②伊都国と邪馬壹国
西暦220年。
大倭連合の倭王である天帯彦は、姫呼を倭女王として新たな首都に迎えるために、それまで大倭連合の首都があった委奴国を、四つに分割することにした。
一つには、連合国で人気が高い倭女王の姫呼を連合の前面に立て、倭王の天帯彦の人気に取り込む魂胆があった。
そのためには、姫呼に首都を譲り、天帯彦は姫呼の陰に隠れる必要があった。
もう一つには、東大倭連合の動向に対する配慮があった。近畿から中部、更に関東まで勢力を広げつつあるとの情報が入っていた。
東征した狗奴国の国王は、天氏の本家の姫氏であり、倭女王の姫呼を人質にして、最悪の事態に備える計画だった。
更には、委奴国以外の連合加盟国に対し、新たに作る倭王と倭女王の二つの都の、守備を固めるためだった。
都を二つに分けたのは、攻撃目標を絞らせないためでもあった。
玄海灘沿いの委奴国の古い都に、玄界灘から守る城塞を作って、好古都国とした。帯方郡を始め、馬韓・辰韓・高句麗等の、北方からの侵攻に備える必要があった。
好古都国は、現在の博多である。
倭人が多く住む佐賀の吉野ヶ里に、倭女王のための大倭連合の新たな首都を作り、倭都国(いとこく)とした。
大倭連合の都とは、朝廷を開いて、外交の窓口となり、祭祀を行う場所であった。
倭人伝で、倭都国は伊都国と書かれている。
伊都国から東に百里離れた所に、玄界灘と有明海から隔絶した、天氏の都を作り、優雅な名前を付けて、芙美国(ふびこく)とした。
芙美国を守ることが、遷都の最大の目的であった。
倭王の天帯彦は、朝廷を開くときは伊都国へ出掛けたが、それ以外の時は一大率に任せ、芙美国に引きこもっていた。人間不信の性格は、なかなか変わらなかった。
倭人伝には、芙美国は不弥国と卑称されている。
有明海に対する守備を固めるため、匈奴が主力の駐屯地を置き、筑後奴国とした。指揮官には天氏の一族を置き、抜かりなく匈奴を見張らせた。
姫国と投馬国への対策でもあった。天帯彦は、姫彦を信用してはいなかった。
姫彦は、姫呼がかつて都とした姫国が、卑弥国と卑称されていたのを嫌い、海沿いに有る倭都国と対になる美称として、山倭国(やまいこく)と改めた。
しかし倭人伝ではまたしても、山倭国は邪馬壹国と書かれている。
あろうことか、倭女王となった姫呼でさえ、卑弥呼(ひみか)と卑称された。
倭人伝には、史書に珍しく、倭王と卑弥呼宛の詔書が記載されている。その中で、倭王に対しては、金印紫綬を仮し貢直に答う、卑弥呼に対しては、膨大な品を賜う、と明記されている。
卑弥呼は、倭王ではなく倭女王であったが、わざと混同するように書かれている。
大倭連合の盟主は、あくまでも、倭王であり不弥国王である天帯彦で、卑弥呼は、倭王に共立された、祭祀を司る倭女王に過ぎなかったが、卑弥呼の鬼道の能力と由緒ある血統は、多くの加盟国に認められていた。
後に、半島の帯方郡に朝貢の為、芙美国や山倭国は馬韓領内に分国を建国したが、東夷伝韓条馬韓の項にも、不弥国や卑弥国と記載されている。
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