第31話 今際の願い

 旧時代にエアルトスで起きたことを、レアヌスから教わったことがある。


 ミーニー・マウロの教会追放を発端とした東部の独立戦争。そして、マウロ聖皇国の誕生。


 〈雷鳴の魔女〉と〈光輝の魔女〉が相対するこの構図は、図らずも独立戦争の時と酷似したものであった。


 或いは宿命とも言えるのかもしれない。寛容クラレウス派と必罰ミーニー派の戦い。その再現である。


「まあ、負けるつもりは無いし?」


「この状況で、何を!」


 そう叫びながら剣を振るうリコの動きを瞬時に見極め、杖を正面ではなく右で構える。


 そのまま振り下ろされた刃がイスカの無防備な左の脇腹に狙いを定め──、


 次の瞬間、金属同士のぶつかり合う音が鳴り響き、杖が震える。


 リコの姿が、視界の右端に移る。まるで、初めからそこにいたかのように。


「そんな……ッ!」


 息を詰まらせたのはイスカではなくリコ。驚く彼女のツラを拝み、イスカはそっとほくそ笑む。


 ──思った通り。


 リコの姿がぶれる仕組み。それはただ幻を見せるだけの術ではない。


 イスカにかけられていたのは『対象の視界を切り取る』魔術。


 その力で、本来なら視界の右端に映るはずの姿を真正面に見せていたのだ。もしあのまま己の視覚に騙されていたら右腕を斬り落とされていたかもしれない。


「……重いって、の!」


 そう言いながら、イスカは両腕に力を込めてリコを押し返す。次いで、仰け反った隙を狙って杖を前に突き出した。


 流星の如き速さで繰り出された突きが、一直線にリコの顎へと吸い込まれていく。


「あぐっ……!」


 当たり所が良かったらしい。直撃を食らったリコは呻き声を上げ、その場に倒れ込んだ。


 ──息を整える暇は与えない。ただ、敗北という名の罰を罪人に。如何に寛容と言えど、眼前の白魔女は許すに足らないのだから。


「それ、返してもらうから」


 リコが握る〈裁キノ剣〉に手をかざすと、持つべき者を見つけた剣がイスカの手に収まった。


 感触を確かめるように柄を握りしめ、振り上げる。まるで、天に座するレアヌスにしるしを挙げるかのように。


「だ……かい」


 リコが掠れ声で発した一言を、イスカは「フン」と鼻で笑う。


「打開ってまさかこの状況を? もう無理だって──」


「【穿光センコウ】」


 今度は、はっきりとそう聞き取れた。


 嫌な予感や悪寒がするより早く、慢心する判官の腹に魔法陣が突き付けられる。


 近付くべきではなかった。〈裁キノ剣〉の回収は後回しでよかった。


 無論そんな後悔などする間もなく──、


「これなら、外しません」


 イスカの身体が、光の槍に貫かれる。四方八方から、幾度となく、しつこいくらい。


「────あっ、ぅ、ぁ」


 【穿光センコウ】の勢いに押されて足が勝手に動く。その様は、まるで人形劇でステップを刻むマリオネットのようにも見える。


 しかし、それを愉快と笑い飛ばす余裕など今のイスカにはなかった。


 ──空いた穴から吹き込む風に、損壊した中身を撫で回されて痛い。その風穴からとめどなく流れ出る生暖かい液体が全身を塗りたくって死ぬほど気持ち悪い。


 ──ああ、ネルには酷いことを言ってしまった。贈り物をくれた彼女に『センスが無い』なんて言うべきではなかった。後で謝らなければ。しかし、足が思い通りに動かない死ぬ。そもそも付いているのだろうか。確かめたくても目が開かない。平衡感覚さえもあてにならず、今自分が立っているのかすら分からない死ぬ。


 あと何度、貫かれればいいのか死ぬ。一秒がとても長く感じられ死ぬ。この地獄のような時間はいつまで死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 嫌だ。まだネルを理解していない。それより先に死ぬなんて、できない。すぐに魔法を、反撃を。


「────」


 口を開ける。しかし声が出ない。その代わり灼熱が喉を通って上昇してきた。途端、鉄のような味が口中に広がる。


「お、ぶ…………っ」


 耐えきれないとばかりにイスカはその液体を吐き出す。


 ──気持ち悪い。変だ。止まらない。熱い。苦しい。辛い。身体中に循環していた何かが減っている。もう駄目だ、助からない。


「では、お休みなさい」


 半死半生のイスカの元に足音がすり寄ってきた。逃れようのない、完全な死の足音が。


「……ネル、あとは──」


 全てを諦め、己の死を受け入れようとしたその時。


「ぁ、うぅッ……頭、が……!」


 ──突然、リコが尋常でない呻き声を上げる。


「これは……まさか……!」


 どうやら心当たりのあるらしいリコと違って何が起きているのかさっぱり分からないイスカは、これを好機と捉え、その場からの離脱を図る。


 とにかく逃げろ。イスカの生存本能がそう告げていた。みすぼらしくてもいい。もうなり振り構っていられない。


「逃がすわけ、ないでしょう……ッ!」


「あ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!」


 ──太腿、痛い。刺された。【穿光センコウ】か、それとも〈裁キノ剣〉が再びリコの手に渡ったのか。ダメだ、分からない。とにかくここから逃げ──


「づ、ぁぁぁぁっ!」


「動くと……苦しいですよ……」


 パニック状態に陥ったイスカを襲うのは引き裂かれるような激しい痛み。決して形容などではなく、実際になっていた。


 もう動けない。太腿に刺さった剣が杭になっているというのもあるが、要領を超えた痛みの連続で、身体も心も限界を迎えつつある。


 地に繋ぎ止められ、だらしなく伏すイスカはこの時、初めて土の味を知った。しかしこの味わいも、最初で最後。


 天秤の駆動音が、終わりを告げる。


「引導を渡してあげましょう。第四階位・【裁キノ光】」


 最後に聞こえたのは淡々と詠唱するリコの声だった。


 神々しい光に灼かれながらも、イスカは自分の居ない未来に乞い願う。


 ──ネル、どうか生き延びて。



 イスカの死を見届けた〈光輝の魔女〉リコは、イスカの腿に突き刺さった剣を引き抜き、血を払う。


 ──また、殺した。イスカの悲鳴がまだ耳に残っている。でも、やはり。


「……何も感じない」


 魔術を看破された。〈裁キノ剣〉を奪われかけた。途中までイスカに分があった。


 しかし、それを何とも思わない。自分を超えるかもしれなかった相手に、歓喜や興奮を感じない。やはり自分は欠陥品なのだと、そう思わされる。


 自分が求めているものは一生手に入ることがない物なのか。それを考えるだけで、頭が──


「────う、ぐ……!」


 まただ。一度目、イスカを手にかけようとした時に感じた頭痛。それが再び襲ってきた。


 まるで頭蓋骨に穴をあけられるような痛みに耐えきれず、うずくまる。


「あ、あぁぁぁ……っ!」


 ──これは何だ。まさか、ミルニルが──


「いや有り得ない……アレは確かに、私が……」


 ──本当にそうか? アレが消滅する瞬間を、この目で見たか? 答えは否だ。


 聖皇国の民を全滅させ、リコは光神ミルニルを吸収した。しかし、それが消滅の証明にはならない。


 ならば、確かめる必要がある。


「……また、神界に行く理由が一つ増えましたか」

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