〈疾風の魔女〉・〈雷鳴の魔女〉

第25話 片割れとして-疾風の場合

 ──時は〈光輝の魔女〉リコ・ミルニルがオクトヴィウス王を殺害する前にまで遡る。


 中央諸国の最西端に位置する先進国がひとつ、エアルトス王国。


 隣国のマウロ聖皇国が滅ぶことになるなど誰も予想だにしない中、かの国では普遍的な日常が流れていた。


「えいっ!」


 健康的な少女の声がとある貴族の有する庭園いっぱいに響く。


 今エアルトスで流行っている競技の要領で、少女の手から放たれたそれは赤い糸が縫われた白球──ではなく、伸びた雑草を巻き込みむしり取る空気の塊。


 彼女こそが〈疾風はやての魔女〉ネル・ボロムス。エアルトス王国を守護する魔女の片割れだ。


 もっとも、これまで一度も魔族に襲撃されたことがないエアルトスでは安穏たる日々が続いている。


 やがて魔女の力は宝の持ち腐れとなり、ネルはいつの間にか雑用をこなすようになっていた。


 ──ナンデコーナッタノ?


 内心で疑問を抱きつつも、現状これといって特に不満は無い。


 それはそれで心構えとしてどうなんだと思う部分もあるが、平和が続くに越したことはないだろう。


 しかし、その平和が仮初のものであるということは重々理解している。


 魔族の目的は他種族の排斥。この世界から人間がいなくなるまで終わらないのだ。


 いずれエアルトスも危険にさらされる。それは予感ではなく約束された事実。


 この草刈りも魔法の精度を高めるための修行──そう思えば俄然やる気が出てくる。


「えいっ! やあ! はあぁっ!」


 一層気合いを込めて三発。風の刃を放つ、放つ、放つ。


 その度に草が宙を舞い、ひらりひらりと地に落ちる。しかし、それで終わりではない。


 一帯の草刈りを終えた証をもれなくそよ風でかき集め、一箇所に纏めた。


 ネルはその出来栄えを見て満足気に頷き、付き添いで来てもらった相棒の方を向く。


「ねえカンペキだと思わない!? この華麗な風捌きっ!」


「聞かれなくても思ってるし──ってーか、しっくりきすぎっしょ……」


 そう言って引きつった笑みを浮かべる相方、〈雷鳴の魔女〉イスカ・レアヌス。


 その反応に少し引いてるようなそうでもないようなうん気のせいだねと結論付け、ちょっと調子に乗ることにした。ネルは自身の前髪をかき上げ、


「でしょ〜? やっぱり庭師の才能あるよね、僕!」


「そこは魔法の才能って言えしっ! なに無詠唱で風魔法ぶっぱなしてんの!?」


「いや〜、これくらい頑張ればイスカもできるよ」


「無理だから! ツッコんでんの!」


 わざわざ魔法でそよ風を出して髪を靡かせると、イスカが堪らずといった様子で捲し立ててくる。


 その勢いに気圧され仰け反りつつ、ネルは「どうどう」と両手でイスカを宥める。


「私は馬じゃないしっ!」


 どうやら逆効果だったようだ。


 自分の行動がイスカの癪に障っているというのはネルも分かっている。だが、反応が面白いから止められない。


「やっぱりイスカは最高の友達だよ」


「は、はぁ……っ!? 急に何言っちゃってんの!?」


「ボケ甲斐があるからね〜」


「いやツッコむ身にもなれしっ」


 そういう所である。


 ネルは、イスカのきちんと返しをくれる律儀な部分が大好きだ。


 そんなことを面と向かって言ってはまた苦言を呈されるだろうから、絶対に口にできないが。


 ──ふと、ネルは頭上に広がる蒼穹を見上げた。


 激しい光を放つ太陽が視界に入る。当然、眩しいことこの上ない。


 ネルはすぐに目を逸らし、今度はイスカに向けた。


 金髪と白磁の肌が緑がかったようだ。元から緑色の瞳は更に色濃く映った。


「な、何……?」


「こういう時間が、ずっと続けばいいのになーって」


「今更どうしたし。らしくない」


「そうかなぁ……。いや、そうかも」


 今までの立ち振る舞いを顧み、微苦笑を浮かべる。


 リコは今までずっと、イスカに明るく接してきた。


 弱音や後ろ向きな言葉なんて一度でも口にしたことがあっただろうか。『らしくない』と思われるのも当たり前だ。


 しかし、実は『らしくない』部分こそがネルの根幹である。


 鍛錬に精を出すのは向上心からではなく、いつ襲われるか分からないという恐怖に由来するもの。


 意識して明るく振る舞うのはそれを悟られないようにするため。


 ネルは魔族に怯え、そんな弱い自分を看破されることにも怯える弱虫なのだ。


 親である風神ボロムスであれば、『別に悪いことじゃないっスよ』と慰めるだろう。


 それに対してレアヌスは『未熟者である証拠ね』と冗談交じりに叱咤するだろう。


 ──やっぱり、弱虫がバレるのは嫌だ。


 きっと、心の中には言葉以上の呆れが含まれている。『どうしてこんなに軟弱なのか』なんて一瞬でも思われたくない。が刺激される。


 それは、──駄目。


 一体──やめて。


  ──思い出したくないの。


 もう遅い。止まらない。制止を振り切って、いつか消えたはずの、黒歴史とも言える羨望で心が溢れ返る。


 あの人みたいになりたい。目立ちたい。輝きたい。でも追い越してはいけない。同じ場所に立ちたいんだ。


 それが、初めてイスカを目にしたときにネルが抱いた欲求。


 それを満たすため、まず最初に一人称を変えた。少しでも人の記憶に残りたかったから。


 次に大きな声を出す練習をした。誰かの耳に声を残したかったから。


 笑顔の練習もした。みんなに愛想を振りまきたかったから。


 ──そして、ようやく追いついたのだ。


 こうして共に肩を並べられるようになった。嬉しい。とても、嬉しい。


 この特等席にずっといたい。だから、いつまでも強い自分でありたいと願う。


 どれだけ才能に恵まれていても、心が弱くては決して彼女イスカと釣り合わないのだから。


 そう自戒したところで、ネルは自分が長い間棒立ちしていたことに気が付いた。


 ハッとして、元から視界に入っていたイスカに焦点を定める。どうやら、ぼーっとしていたネルに何も言わず付き合ってくれていたらしい。


 優しくて面倒見のいい彼女にネルはふっと笑いかけ、


「雑草の処理が終わったら、商店街に行かない?」


「ん、賛成」


 そんな短いやり取りの後、二人の魔女は庭園を後にした。

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