③邪馬台国とは

西暦220年。 


 近畿で、姫若御毛沼の子孫、姫賦斗迩(ひめふとに)が東大倭連合の盟主として、奈良盆地を中心に大阪から京都や紀伊に、勢力を伸ばしていた。

 しかし、近畿奴国が所属する大倭連合に対しては、ひしひしと脅威を感じていた。


 狗奴国の東征前に狗奴国から分かれ、大倭連合に加盟した邪馬壹国や、連合盟主の天氏の不弥国には何も心配はしていなかったが、投馬国や筑後奴国と近畿奴国には、隙さえあれば領土を拡張しようとする野心が見え隠れしていた。


 賦斗迩は、委奴国出身の祖母から連絡があって、大倭連合が再統一したと知った。投馬国や両奴国の、声の大きさによっては、東大倭連合に侵攻を試みる恐れがあり、滋賀や新潟の越人や愛知の狛人にも加盟を呼びかけて、東大倭連合の規模を拡大することに成功した。


 賦斗迩は、山倭国の卑弥呼を倭女王に据えた大倭連合に対して、同じ姫氏を盟主に戴く東大倭連合の名称を、山倭国を超えたいと山大倭国(やまたいこく)に変えた。


 この山大倭国こそが、倭人伝で狗奴国と卑称された、反・大倭連合の正体であり、後漢書で「邪馬台国」と記録され、その後も現在まで邪馬壹国と混同され続けている反・大倭連合の名称である。


 邪馬台国とは連合国の名称であるが、紛らわしいので、連合としての邪馬台国を、邪馬台連合と略称する。

 

 倭人伝前段の国々の解釈において、賛同出来ない点を、以下のように解釈したい。


 伊都国(委奴国)には世に王有り、皆、女王国(姫国・邪馬壹国)を統属した。

 邪馬壹国とは、現在も女王が都としている所、ではなく、過去に都としていた所。

 邪馬壹国は、( 大海国から不弥国までの、戸数と道里を略載している国々)の南。


 繰り返しになるが、なるべく簡単に、整理してみる。


 越国に長江を追われた姫氏が、有明海沿岸に流れ着き生活を始めたものの、匈奴が渡来し、筑後に逃げた狛人に熊本平野に追われた。天氏が侵攻し、筑後に逃げた匈奴から、熊本平野に逃走した狛人によって熊本平野を追われ、拘奴国(狗奴国)として人吉盆地に辿り着いた。

 

 天氏に、大倭国(連合)への参加を強制され、姫国(卑弥国)と狗奴国に分割し、卑弥国として大倭国(連合)に加入し、卑弥呼が倭女王に共立され、卑弥国を山倭国(邪馬壹国)と変えた。


 狗奴国は東征し、奈良の盆地で越人に強制し、東大倭国(東鯷国連合)を組んだ。更に越人と狛人を取り込み、東大倭国(連合)から、山大倭国(邪馬台国連合)へと連合名を変えた。


 伊都国の卑弥呼も邪馬壹国の姫彦も狗奴国の姫賦斗迩も、共に姫氏の系統であり、周の流れをくむ呉王の夫差の末裔で、後に率然中郎将となった掖邪狗も、姫氏の系統である。

 

 卑弥呼は大倭連合の共立盟主になり、姫賦斗迩は邪馬台連合の盟主になった。


 大倭連合の盟主の倭王であり、不弥国王でもある天帯彦は、元々の家系を辿れば、呉王の夫差から分かれた姫氏の分家で、後に出て来る難升米と伊声耆は、天氏の系統である。

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