第21話 裁きの光

 ──〈光輝の魔女〉リコ・ミルニルは人間が嫌いだ。


 彼らは異物を徹底的に排することでしか安寧を得られないと考えている。


 もちろん、それが唯一の方法だという場合があるのはリコも承知の上だ。


 だからこそ、なんの罪も無い魔族を虐げた人間に対して怒りを抱いていた。


 侵略されたわけでも下に見られていたわけでもなく、実に対等な関係を築いてきた隣人。それを簡単に蔑ろにしたことが許せない。


 そして現代、歴史を繰り返そうとしている魔族の愚かさも。


 何より、魔族粛清によって人間界が血にまみれたにも関わらず傍観を決め込んでいた神々が憎い。


 ゆえに、リコは決めた。


 『人間を、魔族を、世界を、果てには神をも滅ぼす。その後は己が神となり、真の理想郷を創るのだ』と。



 聖王オクトヴィウスが魔女によって亡き者にされたという事実は瞬く間に広まった。今や聖皇国に身を置く者なら誰もが知っていることだ。


 しかし、王の死を憐れむ者は一人としていない。


『王は魔女の意に反するようなことをした。だから殺されたのだ』


 その信心深さから、誰もがそう思っていた。


 ゆえに広場に集まった数千の民衆の中に危機感を持つ者はいない。


 名目は魔族の本拠地である孤島に突入するための決起集会。主催者は他ならぬ〈光輝の魔女〉リコ・ミルニルである。


 無論、聖王の『民の麻薬ひかりになってほしい』という馬鹿げた遺言に従うつもりなどリコには毛頭ない。


 壇上に上がる白い装いの彼女を、民衆は希望に満ちた眼差しで見つめていた。


 その視線に応じるかのようにリコは口を開く。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。私は信じていました。あなた方は必ず正義の役目を全うしてくださると」


 魔女の紡ぐ一言一言、その全てに民衆の歓声がかかる。


 リコからしてみれば耳障りな雑音。しかし苛立ちを顔に出すような真似はしない。


 危機感を持っていないにしても、少なからず彼らから疑念は抱かれているだろう。


 まず行うべきは自分が味方であると思わせることだ。聖王殺害を話題に出したり、民を無下にするようなことをしてはならない。


「この場をお借りして、人と魔族の確執をお話しましょう。全ての始まりは三百年も前のこと──」


 そこで、リコは彼らの意識を自分から魔族に向けさせるべきだと判断した。


 史実を誇張し、魔族を完全な悪者に仕立てる。


 声に熱を込め、大義が人間側にあると思わせる。


「──共に抗いましょう! 魔族からの理不尽極まりない侵略から!」


「おおおおお────っ!」


 たった二つの点に留意するだけで、無知な愚民達の心は容易く掌握できた。


 魔族の存在が忘れ去られていた現代だからこそ効果的なプロパガンダ。これに心を動かされない者は聖皇国にいない。


 もしもいるのなら、その者は魔女を心から信奉していないということになる。


 ──それでは、困るのだ。


 リコが目的を果たすためには、どうしても聖皇国民の信仰心が必要だった。


 そして今、この場には信心深い信者だけが集っている。


 条件は満たされた。あとは実行あるのみ。


「さあ、きましょう! 正義の天秤と剣を掲げよ!」


「正義の天秤と、剣を掲げよ!」


 熱に浮く民衆の掛け声。それに合わせて、リコの背に天秤が現れる。


 これはただの飾りではない。対象の魂の在り方を問い、善であれば右に、悪であれば左に傾く仕掛けが施されているのだ。


 リコは迷わず、民衆を対象にその能力を発動させた。


 なにせ大人数の判定。酷使される天秤はギギギと重苦しい悲鳴を上げ、ゆっくりとに傾いていく。


 ──ちなみに、善悪の基準は天秤の使用者であるリコに拠る。


 左に傾く条件は聖王を殺害した時と同じく、『光神ミルニルと魔女リコを信仰する者』だ。


は、滅びる定めなのです──!」


 天秤が完全に左傾するのを確認したリコは満足げに頷き、両手を広げる。


 まるで全てを受け入れる慈母像の如き姿に、民衆の歓声は一際大きいものとなった。


 熱狂が広場を支配する。そして──、


「第四階位・【サバキノヒカリ】」


 民衆の歓声に紛れ、掻き消えるリコの詠唱。しかし、詠唱を行ったという事実までが消えたことと同義ではない。


 リコの周囲、魔法陣がまばらに展開される。


 明らかな攻撃の意図を感じ取った民衆は背を向け、走り始めた。


 しかし、逃げることは叶わない。なぜなら──、


「──『天網恢々てんもうかいかいにして漏らさず』……教義でしょうに」


 直後、明滅。目を覆うことすら許されないほどの激しい光が広場を満たす。


「────」


 まばたきも間に合わないくらい短い間、リコは光の中で起きた惨状を遠目に見つめていた。


 ──人が、ける。


 一人、十人、百人、千人。


 人間の脳では決して処理しきれない速さで、灼ける。


 なのに、心は動かない。聖王の命を奪った時と同じように。


 後悔も鬱屈も憐憫も歓喜も感じない。


 ──救世主と信じた者にこのような裏切り方をされ、光に身を灼いた者達は何を思ったのだろう。もしかしたらその暇さえ無かったかもしれないけれど。


「嗚呼」


 こうして被害者達の気持ちに寄り添っても、何一つ感じないのか。


「…………いえ」


 無駄な思考を止め、リコは周囲を見回す。


 先程まで熱狂していた民衆は、既に影も形も残っていない。


 そのことごとくが、裁きという名の大量虐殺によって散ったのだ。


 面倒な作業だな、とリコは思う。


 【裁キノ光】は一瞬で広範囲を攻撃できるが、天秤で悪と判定された者にしか効果が無い。


 つまり、この作業を街の数だけ行わなければならないのだ。もたついていては残りの聖皇国民に逃げられ、神々の妨害を受けてしまう可能性があった。


「少々、急ぐ必要がありますね」


 魔力を全身に回して身体強化を行い、リコは超人的な脚力で大地を蹴る。


 そして──、


「……これで最後です。第四階位・【サバキノヒカリ】」


 もう何度目かも忘れた詠唱を行い、魔法を発動させるリコ。


 次の瞬間、町中が白い光に包まれ、そこにいた人間が跡形もなく消え去る。


 目的の達成を確認した彼女の肩はその疲労度を示すかのように上下し、酸素の供給を急かしている。


 ともあれ、これで光神ミルニルを崇める者は人間界からいなくなった。


 それが何を意味するのか言うまでもないだろう。


 光神ミルニル、かの老いぼれの死である。

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