③倭国完成
西暦252年。
大倭連合は、邪馬台連合との全面戦争とそれに続くクーデターを経た事で、北海道と東北の蝦夷を除き、列島の殆どを統治する形となった。
それに合わせて、各国連合の形態を廃し、全ての国を束ねる中央集権国家とした。
その上で、中央集権国家の名を「倭国」に変えた。
倭国を構成する個々の国と紛らわしいので、集権倭国と略称する。
更に、集権倭国の統治者たる地位を、「皇帝」に変えた。
集権倭国皇帝の天帯彦は、クーデターを教訓として、考えを改めた。
「かつての句呉国王である、姫太伯の末裔の本家である卑弥氏を、分家である天氏が断絶させる事は出来ない。本家を大事にしなければ、一族の繁栄はない」
卑弥氏の養女である、卑弥呼を殺したことも、悔いていた。
そのための方策を考えて、ひとつ、ひとつ、実行に移していった。
旧狗奴国民の反発を減らす為、東倭国を六つに分割し、摂津国・山城国・河内国・和泉国・新東倭国で周りを取り囲み、中央に新たに小さな卑弥氏の奈良国を作った。
集権倭国に忠誠を誓わせて、奈良国の国王に、卑弥弓呼の四男布都押信を立てた。
布都押信の息子が建内宿祢で、卑弥弓呼の孫になる。
卑弥氏の血を、色濃く継いでいる。
集権倭国の首都を、伊都国から東倭国に、遷都した。
河内国に、集権倭国を統括する拠点を作り、不弥国から、天帯彦の都を移した。
天帯彦は、集権倭国皇帝の内の「皇」を、卑弥呼の宗女でもある天壹与に譲った。
壹与は、自分の姓を天から王(おおきみ)に変え、倭国皇・壹与王と名乗った。
「皇」は、(すめらぎ)と呼ぶ。
天帯彦自身は、集権倭国の政治の一線から身を引き、院政を敷いた。
天帯彦も、姓を天から王(おおきみ)に変え、倭国帝・帯彦王と名乗った。
「帝」は、(みかど)と呼ぶ。
帯彦が任命した集権倭国の全ての国の王を、交代で東倭国に参勤させた。
張政は檄を以て、壹与が倭国皇であると、集権倭国全ての構成国に知らしめた。
壹与が倭国皇に就くと、集権倭国の全ての国から不満や反対する声は無くなった。
天氏の都だった不弥国と、卑弥呼の都だった伊都国を合わせ、王氏の領地として、筑紫国と名付けた。
筑紫国には、大陸の朝廷や半島の帯方郡との外交の出先と、倭国軍の基地として、大宰府を置いた。
近畿奴国と奈良国の間の、摂津国と山城国と和泉国に、両国を見張る軍を配置し、二度と戦争を起こす事の無い様に配慮した。
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