第二章 卑弥呼共立 ①張呼渡来
西暦195年。
張魯の姪の張呼(ちょうか)は、劉焉による迫害を恐れて、呉に居た信者に導かれ沖縄を経由し、人吉盆地を都とする姫国に、逃げ延びて来た。
張呼を受け入れた姫国王の姫彦(ひめひこ)は、張呼に優しく声を掛けた。
「私は呉の人に大変世話になっている。心配しないでいつまでも居ていいんだよ」
西暦200年。
姫彦の保護を受けて張呼は10才になり、やっと落ち着きを取り戻した。
姫彦は、張呼が張魯の姪と知っていたが、張呼が思い出したく無い様だったので、縄文由来の巫術を教えた。
西暦205年。
張呼は成長して15才になり、祖母に似て美人で、巫術を行う巫女となった。
張呼は巫女として、精霊と交信し、悪魔や病魔の退散、吉凶の判断や予言、などを行うようになった。その上で、記憶を頼りに、鬼道を取り入れることを望んだ。
姫彦は張呼の願いを聞き入れ、宿泊所を作り、貧しい病気の信徒を大勢収容して、食べ物を好きなだけ与え、病気が治るまで信徒を介抱した。
半島では公孫度が死んで、息子の公孫康が楽浪郡の南を開拓し、帯方郡を設けた。
新たに委奴国王となった天帯彦(あまたらしひこ)は、半島の弁韓と列島の委奴国両方から、帯方郡に朝貢して関係を深め、委奴国の後ろ盾として帯方郡を利用した。
西暦210年。
張呼は二十歳になり、巫術にも長けて鬼道にも仕え、姫国の衆を能く惑わした。
病気の信徒を治したのは姫彦の施策であったが、治った信徒は益々狂信的となり、
張呼の巫女としての人気は絶大なものとなった。
姫彦が張呼を養女にしたので、姫呼と名乗り、大倭国連合で鬼道の布教を始めた。
姫国と争った加盟国でさえ、姫呼が布教に行くと信者は熱狂して喜んだ。
西暦220年。
中国では、魏の曹丕が後漢を簒奪して後継者を主張したが、その後に、呉の孫権と蜀の劉備も皇帝を名乗り、三人の皇帝が鼎立することとなった。
後漢が滅亡したため、半島では公孫氏の力が更に強くなり、韓も倭も多くの国が、帯方郡に従属することになった。
大倭国連合では、帯方郡を後ろ盾に、委奴国王の天帯彦が倭王の地位を確立した。
更に、鬼道により加盟国間の争いが収まると、姫国の姫呼が多くの国の支持を受け、倭王を補助する祭祀王として、倭女王に共立された。
連合内での争いが収まると、大倭国連合の加盟国の専らの関心は、東大倭国連合の加盟国の領土を侵略する事に、移って行った。
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