④張政送還

西暦255年。


 壹与が倭国皇になって三年間、張政は集権倭国中を駆け回って、政権が安定するかどうかを見て回った。


「帯彦帝様、国中見て回りましたが、反乱の恐れは無い様です。壹与様も大きく成長されて、伊声耆と掖邪狗も立派にお支えしております。

 集権倭国諸国王も、時々、東倭国に駐在して政権を支えており、諸事万端滞りなく進んでおります。

 このまま、壹与様の御代も永く続き、万々歳で御座いましょう」


「張政殿、本当に何から何までお手を煩わせて、申し訳御座らぬ。

 私がもう少し若ければ、何でも一人で出来るのだが。

 いやいや、一人で勝手にやらないのが、良いのかも知れんな。

 出来るだけ、諸国の意見も聞くようにしましょうぞ」


 帯彦帝は年を取ったが、倭国皇の壹与を文官の伊声耆と武官の掖邪狗が立派に補佐しており、反乱の心配は少なかった。


 「ただ心配なのが卑弥氏の動向です。今でもまだ人気があり、慕っている豪族は、かなりの数に上ります。

 何かのはずみで集中して、団結しなければ良いのですが?」 


 更に、二人が懸念したのが、大毗毗(難升米)の子孫である。

 

 嘗ての様な勢いは無くなったが、近畿奴国の丹波から嫁を貰ったのを契機として、匈奴との関係を強くしていた。


 更に、大毗毗の息子は山代国や近江国から嫁を貰い、孫は奈良国から嫁を貰う等、勢力を広げ続けていた。


 然し、大毗毗に連合の諸国と仲良くしろと言ったのは、天帯彦であり張政なので、今更ながら制限することは難しかった。


「帯彦帝様、王頎太守の縁戚である王将軍と鉄騎兵十名を残していきます。馬を育て鉄騎軍を育成する足掛かりとして下さい。

 倭国軍は今でも十分強いですが、機動力が付けば鬼に金棒です」


 多少の懸念と王将軍を残して、魏の皇帝に壹与を倭国皇と認めて貰うべく、張政と鉄騎軍は帯方郡に帰って行った。


 壹与は、集権倭国の武官で率善中郎将である掖邪狗ら、二十人を帯方郡に派遣し、

魏の朝廷に朝貢することを依頼した。


 帯方太守王頎は張政に、掖邪狗を朝廷に引率し、報告書を提出して更に口添えし、事の顛末を皇帝に奏上するよう、命じた。


 その後、張政は帯方郡太守となり、伝聞によると張撫夷と呼ばれたそうである。

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