③奈良侵攻

西暦248年、春。 


 京田辺の砦は、奈良盆地を守る、最後の関門だった。

 

 盆地の両側に聳える丘の間に、四キロに渡る土塁壁と、関所が設けられていた。

 土塁壁の前には、木津川からの流れを利用した、水濠が横たわっている。

 関所の前には、横たわる水濠の上に、跳ね橋が架かっていた。


 水濠を挟む土塁壁と、頑丈な門が在るだけで、他に取り掛かる所が無かった。

 張政は、頑丈な関所の門扉を、破壊する事にした。

 重い丸太を槌として、関門の扉を破壊する、衝車が投入された。


「エイ・エイ・オー」


 ヨイトマケのような、掛け声を掛けて、梵鐘を突く橦木のように丸太を揺らした。  

 分厚い門扉を何度も何度も叩き続け、百回を過ぎる頃、遂に破壊に成功した。

 

 関門を突破し、張政軍の鉄騎兵は一直線に、邪馬台国連合の首都纏向を目指した。


 邪馬軍の抵抗は激しかったが、軍の主力は近畿奴国侵略の最中だった。

 そのため、張政軍と筑後奴国を主力とする大倭軍の、敵には為らなかった。


 あっと言う間に奈良盆地を南下し、狗奴国の中央付近にある纏向の都に到達した。  

 然しそこには、二重にも三重にも、都を囲む環濠が水を湛えている。

 濠の対岸には、狗古智卑狗率いる五百の宮城守備隊が、連弩を構えて待っていた。


「一斉に、撃て」


 狗古智卑狗の命により、空を覆うばかりの矢が次々と放たれたが、届かなかった。



 一方で、邪馬壹国と投馬国を主力とする大倭国連合軍は、九州と四国の南を回り、太平洋を東に進んで、紀ノ川の河口を目指した。


 紀ノ川に到着した大倭軍は、数の多さに物を言わせ、狛人が守る砦を攻撃した。

 狛人が守る砦は、石で出来たものが多く、壊すのも簡単ではなかった。

 初めに、遠くから鉄矢を射かけながら、盾を笠にして徐々に進んだ。

 砦の壁には竹の梯子や縄梯子を掛けて、無理やりよじ登った。

 壁を越えてその後に、狛人の兵士に近づきながら、鉄剣を振るった。

 合理的とは言えなかったが、武器の数と兵士の数は、尽きなかった。

 戦争が始まる前から貿易が盛んで、武器の数が不足することはなかった。

 多くの数の兵士を頼りに、狛人の岩出・橋本・五條の砦を、次々と破った。

 山の谷間の街道を、ゆっくりと兵を進めて、狗奴国の南部に侵入した。

 御所の関所を突破すると、北からの軍と同じ頃、纏向の都の環濠に到達した。


 こうして両方から、狗奴国の都であり邪馬台国の首都、纏向の挟み撃ちとなった。


 これで、狗奴国の卑弥弓呼と狗古智卑狗は、已む無く籠城せざるを得なくなった。

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