②人が住み始めた。
およそ、4万年前。
寒冷で、今より大陸との海峡が狭いころ、西南から来た日に焼けて小柄な部族と、北方から来た色白で毛深い部族が、列島に住み始めて交わり、縄文人となった。
縄文時代は、今よりもはるかに人数が少なくて、人々は長く平和な日々を過ごし、豊かな文化を育んだ。
紀元前1000年頃。
縄文時代の終りになると、温暖化で広くなった海峡をやっとの思いで渡り、現在の朝鮮半島や中国大陸・或いは沿海州の人達と、交流するようになった。
まだ人口は少なくて、言葉が通じなくても、物々交換をしながら平和に暮らした。
紀元前500年頃、倭人が渡来した。
地球が急速に寒冷化し、食糧が不足するようになると、中国大陸では、国と国との縄張り争いが激しくなった。
中国南部の、長江下流に住んでいて、倭人(いじん)と呼ばれた大人しい部族が、東や北の海へと逃げ出した。
倭人は、漁労と水田稲作の技術を携えていた。
倭人の多くは、島根や香川・岡山平野に漂着した。円形周溝墓を作る人々である。
最初は、倭人も縄文人も緊張したが、馴れるにつれて、互いに共存しながら暮らすようになった。
一部の倭人が、越国に負けた呉(嘗ての句呉)の指導者に連れられ、有明海沿岸にたどり着いた。
集落を守るために水を張った環濠と、甕棺墓を残した姫氏一族である。
有明海沿岸には水田に適した土地が多くて、縄文人にも稲作を教え共存を図った。
その他に朝鮮半島の西南部に上陸した呉の指導者と倭人がいた、天氏一族である。そこに住んでた濊人(わいじん)を追い出し、辰国と呼ぶ新たな国を建てた。
二百年後、北から侵攻して来た馬韓に抗弁して、弁韓と名を変えた。
半島を追われた濊人は、以前から往来していた佐賀や長崎の、日本海沿岸へ逃げて来て、木棺を伴う支石墓を残した。
濊人は、それ以前と同じように、縄文人と仲良く共存して暮らした。
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