⑥鬼道の始まり
140年、中国の蜀の成都の西で、鬼道と呼ぶ信仰が始まった。
鬼道とは、不老長生を求める神仙術であり、
お札を用いた呪術や亡き魂の救済と災厄の除去など、
様々な要素が積み重なった、道教の一種である。
142年、張陵が五斗米道を始め、信者を獲得し活動を続けた。
五斗米道とは、偉大な巫女を頂く教団であり、
信徒の間では誠実であれ、人格を尊重せよ、
病気は神前に懺悔して治す、というもの。
宿泊所を作って信徒を収容し、
食物を備え好きなだけ無料で食べさせた。
必要以上に取れば鬼道が罰を当て病気になると云う。
157年、張陵の子、張衡が五斗米道の二代目の教主になった。
179年、張衡の死後、その妻が鬼道を行うとして崇拝された。
184年、黄巾の乱で国は乱れたが、五斗米道は活動を続けた。
188年、張衡の妻は、新益州牧になった劉焉の庇護を受けた。
190年、張衡の子、張魯が劉焉の指示を受け漢中を征服した。
張魯は漢中に留まり、五斗米道の宗教共和国を作り、
鬼道を以て民を教えた。
張魯の母も、女師と呼ばれて尊敬された。
漢中の神政国家は、鬼道に仕える女教主の、
宗教的権威を基礎として出発したものである。
漢中で、張魯に娘が生まれた。
益州で、張魯の弟に娘が生まれた。張魯の姪になる。
張魯の娘と、張魯の姪は、その時から従妹であった。
195年、張魯の姪は迫害を恐れて、長江を下り列島に渡った。
200年、張魯が漢中で独立したので劉璋は張魯の母を殺した。
215年、曹操が漢中に侵入した時、張魯と信徒一同は、
曹操に下った。
曹操は張魯の実力を知り、張魯と五子を侯に封じた。
その後、張魯の娘を、自分の息子の曹宇の嫁にした。
*岡田英弘著「倭国」を参考にしました。
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