惑う炎

第38話 懸念

 吸血鬼族の長クレスが従者ダフニスを置いて王都ザーバラを去ってから五日目の早朝。彼女は三十人程度の集団を率い、舞い戻ってきた。


「姫様! このダフニス、貴女あなたのご帰還を心よりお待ちしておりました!」


「うむ。大義であったぞ、我が従僕よ」


 かしずくダフニスに労いの言葉を掛けて微笑む金髪赤眼の吸血鬼、クレス。その柔らかな声色は従者を労る主というより、積年の恋人のようだ。


 下衆の勘繰りではなく本人達も公認の事実であるため、〈炎天の魔女〉ジュードはそれについて言及しない。そんな、普段は他者への過干渉を嫌う彼女にも気になることがあった。


「……まさかとは思うけどよクレス。ダフニスに【魅了の魔眼】を使ってるわけじゃないよな?」


「それなら既に破られている」


 行使したことはあるらしい。


「いやどんな精神構造だよ。コイツに猜疑心とか無いわけ? 本当は魅了されたままとかじゃねぇの?」


「ああ、確かに俺は魅了されているのかもしれない。他ならぬクレス様の在り方に……!」


 クレスが居なかった間は干からびていたはずの彼も今となっては水を得た魚のよう。目は爛々と輝き、興奮のせいか耳まで赤く染っている。


 そんな元気を持て余すダフニスを、クレスは目で諌めた。


「時に従僕。我が不在の間、不自由は無かったか?」


「はい! 皆さん、とても良くしてくれました!」


 便宜上クレスが逃亡を図らないための担保として、ダフニスの身柄は国が預かっていた。それが彼を王都に置いて行った背景である。


 時たま騎士団の稽古に付き合っていたが、何も問題は無かった。まあ、精鋭揃いの騎士団連中が揃って彼にボコボコにされたのはある意味問題かもしれないが。


 ともあれ皆、ダフニスを客人として丁寧に扱っていた。思えば、たったの数日で王都の面々とよく打ち解けたものだ。これも、彼の人の良さがなせる技だろうか。


 決して本人の前では口にしないであろう評価をジュードが下すと同時、吸血鬼の一人、栗毛の少女が申し訳なさそうに手を挙げた。


「あのー……そろそろ城の方に行きたいかも、なんて」


「それもそうだな。魔女ジュード、付き添いを頼めるか?」


 また騒ぎになっても困るからと付け加え、肩を竦めるクレス。面倒事は御免だという思いが苦笑いに表れていた。


 ジュードは「もちろんいいぜ」と頼みを引き受け、先頭に立って歩き始める。


 クレス一行と砂漠横断中に起きた出来事について色々な話をしながら城下町を抜けると、一同は城門に辿り着く。そこに立っていたのは門番一人。初めてザーバラに来たクレスと口論をしていた男だ。


 門番は見本のような敬礼をしたかと思えば、クレスの顔を見つけた途端に頬を引きらせながら頭を掻いた。兜の上からでは意味が無いだろうに。


「……いやぁ、あの時はすみません。まさか本当に吸血鬼族の長だとは思わず無礼な口を利いて」


「今更何とも思っておらん。謝らずとも良い」


「本当に申し訳ない。さ、皆さん入ってくれ。魔女様もどうぞ」


 門番はそう言って道を空け、へつらうようにお辞儀を重ねる。ともあれ、和解できたようで何よりだ。


 そんな感慨を抱きながらジュードが城の中へ入り、吸血鬼族たちもそれに続く。内装は相変わらず地味なものだった。


「え……? これが王城……?」といった数名の割と失礼な反応も想定済みである。かと言って弁明することなど一つも無いためジュードは黙っておくことにした。


「……ところでクレス様、無礼な口っていうのは? 何か言われたんすか?」


 ここまで来ると城のことについて話題にもしたくないのか、先程の門番とのやり取りが蒸し返された。とは言えここは既に城の中。声の大きさは控えめだ。


 そこら辺を弁えているらしい少年吸血鬼の問いにクレスが答える。


「あぁ。あの男、我が吸血鬼族の長だと名乗ったら『子供のごっこ遊び』と鼻で笑いおったのだ」


「……クレス様の言葉を信じないどころか、子供呼ばわりだって? 許せねぇ……」


「一旦落ち着いてったら。ほら、よしよし、どーどー」


 眉間に皺を寄せる少年を、栗毛の少女が慌てて宥める。やや馬鹿にしているような感じがするのは気のせいだろうか。


 その一方、どこかで似たような流れを見たことがあるぞ、と既視感に首を捻るジュード。チラリとダフニスの方を見ると、彼も頬に一筋の汗を垂らしていた。


「なんつーか、慕われてんだな」


「ああ。至高の御方だ」


 深く頷き、ダフニスは自慢げに胸を張った。



 ──斯くして、一行はデザーテック国王と謁見を果たす。例の如く、王を前にして跪く者はいない。


 ダフニスやクレスは慣れたようだが、やはり常識を疑い、互いに顔を見合わせる者は多い。ジュードでさえそういう反応が段々と気にならなくなってきたというのだから慣れとは恐ろしいものだ。


 国王も何処吹く風とばかりに取り合うことをせず、本題に入る。


「吸血鬼族の諸君、よくぞここまで来てくれた。私がこの国の王であるアジィル・デザーテックだ。君達を心より歓迎すると共に助力を願いたい」


「無論だ。有事の際とあらば我々の力、貴国のために惜しみなく振るわせて頂こう。この血に誓って」


『──この血に誓って』


 胸に手を当てて語るクレスの言葉を、この場に集う全ての吸血鬼が声を揃えて口にする。或いはその文言こそ、血液を糧に生きる者が己の義心を示すために用いる言葉なのかもしれない。



 謁見を終え、用意された客室へと案内を受けた吸血鬼族。その背を見送り、ジュードも立ち去ろうとしたその時。


「待ってくれないか、魔女ジュード。君に話しておきたいことがある」


 いつになく真剣な顔つきのアジィルがジュードを呼び止める。一体何事かと、ジュードは目で話すよう促した。


「君は、初めてダフニスとクレスが来た時に交わした取引きの内容を覚えているかな」


「んっと……あいつらを受け入れる代わり、魔族の戦力に関する情報をくれってヤツか?」


 ジュードが五日前の記憶を呼び起こして思い当たる事柄を口にすると、アジィルは「そうだ」と首肯して続ける。


「先日、ダフニスが情報を全てパピルスに記してくれてね。その中に一人だけ、気になる者がいた」


 そう言って玉座に腰掛けたまま前屈みになると、アジィルは神妙な面持ちで口を開いた。その人物とやらの名を伝えるために。


「〈錬魔十騎〉【多貌たぼう】のアスター。なんでも、変化へんげを得意とする千姿族の筆頭、だそうだ」


「…………そりゃまた」


 なんと厄介な、と。声に呆れを孕ませて、ジュードは嘆息する。


 取り敢えず、王都に身を置く者だけでも全員が本物か見極めるべきだろうか。そう思案してすぐ、それがあまり現実的ではないことに気が付いた。


「とにかく、あんがとな。親父に話せば他の神にも情報が共有されるだろうぜ」


「……炎神様以外の、他の神か。規模の大きい話だな。想像がつかないよ」


 感嘆するように、アジィルが大きく息を吐く。


 神の存在が証明されたこの世界において唯一神教は存在意義を失った。そのために、デザーテックの中で最も信者が多いボアラ教も方針の転換を余儀なくされている。


 今は人種や宗教の壁を超越した協調が求められる時代。その輪を乱し、互いに攻撃し合っては魔族に付け入る隙を与えてしまう。それだけは何としても避けねばならないのだ。


 ──とは言え、中には動向が全く知れない国もある。


 雪に包まれた北の国、フロスティア共和国。かの地では未だ、魔女が生まれたという報告が上がっていない。何か理由があるのだろうか。


「……ま、今気にしても仕方ねぇか」


「? どうした、何か言ったか?」


 そう問いかけてくるアジィルに対して内心の懸念を振り払うように首を振り、


「いや、何でもねぇ。それより──」


「言われなくとも分かっている。パピルスの写しが欲しいのだろう? 明日にでも取りに来てくれ」


「んじゃあ、明日の朝で」


 そう約束を取り付け、ジュードは今度こそ帰ろうと身を翻す。その背に再び声がかかることはなかった。

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