第33話 本を捲る手

 神界の居住領域でネル達の勝負を見守っていた風神と雷神。エアルトスの主神である二柱は水晶に映し出された光景を前に言葉を失う。


「そんな、イスカが……」


 ボロムスが右に目を向ける傍らで、レアヌスが息を詰まらせていた。


 こんな時になんと声をかければいいのか、ボロムスは知らない。きっと人間であれば気の利いたことが言えるのだろうなと、どこか他人事のように考えてしまう。


 そんな心境でいると、レアヌスが涙を滲ませて恨めしそうに睨み付けてきた。


「ねえボロムス! これでも貴方は自分の主張が正しかったと胸を張れるの!? 私たちの子供が死んだのよ!?」


「当たり前でしょう。本来守るべき人間を顧みないでどうするんスか」


「……ッ、この人でなし!」


「自ぶ──いえ、なんでもないっス」


『自分、一応神っスからね』と口にしようとして、思い留まる。


 ここで揚げ足を取って場の雰囲気を悪くするのはボロムスにとっても好ましくない。これ以上の関係悪化はなんとしても避けたいところ。


 このままでは要らないことを言って彼女を激昂させてしまう。そうなる前に距離を置いた方が良さそうだ。


「事後報告あるんでアローさんの所に行ってきます」


 念のため行き先を告げたもののそれに対する反応は返って来ない。これは些細な物音さえレアヌスを刺激しかねないと思い、ボロムスは静かに退室する。


「…………ふぅ」


 緊張で満ちた空間から逃れ、一息入れる。本当はそんなことをしている場合ではないのだが、どうしても肺の中身を入れ替えたいという気持ちが先行してしまった。


 気を取り直し、目を閉じてアローが居る謁見の間を思い浮かべる。ほんの一瞬だけ、奇妙な浮遊感が全身を包み込んだ。


 目を開くと、ボロムスは既に城の中。胃痛に悩まされるような表情で〈規定写本ルールブック〉に目を通す少女、もとい創世神アローの姿が視界に収まっていた。


 起伏の乏しい身体を白い布で包んだ白髪はくはつの女神。色という色を削ぎ落とした彼女の容姿には無駄が一切見当たらない。まるで、青い瞳の透き通るような美しさだけを引き立てるためだけにそうしたかのような芸術性。洗練された美とはまさにこのことを言うのだろう。


 これが世界の誕生以前から存在し続ける数十億歳の老婆神であるという事実に、ボロムスは軽く目眩を起こした。


 こうしてぼうっとしていても気付かれそうにないのを見兼ねて、玉座に腰掛けたままの彼女に声を掛ける。


「どうも、お邪魔してるっスよー」


「…………」


「アローさん?」


「………………」


「えーっと……あそこの扉、吹き飛ばしても良いっスか?」


「良いわけないだろう! お前がそんな事したら扉どころか城まで吹き飛ぶっ!」


 アローが玉座から立ち上がり〈規定写本ルールブック〉を床に叩きつける。こちらもかなり気が立っている様子だ。


「いや冗談ですすんません。どうしても気付いて欲しかったんで」


「…………何の用だ」


 玉座に腰を下ろし、頬杖を突きながら不機嫌そうな顔そのままにアローが問うてくる。


「実は──」


 その雰囲気に圧倒されてというわけではないものの、慎重に言葉を選び事実を伝える。それでもアローの表情が段々と険しくなっていくのは止めることができなかった。


「………………」


 リコ・ミルニルが魔族と共に現れたことからイスカ・レアヌスの死まで一通り話し終える頃には、アローは背もたれに寄りかかって黙り込んでしまっていた。これは胃痛の種を増やしてしまったかもしれない。


「ふぅぅぅぅぅ……」


 不意に訪れた沈黙を破ったのはアローの細く長い溜め息。何か思うところがあるのか、彼女は俯いたまま話し始める。


「まずはイスカの事、レアヌスに残念だと伝えておいてくれ。それからリコ・ミルニルは放置で構わない。以上だ、下がっていいぞ」


 表情から察するに他にも何か言いたげだったアローはそれだけ言って再び〈規定写本ルールブック〉に視線を落とす。


 ただの気のせいか、それとも今はまだ話す段階ではないのか。どちらにせよ出て行って欲しそうな雰囲気を放っているのだから長居する理由は無い。


「……じゃ、失礼するっス」


 ボロムスはアローに背を向け、来た時と同じように居住領域へと転移した。




「──さてと、続けるか」


 誰もいなくなった謁見の間で、アローは静かに〈規定写本ルールブック〉のページを一枚捲る。

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