」というリコの悲鳴のような抗議の声が聞こえた後、誰かに抱えられたところでビオは意識を失った。
◇
──ビオ・ラヴァースは欠陥者だ。
小柄で華奢な体と背中に生えた蝶のような羽を特徴とする妖精族。その種族名の由来は見た目のみならず、扱う力にもある。
力の名は妖力。神の持つ『気』とも、その下位互換である『魔力』とも異なる、妖精族独自の神秘。
彼らは妖力を第一階位魔法のように放出したり、身体に纏わせることで魔術の域を超えた運動機能の拡張をも可能にしている。使い方によっては想像以上の効果を発揮する力だが、これは妖精族であれば誰もが持つものだ。
しかし、ビオは生まれつき妖力を持っていなかった。それ故に、彼女は同族から欠陥者と蔑まれることになる。皆が持っている物を、たまたま持っていなかっただけで。
悔しかった。それこそ、同族全員を皆殺しにしたくなる程に。
手を差し伸べてくる同族はいた。でも、ビオはその手を跳ね除けた。憐れみで近付いて来る奴の手なんか取れるわけがない。
憐れみを向けるという行為は、相手を見下しているからできることなのだ。
──悔しかった。だから、見返してやると己に誓った。
身体を鍛え、魔術を習得し、妖力なんかなくても戦えるようにと。その努力の結晶が魔王エノテラから賜りし〈執行者〉の役と言っても過言ではない。
さんざ自分を虐げてきた同族の命が今や手のひらの上。生かすも殺すもビオとエノテラの采配次第。
恐れを瞳に宿し、身を縮こませる同族の
だから、自分を〈執行者〉に選んでくれたエノテラには感謝してもしきれない。彼女には、魔族の長い一生を懸けても返しきれない程の大恩がある。
心の隙間を埋めてくれたエノテラに、何としても報いなければ。少なくとも、こんなところで死ぬわけには、いかないのだ。
そう自らを奮い立たたせるビオの心に、眩い光が射した。その光はただ爛々と輝いてビオの眼を眩ませるだけではなく、優しい温もりを与えてくれる。
ビオはその光をもっと近くに手繰り寄せようと手を伸ばし──、
──そこで、目が覚めた。
どうやら城の治療室らしい。部屋いっぱいにベッドが並んでいる。一番隅の方で、ビオは仰向けになっていた。
と、自分の置かれている状況を確認したところで、右手の違和感に気付く。視線を這わせていくと、その手を傍らの椅子に腰掛けた少女の頬に添えていることが分かった。
「ぁ……エノテラ、様ぁ?」
「うん、そうだよ。おはよう」
ビオが伸ばした右手の先にあったのは、よく見知った恩人の顔。深みのある桃色がかった瞳が、慈しむようにこちらを見つめている。
──光は、ここにあった。手繰り寄せるまでもなく、こんなにも近くに。
喜びを噛み締めるのも束の間、エノテラがビオの手を取り、両の手でぎゅっと握る。じんわりと伝わる体温が、ビオに生の実感を与えてくれる。
「……目を覚ましてくれてありがとう。本当は私も加勢しようかと思ったのだけど、止められて。せめて迎えくらいはと思って行ったら気絶してしまうし……。──本当に、心配したんだから」
「……最後、素に戻ってるよぉ?」
思いを吐露するエノテラに茶化しを入れると、それを本気にしたらしく、一拍置いてから「……それはすまない」と目を伏せた。
魔王であり、恩人であり、ビオの幼馴染でもある彼女は、主に最初と最後の二者の間で揺れ動いている。それが欠点であり
「……ありがとう。ここまで運んでくれたの、エノテラ様なんでしょぉ?」
「ああ、そうだよ。客将に任せるわけにもいかないからね」
客将──今や世界の敵となった魔族に相応しくない単語を耳にし、ビオは眉を跳ねさせる。知る限り外部の者は一人しかいないためリコのことだろうが、そう言えば、彼女は今どこにいるのだろうか。
「彼女なら、今は手の空いてる者からここの案内を受けてると思う」
そんな心を読んだかのような回答を、ビオは大して驚きもせず受け入れる。
エノテラの言う通りならばリコはそのうちここにも顔を出すだろう。完治していない体を無理やり動かしてまで会いに行く必要もない。だから。
「エノテラ様、まだしばらくここにいてくれる?」
ビオがそう尋ねると、「うぅん」と困ったような表情を浮かべるエノテラ。
彼女にもまだやるべき事が残っているというのは勿論承知している。その上で、ビオはこの
人肌の温もりに飢えているというわけではない。ただ、一人になって欲しくないだけなのだ。
今ここで彼女の背中を見送り、それが今生の別れになってしまったらその後悔は一生続くだろう。そう思ってしまうのは責任逃れするための自己保身──などではない。
ビオは己に与えられた〈執行者〉という役割の義務以上に、エノテラが生きることを望んでいる。執着している。固執している。
エノテラ無しでは生きられない。ただし、その思いに根ざすのは依存と一線を画すものだ。
彼女に感じている恩義を働きで返したいという思い。人によっては綺麗事に聞こえるかもしれないが、紛れもないビオの本心である。
それが先方に伝わったのか分からないが、エノテラの困り顔はやがて先程までの微笑に戻った。
「……仕方ない。予定は前倒しにするよ」
「ありがとぉ、エノテラ様〜」
折れてくれたエノテラに感謝を伝え、満面の笑みを浮かべるビオ。
──そんな二人の間へと割って入るかのように、治療室の扉が開く。リコがやっと見舞いに来たかと思ったビオだが、その予想は外れていた。
室内に足を踏み入れたのは一人の男。深い闇に染まった髪と黒で統一された衣服に身を包んだ痩身の魔族が、淀みない足取りでエノテラに歩み寄る。
「……彼なら大丈夫だよ」
何も言わず入ってきた魔族に訝しげな視線を送るビオを、エノテラがそう宥めた。
とりあえず敵意は抑え込む。しかし、納得はしていない。本来であれば、彼はこの場にいないはずの男なのだから。
◇
砂漠の夜は寒い。その土地に住まう者であれば誰もが知る常識中の常識。気温は時に零度をも下回るため、夜間の外出は不慣れな者にとってはただの苦行である。
それにも関わらず、外から来た三十人程度の集団は、闇夜に紛れて砂漠を何食わぬ顔で渡り歩いていた。
その内の一人が、凍えるような寒さとは別の理由で不満そうな顔をしている。
「ねぇ、まだ着かないの?」
「黙って歩けっての。餓鬼みたいだぞ」
「あっ、今あたしのこと餓鬼って言った。餓鬼って言った方が餓鬼なんだよーだ」
「その理屈が既に餓鬼じゃんか」
「何をぅ!」
「やんのかコラァ!」
「──ええい、
もっとも、事情を知らない第三者からしたら餓鬼が餓鬼を餓鬼呼ばわりしているようにしか見えないのだろうが。
「…………まだ、先は長そうだな」
そんなやりとりを尻目に、彼は一人呟いた。──ビオに敵意を向けられた顔と姿で。
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