②篠山攻略

 狗奴国は、近畿奴国の丹波篠山を足掛かりに、丹波に侵攻する計画を立てた。

 亀岡から丹波篠山までは、直線距離でも三十キロあり、山道ではその何倍も時間が掛った。距離だけではなく、それに高低差も加わった。

 しかし、それ以外には、方法が無かった。

 

 多芸志彦を大将軍として、刺肩別を先鋒に、諸進を後詰として進んで行った。


 南丹を過ぎる頃、多芸志彦が、刺肩別を呼んだ。

「刺肩別よ、結婚したいと思っている女はいるのか?

 いるなら、遠慮しないで、早く結婚した方がいいぞ。

 将来はどうなるか分からないが、まあ何とかなるもんだ。

 今回の全面戦争は、怖いか? まあ、若いから怖くて当然だ。

 恥ずかしがることはない。将来を考えるからな。

 俺位の歳になると、後が無いから、何も怖い事が無くなるがな。

 お前達若い者は、将来に、より良い社会を築くために、人生を捧げるのだぞ」


「多芸志彦様、今は結婚なんて、考えても居ません。

 この戦争がどうなるのか、分かりませんから。

 ましてや、将来がどうなるのか、考えても仕様がありませんから。

 今の私にも、怖い事は有りません。

 まだ経験が少なくて、緊張はしていますが、怖いものではありません。

 ただ、どうやったら相手を確実に倒すことが出来るのか。

 まだ良く分からないので、興奮しているだけです。

 より良い社会を作るため、人生を捧げるつもりです」


 狗奴軍は山間地での戦いが苦手だった。   

 狭い峠道では必ず火矢を放ち、焼けた木を除け乍ら通路を広げて行った。

 待ち伏せていた奴国軍もこれには堪らず、待ち伏せから撤退せざるを得なかった。

 侵攻は、時間をかけて慎重に進められた。

 

 狗奴軍は、篠山盆地に到達した。

 

 近畿奴国は、篠山城を築き、以前住んでいた農民を奴隷にして、暮らしていた。

 奴隷の中には、岡山から大坂に移る途中で、篠山に定着した倭人の子孫もいた。

 多芸志彦は、奴隷に倭人と越人と狛人の、子孫がいることを知っていた。

 出来るだけ被害が少ない戦の方法を検討した。

 火を使うと、人体や農地に被害が大きかった。

 水なら、引いた後の復旧が速かった。


 ここでも、狗奴軍は水攻めの策を採った。篠山盆地の西端の川代渓谷を堰き止め、盆地を水浸しにする戦法だった。

 水攻めには多くの兵力を必要とした。盆地の要所要所に見張りを置く必要があり、相手方の妨害工作を防ぐ必要もあった。

 可能にしたのは狗奴軍の兵の数だった。今回の侵攻には五千の兵が従軍していた。縄文以来の山の民も、匈奴に対して反感を持っていたので、協力してくれた。


 それに加えて、邪馬台国連合の加盟国の越人が、近畿奴国の東を攻めているので、奴国軍の戦力は分散され、福知山からの援軍が、篠山に来ることは出来なかった。

 しかしいつ形勢が変わるか分からなかったので、内心では焦っていた。


 篠山盆地に水が溜まるまで半年を要し、その間に篠山城の兵糧は無くなっていた。それから城が落ちるまでは、ひと月も掛からなかった。

 篠山城を占領した次は、丹波城が侵攻の目的となった。

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