③戦が始まった

紀元前400年頃、列島で、戦が始まった。


 半島西南部から勢力を拡大する天氏に追われ、今度は東南部の狛人(はくじん)が海峡を渡り、玄海灘や響灘の沿岸に逃げてきた。

 狛人は自衛の為、水の無い環壕で集落を囲み、松菊里型竪穴住居を建てて住んだ。狛人が、石棺を伴う方形墓を持ち込んだ。


 縄文人と共存し人口が増えて福岡平野に充満した狛人と、こちらも人口が増えて、長崎や佐賀の日本海沿岸から移動して来た濊人との間で、激しい軋轢が生じた。


 これが、列島での「戦」の始まりである。



紀元前300年頃、戦は、玄海灘沿岸以外でも始まった。


 大陸で、呉を滅ぼした越が楚国に敗れ、迫害を逃れて海へ逃げ出し、玄海灘沿岸や岡山や大阪の平野に流れ着いた。

 

 越人(えつじん)も長江下流に住んでいた民族で、水を張った環濠で集落を囲むのは倭人と同じだが、周溝墓の形は方形だった。


 越人は、福岡平野では狛人と争い、岡山平野では倭人と縄張り争いを繰り広げた。大阪平野には、先住の渡来人はおらず、縄文人に稲作を教え、共存して暮らした。  

 

 最新の武器を持つ越人に抵抗出来ず、狛人の一部は遠賀川土器を持ち玄海灘から、倭人の一部は円形周溝墓を伴い岡山平野から、東へ移動せざるを得なかった。



紀元前250年頃、戦は、更に続いた。


 大陸の秦で、斉(せい)出身の徐福が不老長寿の薬を探すと言って始皇帝を騙し、数千人の若い斉人男女を秦国から連れ出すことに成功した。

 当時の先端技術を持ち、山東半島から海に乗り出し、山口の土井が浜に上陸した。


 その斉人は、人数が多く武器が優れていたので、山口地方に移動していた狛人は、瀬戸内海沿いを更に東へと、移動するしかなかった。



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