第六章 援軍要請 ③丹波攻略
狗奴軍は篠山の後、丹波の城に向かって進軍を始めた。今度は諸進が先鋒だった。
鐘ケ坂峠に掛かる頃、多芸志彦は諸進を呼び、覚悟を聞いた。
「軍に入って、もうすぐ二十年だな。これからは、お前たちの時代だ。
今迄の経験も活かしながら、やった事が無い戦法も果敢に挑戦しなければいかん。大陸では日々、新たな武器と戦法が作られているそうだ。
これから戦争をする相手は、奴国や不弥国だけでなく、伊都国や邪馬壹国を含め、大倭国連合全ての国であると、覚悟をしなければなるまい」
諸進も、慎重に言葉を選びながら、自分の思う考えを返した。
「多芸志彦様、私が聞いた話だと、大陸の魏から役人が来て我が国の武力を調査していたそうです。調べられても何ら恐れる物では有りませんが、一度直接、手合わせをしてみたいものです。
此方とは違う武器や戦法がどんな物か分かりませんが、海を渡る兵の数には限りがあるでしょう。目に物を見せてやりますよ」
「諸進よ、自信を持つことは大切だが、過信してはいけない。火責めと水攻めだけでは、太刀打ち出来なくなるだろう。
呉の人から聞いた話では、馬と言う乗り物や火玉と言う爆発する物があるそうだ。戦争の速さや、被害の大きさが、全く変わってくる。
大陸からその新たな技が伝わる前に、この戦を決着させなければならない」
柏原渓谷を過ぎると丹波盆地に出た。丹波盆地は南北に細長く渓谷が続き、中央で東西にも細長い渓谷が交差していた。篠山盆地とはまた違う盆地の状況だった。
多芸志彦は、丹波の甲賀山の城までの距離を考えると、水攻めを諦め火責めだけで仕掛ける戦法を選んだ。
盆地の南から、兵を横一列に並べ火矢を放ちながら、前進して行った。
左右の山の奴国軍にも、警戒しなくてはならない。
又、長期戦になることも考えなくてはいけない。
柏原渓谷から甲賀山城までの八キロの間に、十もの砦を作りながら進んだ。
城まであと五百メートルの位置から、投火機を使い、油を詰めた甕に火を点けて、次々と飛ばした。
さすがの奴国軍も為す術なく、豊岡の都に向けて敗走を始めた。
隣接する福知山も、越人の猛攻に堪らず、同じく豊岡に向けて逃げ出した。
こうして邪馬台国は、近畿奴国の三分の二程の領地を占領するまでに至った。
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