第39話 理性の欠如

 翌日の朝。暑い日差しの下、城に向かったジュードを出迎えたのは一人の王国兵だった。


「おはようございます、〈炎天の魔女〉様! ご要件は伺っておりますっ!」


「お、おう。そうか」


 おそらく新兵なのだろう。見ない顔の青年はジュードを前にして緊張しているのか、胸を張るどころか反らせて声を張り上げた。


 ジュードはその勢いに圧倒されそうになるが、気を取り直して話を進める。


「……話が早やくて助かる。で、書類はどこだ?」


「はいっ、応接間までお越し願います!」


「────」


「……えっと、その。場所が分からないようでしたら、案内しますが」


 おずおずと尋ねてくる新兵。ジュードはその申し出を忸怩たる思いで了承した。


 そうして、城内の事に疎いジュードが新兵の案内を受けること約五分。目的の場所に辿り着いた彼女を待ち受けていたのは既に開かれた扉と、片眼鏡を掛けた角刈りの男だった。


 歳の頃は二・三十代。太陽がジリジリと照りつける中でローブなどを羽織って暑くないのだろうか。そんな不安を感じさせないほど、その男は涼しげな顔をしている。


「さあ、お入りください」


「……邪魔するぜ」


 新兵に促されるまま部屋に入るジュードを、男の鋭い眼光が出迎える。革筒を携えていることから、彼こそが書類の受け渡し人であるとジュードは確信した。


 しかし、この様子だとあまり歓迎されていなさそうだ。男は革筒をテーブルに置いて腕を組み、ジュードを睨みつけながら、


「貴様か。魔女とかいう輩は」


「ウィスクル殿、言葉遣──いっ!」


 新兵はぎょっと目を見開くと、男をウィスクルという名で呼び注意する。しかし、その言葉はウィスクルが投げつけたスカラベ印章によって遮られてしまった。兜がはじいてくれなければ間違いなく額に直撃していただろう。


「きっ、急になんてことするんですか!」


「手が滑った。滑石だけにな」


「全然洒落になってませんからそれ!」


 そう指摘を受けたウィスクルが冷ややかな視線を新兵に送る。まるで「図に乗るな」と言いたげな表情を向けられ、新兵はハッと肩を揺らした。


「……失礼しました、魔女様。こちらは国家公認魔生物学者であらせられるマァナム・ウィスクル殿です」


「魔生物? 知らねぇな」


「……。貴様、まさかとは思うが、その程度の知識すら持ち合わせていないのか?」


 表情筋は微動だにしていない。しかし笑いを堪えているのは確かで、呼吸に僅かな乱れが生じている。耳にしたことがない単語に首を捻るジュードを軽蔑しているのは火を見るより明らかだ。


 ウィスクルは額に手を当て、声に落胆の色を交えながら続ける。


「〈炎天の魔女〉などど渾名あだなされているから如何な傑物かと興味を持って見に来たが、拍子抜けだな。これでは産まれたての赤子とそう変わらんではないか」


「この野郎……!」


 そこまで言われては我慢も利かない。ジュードは好き勝手ほざくウィスクルの胸ぐらに掴みかかろうと前へ進む。が──、


「おいテメェ、何しやがる! 離せ! 離せよ!」


「駄目です……! 落ち着いて、ください……ッ!」


 背後から羽交い締めを掛けてきた新兵によってその進行が妨げられてしまう。逃れようにも、『傷付けてしまうわけにはいかない』という思いから無理やり振りほどくことすらできない。


「どうか落ち着いてください魔女様……! ウィスクル殿も、さっきの発言は──」


「──そうだな、『産まれたての赤子』というのは大きな間違いだった。訂正する」


 先程の発言を恥じてか、首を横に振るウィスクル。「分かってくれたか」とジュードも藻掻くのを諦めた、その時。


「貴様は知性無き赤子などではない。理性無き猛獣だ」


 プツン、と。ジュードの中で、何かが切れた。


「おい、今のもう一度言ってみろ」


 更なる侮辱の言葉を受け、ジュードの思考は再び怒りの炎に焼き尽くされる。


 対して、そんなジュードを映すウィスクルの瞳は冷ややかで感情に乏しい。まるで、それを向ける価値すら無いとでも言うかのように。


「クソが」


 ──気が付いた時には新兵が床に、右頬を腫らしたウィスクルがテーブルの脚に背を預けて尻餅をついていた。いつの間にか、革筒はテーブルから落ちている。


 ──ああ、そうか。やってしまったのか。


 ジュードは己の右拳を強く握り、衝動に身を任せた行為を省みる。そんな中、ウィスクルが右頬を押さえながらゆっくりと立ち上がった。


「……無知、短気、浅慮。これらの何処に、理性があるというのだ」


「────ッ」


 責め立てるような口調と視線がジュードに深く突き刺さる。


 ウィスクルの言う通り彼女の行動は冷静さを欠き過ぎていた。これでは理性という枷から本能を解き放った獣と何が違うか分からない。


 自分は『魔女』だ。それなのにこんなことをして、フレイボルダの面汚しではないか。


「アタシ、は……」


 或いは、『魔女』を名乗る資格など無いのかもしれない。そう思い始めた途端、己の存在意義が分からなくなってきた。


 この国には吸血鬼族がいる。単独でサバクオオミミズを倒せる、頼もしい者達だ。


 それに引き換え自分はどうだろう。サバクオオミミズから逃げてばかりで傷一つ負わせることも儘ならず、喰われそうになった。


 あの時ダフニスが助けてくれなければ死んでいたに違いない。その時は何とも思わなかったが、今になって思い返してみると無様にも程があるだろう。


「あぁクソクソクソクソ!」


 腸が煮えくり返るような思いに呼応して周囲の気温が上昇する。ジュードは未だに自分の力を──それ以前に感情すら──制御するに至っていない。そんな未熟さが余計にジュードの劣等感を扇動する。


「くっ──!」


 ふつふつと湧き上がる自己嫌悪に耐えきれず、ジュードは部屋から飛び出した。まるで残響のような余熱を部屋に残して。



「あの、ウィスクル殿……っとと」


 何か声をかけようと立ち上がった新兵にウィスクルは革筒を投げ渡す。中に入っているのは魔族の情報が記されたパピルスだ。


 新兵は真意を測りかねて顔を見つめる。するとウィスクルは不機嫌そうに鼻を鳴らし、腕を組む。


「これ程不快な思いをしたのは産まれて初めてだ。私はもう、あれと顔を合わせることはないだろう」


「は、はぁ……」


 つまりウィスクルはこう言いたいのだろう。『もうジュードとは会いたくないからパピルスはお前が渡せ』と。


「いや子供ですか痛っ!? ──くはないですけど!」


 物申そうとする新兵に再度投げつけられるスカラベ印章は、やはり兜が防いだ。しかし、こうも敵意を向けられては心が痛む。


 ジュードもこんな気持ちだったのだろうか。などと烏滸がましくも人間なりに、魔女の気持ちを推し量る新兵であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る