②息長帯姫


 匈奴色が強い大和朝廷から、何とか政権を奪おうと、虎視眈々と狙っていたのが、筑紫勢力であり、奈良勢力である。

 

 筑紫勢力は暗躍し、大毗毗(難升米)五世孫の息長帯姫を、帯中津彦と結婚させることに成功した。

 奈良勢力は、卑弥弓呼の孫の建内宿祢を大臣にして、政治の中枢に忍ばせていた。


 熊曽国を討伐するため筑紫の香椎宮に滞在している時に、帯中津彦が琴を弾いて、息長帯姫が神がかりをし、建内宿祢が神託を求めたことがある。

 

 神様は、熊曽国よりも新羅国の征服を勧めたが、帯中津彦は信じなかったどころか

神様といさかいになり、不思議な事に、帯中津彦は琴を弾いている間に急逝した。

 帯中津彦の崩御は、筑紫勢力にとっても、奈良勢力にとっても、願ってもない事態だった。この好機を息長帯姫は見逃さなかった。


 神託が勧めた様に、熊曽の討伐でなく新羅を親征して筑紫国に帰還し、帯中津彦の四男品陀和気を産んだ。

 

 筑紫から戻って大和に帰京した息長帯姫は、母が異なる帯中津彦の長男と次男を、滅ぼした。こうしてやまと朝が滅ぶと、次は筑紫勢力と奈良勢力の争いとなった。

 

 息長帯姫は正妃としての権力を発揮し、大臣の建内宿祢を制して主導権を握った。

 

 帯中津彦が崩御して帯中津彦の四男品陀和気が即位するまで、正妃の息長帯姫が、春日の軽島宮で、天下を統治した。

 

 この後しばらくは、筑紫勢力が倭国の政権を担うことになる。

 その裏で、建内宿祢は奈良勢力と筑紫勢力の婚姻を図り、着々と基盤を築いた


西暦357年。帯中津彦四男、品陀和気は軽島の明宮で天下を統治した。


西暦378年。品陀和気四男、大雀は難波の高津宮で天下を統治した。


西暦419年。大雀長男、伊耶本和気は磐余の若桜宮で天下を統治した。


西暦422年。大雀三男、水歯別は丹比の柴垣宮で天下を統治した。


西暦425年。大雀四男、男浅津間若子は遠飛鳥宮で天下を統治した。


西暦455年。男浅津間若子三男、穴穂は石上の穴穂宮で天下を統治した。


西暦456年。男浅津間若子五男、大長谷若建は長谷の朝倉宮で天下を統治した。


西暦480年。大長谷若建長男、白髪大倭は磐余の甕栗宮で天下を統治した。


西暦485年。伊耶本和気長男の次男、石巣別は近飛鳥宮で天下を統治した。


西暦488年。伊耶本和気長男の長男、意富祁は石上の広高宮で天下を統治した。


西暦498年。意富祁長男、小長谷若雀は長谷の列木宮で天下を統治した。


 そして、およそ150年続いた筑紫政権も、王位を継承する者がいなくなった。

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