第六章 援軍要請 ①魏の調査
西暦244年、夏。
魏の朝廷は、掖邪狗等七人を率然中郎将に任命した上で、彼らが大倭国に帰るのに合わせ、大倭国連合からの支援要請への対応として、狗奴国の武力の実態を調査する役人を派遣した。
魏の調査員は、伊都国に到着して早々に難升米に案内され、近畿に調査に訪れた。
調査員は秘密裏に、狗奴国が近畿奴国から攻略した亀岡盆地を、視察した。
狗奴国は、占領した亀岡城を拠点にして、八木の岡にも砦を築いていた。
盆地を囲む山の上から見下ろすと、城と砦には、多くの兵と武器が溢れていた。
兵隊の動きは活発で勢いがあり、武器の中には中国では見慣れた連弩や投火機が、所狭しと置かれてあった。
調査員は、首をかしげて、難升米に質問した。
「難升米殿、狗奴軍は何故あんなにも多くの、新型の武器を持っているのですか?」
「詳しくは解りませんが、どうやら内密に、中国から買っているようなのです。魏でないなら、蜀か呉から買っているのでしょう」
狗奴国は、亀岡盆地だけではなく丹波篠山まで、勢力を広げる勢いを見せていた。
此の儘では、近畿奴国の全ての領土が、占領される恐れがあると思われた。
調査員は、早急に大倭国連合への武力支援が必要だと確信して、伊都国を経由し、急ぎ魏に戻っていった。
西暦244年、秋。
倭王の天帯彦は、魏から音沙汰が無いので、帯方郡から武力を支援して貰うべく、難升米を、帯方郡を経由して魏の朝廷に、再度派遣した。
魏の皇帝は倭王に対し、中郎将の難升米に武器と黄幢を授ける、との詔を出した。
詔に依ると魏の皇帝は、帯方郡の太守に対して、使者を派遣して詔書と黄幢と武器を持って大倭国に行き、難升米に仮授するように、と命じていた。
難升米は、大いに喜んで武器と一緒に帰国するべく待機していたが、武器が大量で揃えるのに時間が掛ると言うので、伊都国で受け取る準備をする為、武器が揃う前に一足先に帰国した。
西暦245年、春。
朝廷から帯方郡に、詔書と黄幢と武器が到着した時、不幸にも、郡に不満を持った濊と韓が反乱を起こして、帯方郡を攻めた。
楽浪太守劉茂は、帯方太守と共に軍隊を指揮し濊と韓を討伐する事に成功したが、帯方太守弓遵は戦死した。
そのため、難升米に仮授される筈だった詔書と黄幢と武器は、帯方郡に留め置きとなり、魏の朝廷から大倭国連合への武力の支援が実行される機会は、当分の間、無くなってしまった。
同じ頃、近畿の邪馬台国連合では、滋賀と福井の越人が近畿奴国の舞鶴と宮津に、和歌山の狛人が巴利国の淡路と躬臣国の徳島に、攻め込んだ。
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