③丹波攻略

 狗奴軍は篠山から、丹波の城に向かって進軍を始めた。

 

 丹波は、篠山から直線距離で二十キロ、亀岡から更に遠くなる。

 遠ければ遠いほど、兵糧と武器の運搬が難しくなる。

 ますます山が深くなり、奴国兵が待ち伏せをし易い地形となった。


 今度は、諸進が先鋒だった。

 

 鐘ケ坂峠に掛かる頃、多芸志彦が諸進を呼び、覚悟を聞いた。

「軍に入って、もうすぐ二十年だな。

 これからは、お前たちの時代だ。

 のんびりしていると、時代に取り残されてしまう。

 大陸では日々、新たな武器と戦法が作られているそうだ。

 今迄の経験も活かしながら、やった事が無い戦法も果敢に挑戦しなければいかん。 

 情に流されていたら、足元を掬われるぞ。

 これから戦争をする相手は、奴国や不弥国だけではない。

 伊都国や邪馬壹国を含め、大倭国連合全てであると、覚悟をしなければなるまい」


 諸進も、慎重に言葉を選びながら、自分の思う考えを返した。

「多芸志彦様、大陸の魏から役人が来て、我が国の武力を調査していたそうです。

 何ら恐れる物では有りませんが、一度直接、手合わせをしてみたいものです。

 こちらとは違う武器や戦法が、どんな物か分かりません。

 しかし、海を渡る兵の数には、限りがあるでしょう。

 目に物を見せてやりますよ」


「諸進よ、自信を持つことは大切だが、過信してはいけない。

 火責めと水攻めだけでは、太刀打ち出来なくなるだろう。

 呉の人から聞いた話では、馬と言う乗物や、火玉と言う火を噴く物があるそうだ。  

 戦争の速さや、被害の大きさが、全く変わってくる。

 大陸からその新たな技が伝わる前に、この戦を決着させなければならん。

 油断していると、取り返しのつかない事になってしまうからな」


 柏原渓谷を過ぎると丹波盆地に出た。


 丹波盆地は南北に細長く渓谷が続き、中央で東西にも細長い渓谷が交差していた。篠山盆地とはまた違う盆地の状況だった。


 多芸志彦は、丹波の甲賀山の城までの距離を考えると、水攻めを諦め火責めだけで仕掛ける戦法を選んだ。

 盆地の南から、兵を横一列に並べ、火矢を放ちながら前進して行った。

 

 左右の山の奴国軍にも、警戒しなくてはならない。

 又、長期戦になることも考えなくてはいけない。

 柏原渓谷から甲賀山城までの八キロの間に、十もの砦を作りながら進んだ。

 

 城まであと五百メートルの位置から、投火機を使い、油を詰めた甕に火を点けて、次々と飛ばした。


 さすがの奴国軍も為す術なく、豊岡の都に向けて、敗走を始めた。

 隣接する福知山も、越人の猛攻に堪らず、同じく豊岡に向けて逃走した。


 こうして邪馬台国連合は、亀岡・丹波篠山・丹波・福知山と、近畿奴国の三分の二の領地を、占領するに至った。


 

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