第2話 神々、動く

 神界。


 神々の住まう地であるからして、そう呼ばれるのはごく自然なことだろう。


 全人類がその存在を確信して疑わない。しかし人類がどれ程文明を発展させようと、空の彼方に在る神界に辿り着くことは不可能だ。


 文字通りの聖域たるかの地には、大理石の建物群が点在している。これらは少しでも生活感を出すため、人間の都市をそのまま複製したものだ。


 模倣都市中央に位置する城には、一柱の神が住んでいる。


 ──創世神アロー。


 その肩書きの指すとおり、神界や人間界といった『世界そのもの』を創り出した神である。


 しかし、そんな偉大な女神の眉間には今、とてつもない数のしわが刻まれていた。


「うぅん、どうすれば……」


 顎に手を当て、玉座に腰掛けながら低く唸るアロー。


 今彼女の頭を悩ませているのは、数分前の声明である。


「──人間の撲滅、か」


 気怠げに、しかし真剣に。アローは魔族の王──即ち、魔王と名乗った者の言葉を反芻する。


 魔族はヒトと異なる容姿や能力の異端さから迫害され続けた人種。


 つまり反旗を翻す理由があれば、意義もある。今回の騒動は起きるべくして起きたものかもしれない。


 とはいえ、人間勢力による最後の大規模な魔族の討伐活動──『第四次魔族粛清』から、既に三百年もの月日が経過している。


 その間に生き延びた魔族は絶海の孤島に逃れ、身を隠すように暮らしていた。


 決して短期間の出来事ではなかった。魔族の存在は人々の記憶から忘れ去られ、今やおとぎ話や空想上の種族とさえ認識されている。


 ゆえに今世代の人間が恨まれる筋合いは一切無い。一族同罪と言われてしまえばそれまでだが。


「……いや。突き詰めるべきはそこじゃない」


 『どうしてこうなったのか』を考えるのもいいが、一番大事なのは『これからどうするのか』である。


 アローはこれまで、地上の動向はあくまで傍観すべきだと考えていた。しかし、そのせいで魔族粛清などという悪しき習慣が生まれたのなら、考えを改めなければならない。


「まったく……どうしてこんな事になったんだ、っと」


 アローが指を鳴らすと、一冊の分厚い本が手元に収まった。


 ──〈規定写本ルールブック〉。神界における慣習法や神々に課される規則などが記されたものだ。


 アローは、この〈規定写本ルールブック〉を加筆修正する権利を持っている。


「規則改定。創世神アローの名のもと、以下のように修正する。『人間界の種族間勢力がどこか一方に偏った際、神は介入する権利を得る』。修正実行……完了」


 思いつきとも取れるスタンスの変更には、かつて魔族に降りかかったような災難を繰り返してはいけないという戒めも含まれている。


 もっとも、その魔族に立ち向かうための過程だというのだから皮肉なものだ。


「……でも、やるしかないんだ」


 覚悟を決めたアローはゆっくりと腰を上げ、声を遠くに飛ばすイメージで語りかける。


「我が元に集え、同胞たちよ」


 アローが仰々しい口調で号令をかけると、謁見の間に七柱の神々が現れた。ほとんどの者が瞬間移動を用いてこの場にやって来たのだ。


 ──ただし、一柱を除いて。


「炎神フレイボルダ、お前という奴は……」


「なんや、どないしたん? そんな怖い顔しよって」


 その例外たる者──炎を司る神フレイボルダ。特徴的な話し方でとぼける彼に、アローは人差し指を突き付ける。


「『どないしたん?』じゃないだろう! いつもいつも扉を蹴破って! 私に余計な力を使わせるなと言ってるのに、お前ときたら!」


 アローは怒りながら新たな扉を創造する。どうせまた壊されるならと、わざとみすぼらしい見た目にして取り付けた。


 豪奢な城に木質感丸出しの扉という組み合わせは何とも不釣り合いだが、これで妥協せざるを得ないだろう。


 蹴られても壊れない扉の創造が可能ならば苦労は無いというもの。神の力も案外、便利なものというわけではないのだ。


「扉破ったんは素直に謝るわ。けど、そろそろ本題に入ってもろてええ?」


「あっ。ああ、そうだな」


 扉を直したことで満足してしまい、本題に入るのをすっかり忘れていた。千年以上生きていると物忘れが激しくなる。


 アローは──元を辿ればフレイボルダのせいとはいえ──神々に「すまない」と一言謝罪し、コホンと咳払い。


「…………っ」


 皆がアローを見ている。まるで値踏みされているようで気味が悪い。


 だが、臆してはいけない。創世神として、神々の『これから』を宣言するために。


 覚悟は決めた。


 足りないのは言葉だけ。


 彼らは、その言葉をこそ望んでいる。


「……皆も既に知っての通り、魔族がヒトの掃討を目論んでいる。そこで私は人間界に干渉し、ヒト側に着くことにした。私を同志と思う者に、助力を願う」


 これはきっと、神々の在り方を左右する重要な選択だ。アローは決して迷ってはいけなかった。小さな迷いが秩序の崩壊をもたらす時もあるのだから。


 ゆえに世界の存亡を双肩にかける者として、あるべき姿勢で臨んだつもりだった。


 ──そこに、何やら言いたげな顔をした神が一柱。


「……光神ミルニル。言いたいことがあるなら聞くよ」


「いやいや。人間側に着くという意見自体には、わしはもちろん皆も揃って賛成じゃろうよ」


 老人の姿を取った神が、顎に蓄えた長い白髭を撫でながらそう言った。


 『意見自体には』という部分に含みを感じたアローは、ミルニルに話を続けるよう促す。ならば、とミルニルも躊躇うことなく口を開く。


「一つ質問じゃ。おぬし『騒動に介入する』と言うたな。それは、儂ら神々が人間界に足を下ろし、魔族めらと戦うということかね?」


「まあ、そうなるな」


 そんなアローの肯定に、異議を唱える神が一柱。


「ちょ、本気ッスか!? 人間界で力なんて出したら世界の滅亡間違いなしッスよ! そんなことになったら目も当てられませんって!」


 そのように反論したのはミルニルではなく他の神だった。いつも爽やかな青年風の彼はアローを諭すように続ける。


「俺ら神の力ってのは、自分たちが思っているより強大なんス。これは自惚うぬぼれじゃないっスけど、おそらく俺の風ひとつで地図が変わります。この意味、アローさんなら分かるっスよね?」


「それは──」


 ──分からないわけではなかった。いや、寧ろ分かっていた。


 分かっていたからこそ、今まで傍観者を気取ってきた。


 神の力が地上に及ぼす影響は計り知れない。


 下手を打てば、本来守るべきものを傷付けてしまう可能性だってある。アローはそれが嫌だったのだ。


「だったら、やはり神が人間を救うなんてできないのか? 私達は傍観者にしかなれないのか……?」


 無力感に苛まれながら、アローは無意識のうちに拳を握りしめる。強く握りすぎたのか、掌から滲んだ血が爪を赤く染めあげた。


 それを指摘する者はいない。この場にいる全員が、同じ気持ちだったから。


 助けたくても助けられない。なんともどかしく、焦れったいことだろう。


 身に余る力さえなければ人に手を差し伸べることができたのだろうか、と。


 ──いや。そもそも神に力を与えたのは人間の強い信仰心。


 ともすれば、神として生を受けた時点でアロー達にどうこうする術は無い。


「私が、神じゃなければ……」


「──それや、アロー!」


 パチン、と誰かが指を鳴らす。その誰かはすぐにフレイボルダだと分かった。


 見れば、彼はにやりと不敵な笑みを浮かべている。まるで「いいことを思いついた」と言わんばかりの表情である。


 ──彼ならば、もしかしたら。淡い期待を寄せ、炎神に問う。


「フレイボルダ、何か思い浮かんだのか?」


「せや。介入するんが神ほど強くなけりゃええんやろ? なら、神の代わりになる代行者を立てれば解決やん」


 フレイボルダの言葉に、アローははっと目を見開いた。


 神は同等以上の存在を創れない。被造物は神より劣ったものになるのが道理。


 ならば、そのことわりの上で創られた代行者に、世界の有様を変えてしまうほどの力は無いのではないか──というのが彼の意見だった。


「どや? 中々上出来やろ?」


「ああ。心情的には同意し難いが、アリだ」


 アローのお墨付き(?)を貰ったフレイボルダが「よっしゃ」と小さくガッツポーズをとる。


 あとは──、


「風神ボロムス、ならびにそのほかの神よ。フレイボルダに反対意見のある者はいるか?」


「……いや、特にないっスよ。いいんじゃありません? 代行者作戦」


 数秒の後、青年──ボロムスは首を横に振りながら、フレイボルダの案に賛成の意を示す。ほかの神々もタイミングは違えど似たような反応だった。


 代行者に頼るという他力本願の作戦だ。中には反対意見の者もいるだろう。そういうのは見れば分かる。アローもその中に入っているのだから。


 先程から妥協してばかりな自分に溜息を吐き、


「──我々かみがみに代わって、人間を守護してもらおう」


 アローの呟きは、自嘲を兼ねた切実なる願いだった。それを叶えるために、神々が動く。

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