第六章 援軍要請 ①魏の調査

西暦244年。


 魏は、大倭国からの支援要請に対して、狗奴国の武力を調査する役人を派遣した。


 調査員は、大倭国に到着し、伊都国の難升米と共に近畿を訪れた。

 

 調査員は秘密裏に、狗奴国が近畿奴国を攻略した、亀岡盆地を調査した。

 狗奴国は、占領した亀岡城を拠点にして、八木の岡にも砦を築いていた。


 盆地を囲む山の上から見下ろすと、何方にも沢山の兵と多くの武器が溢れていた。兵隊の動きは活発で勢いがあり、武器には、中国で見慣れた連弩や投火機もあった。


 狗奴国は、亀岡盆地だけではなく丹波篠山まで、勢力を広げる勢いを見せていた。

 此の儘では、近畿奴国が占領される恐れがある。


 早急に大倭国への武力支援が必要だと確信し、調査員は伊都国を経て魏に戻った。


西暦245年。


 倭王は、帯方郡より武力を支援して貰うべく、難升米を魏の朝廷に派遣した。


 魏の皇帝は倭王に対し、中郎将の難升米に武器と黄幢を授ける、との詔を出した。

 魏の皇帝は、帯方郡の太守に対して、詔書と黄幢と武器とを持って大倭国に行き、難升米に仮授するように、命じた。


 難升米は、伊都国で受け取る準備をする為、武器が揃う前に一足先に帰国した。


西暦246年。


 帯方郡に、詔書と黄幢と武器が到着した頃、濊と韓が反乱を起こして郡を攻めた。

 帯方太守は、楽浪太守と、軍隊を指揮しこれを討伐したが、帯方太守は戦死した。


 その為、難升米に仮される筈だった詔書と黄幢と武器は帯方郡に留め置きとなり、大倭国への武力の支援が実行される機会は、当分の間無くなった。


 同じ頃に、近畿の邪馬台国では、滋賀と福井の越人が、近畿奴国の舞鶴と宮津に、和歌山の狛人が、巴利国の淡路と躬臣国の徳島に、攻め込んだ。


 

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