④戦後の行方
軽の境原宮は、奈良盆地の南奥で、東と西と南の三方を丘で囲まれている。
多芸史彦は境原の宮に着くと、急いで狗古智卑狗に面会を求めた。
「多芸志彦よ、ご苦労であった。圧勝したそうで何よりだ。しかし、奴国兵を大勢、わざわざ捕虜にしたそうだが、何故殺さないのだ?」
「殺せば恨まれて、報復が始まります。
倭女王と倭王に支援を頼んだのは、我が国なんですよ。支援を頼んでおきながら、侵入したので皆殺しにしましたでは、何のための戦なのでしょうか?」
「奴国が先に攻めて来たんだぞ。何の遠慮がいるもんか。
全ての国を統一して、我が国に真の平和を招くために、必要な戦に決まっている」
「いつ迄ですか?」
「統一が完了して、相手が二度と逆らおうと思わないほど叩きのめした時までだ」
「奴国と直接話し合う余地が無いのは解りますが、邪馬壹国や不弥国を通じ、和議を申し込むことは出来ませんか?
今回、運良く勝つことが出来ましたが、どれ程保つか分かりません」
「多芸志彦よ臆したか、今回は奴国軍だけで、大倭国連合軍は戦闘に加わってない。こちらが邪馬台国連合軍で戦えば、勝てるだろう」
「それはそうですが、こちらが連合軍で臨めば、あちらも大倭国連合軍として、出兵せざるを得なくなります」
狗古智卑狗にも、最終的には、独断で決めることは出来なかった。
狗古智卑狗は卑弥弓呼に決めて貰うべく、多芸志彦を同道の上、朝廷に参内した。
「卑弥弓呼様、多芸志彦が戦場より戻りました。
五百もの奴国軍を打ち破ったそうです。お褒め頂きたくお願いします。
更には、捕虜の処遇と今後の戦の方針を賜りますよう、お願い申し上げします」
卑弥弓呼は、半分喜び半分悩みながら、言った。
「多芸志彦よ、大儀であった。少ない守りで良くやった。褒めて遣わす。だが余は、これ以上の戦はしたくないのだ。勝っても負けても、報復の繰り返しだからな。
前回の交渉は上手くゆかなかったが、再度伊都国の爾支が仲介に来てくれている。取敢えずの休戦と、奴国が将来に亘り侵略しないとの約束を、取り付けるつもりだ。受け入れれば、捕虜を返す」
伊都国の文官爾支と筑後奴国の文官ジマクが軽の境原宮に来て、狗奴国との和平を交渉した。
纏まらなかったが、一年間の休戦の約束と捕虜の返還を条件に、互いに譲歩した。
西暦240年、1月。
魏の明帝の喪が明けて、魏の朝廷は、倭王と倭女王宛の、詔書と印綬と恩賜品を、帯方郡に向けて発出した。
その年の夏、帯方太守は、帯方郡使として建中校尉を、伊都国に派遣した。
建中校尉は、伊都国を訪問し、倭王の天帯彦と、倭女王の卑弥呼に拝謁した上で、金印を仮授し、詔を齎し、好物を賜った。
倭王は、帯方郡使に上表文を託し、魏の皇帝の詔恩に感謝申し上げた。
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