第三章 奴国侵入 ④戦後の行方

 軽の境原宮は、奈良盆地の奥の方で、東と西と南の三方を、丘で囲まれている。


 境原の宮に着くと、急いで狗古智卑狗に面会を求めた。


「多芸志彦よ、ご苦労であった。

 奴国兵を大勢、わざわざ捕まえたそうだが、何故殺さないのだ?」


「殺せば恨まれて、報復が始まります。何の為の、戦なのでしょうか?」


「国を統一し、我が国に平和を招く為の、必要な戦に決まっているだろう」


「いつ迄ですか?」


「戦が終わるまでだ」


「奴国と直接話し合う余地が無いのは解りますが、邪馬壹国や不弥国を通じ、和議を申し込むことは出来ませんか?

 今回運良く勝つことが出来ましたが、どれ程保つか分かりません」


「多芸志彦よ臆したか、今回は奴国軍だけで大倭国連合軍は戦闘に加わっていない。こちらが邪馬台国連合軍で戦えば、勝てるだろう」


「それはそうですが、こちらが連合軍で臨めば、あちらも大倭国連合軍として、出兵せざるを得なくなります」


 狗古智卑狗にも、決められなかった。


 狗古智卑狗は卑弥弓呼に決めて貰うべく、多芸志彦を同道の上、宮城に参内した。


「卑弥弓呼様、多芸志彦が戦場より戻り、五百の奴国軍を打ち破ったそうです。お褒め頂きたく、お願いします。

 更には、捕虜の処遇と今後の戦の方針を賜りますように、お願い申し上げします」


 卑弥弓呼は、言った。


「多芸志彦よ、大儀であった。少ない守りで良くやった。褒めて遣わす。だが余は、これ以上の戦はしたくないのだ。勝っても負けても、報復の繰り返しだからだ。

 前回の交渉は上手くゆかなかったが、再度伊都国の爾支が仲介に来てくれている。取敢えずの休戦と、奴国が将来に亘り侵略しないとの約束を、取り付けるつもりだ。受け入れれば、捕虜を返す」


 伊都国の文官爾支と、筑後奴国の文官ジマクが、利益を追求して和平を交渉した。纏まらなかったが、一年間の休戦の約束と、捕虜の返還を条件に、互いに譲歩した。



西暦240年、1月。


 魏の明帝の喪が明けて、魏の朝廷は、倭王と倭女王宛の、詔書と印綬と恩賜品を、帯方郡に向けて発出した。


 その年の夏、帯方太守は、帯方郡使として建中校尉を、伊都国に派遣した。


 建中校尉は、伊都国を訪問し、倭王の天帯彦と、倭女王の卑弥呼に拝謁した上で、金印を仮授し、詔を齎し、好物を賜った。


 倭王は、帯方郡使に上表文を託し、魏の皇帝の詔恩に感謝申し上げた。


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