第二章 卑弥呼共立 ③邪馬台国とは

 近畿地方では、姫若御毛沼の子孫の姫賦斗迩(ひめふとに)が、狗奴国王かつ東大倭国連合の盟主として、奈良盆地を中心に大阪や京都や紀伊にも勢力を伸ばしていたが、近畿奴国が所属する大倭国連合に対しては、脅威を感じていた。


 賦斗迩は、委奴国出身の祖母からの連絡で、大倭国連合が再び纏まる事を知ると、滋賀や新潟の越人や愛知の狛人にも加盟を呼びかけて、東大倭国連合を拡大する事に成功した。


 賦斗迩は、山倭国の卑弥呼を倭女王に据えた大倭国連合に対抗し、東大倭国連合の名称を、山大倭国(やまたいこく)連合に、変えた。


 この山大倭国こそ、倭人伝で狗奴国と卑称された、反・大倭国連合の正体であり、後漢書では邪馬台国と記録され、その後も現在まで、邪馬壹国と混同され続けている反・大倭国連合の名前である。


 繰り返しになるが、なるべく簡単に、整理してみる。


 越国に長江を追われた姫氏が、有明海沿岸に流れ着き生活を始めたものの、再度、狛人に追われ、拘奴国(狗奴国)として、熊本平野を経由し人吉盆地に辿り着いた。

 

 天氏に、大倭国(連合)への参加を強制され、姫国(卑弥国)と狗奴国に分割し、卑弥国として大倭国(連合)に加入し、国名を山倭国(邪馬壹国)と変えた。


 狗奴国は東征し、奈良の盆地で越人に強制し、東大倭国(東鯷国)連合を組んだ。更に越人と狛人を取り込み、東大倭国(連合)から、山大倭国(邪馬台国)連合へと連合名を変えた。


 邪馬壹国の卑弥呼も、狗奴国の姫賦斗迩も、共に姫氏の系統である。


 卑弥呼は大倭国の共立盟主になり、姫賦斗迩は、邪馬台国の盟主になった。

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