【完結】悪役令嬢×デスゲーム -デスゲームで生き残るなんて絶対無理なので、生意気な猫とリタイアを目指すことにした-
第19話 幕間・その5「今は、アネットとイムとこのゲームから脱出したいとも思ってる」
第19話 幕間・その5「今は、アネットとイムとこのゲームから脱出したいとも思ってる」
きっとフォーチュネをプレイしていたときに調べたことがあるんだと思う。
近世ヨーロッパのお風呂事情といえば、入浴する習慣はあったものの、自分の家に浴室を備えることは貴族などのお金持ちでもなければ経済的に難しかったそうだ。自分の屋敷に招待してお風呂でもてなすことが一種のステータスシンボルになっていたこともあったようだけれど。
「はは、王城の浴室にある石鹸ともなると、すごくいー香りがすんだな」
石鹸を1つ手に持ち匂いを嗅ぐと、アネットは満足そうにうなずく。彼女が石鹸を撫でるとハーブの芳醇な香りが私の所まで届く。現実世界のものとは違う生花の香りだ。
石鹸だけでない、この部屋には浴槽の中にも大理石の床にも花弁がちりばめられ、甘い香りで満たされている。
この部屋にあるのは浴槽とテーブルと香りだけ。浴槽は白いシーツに覆われお湯で満たされている。
そこで今、私たち3人はお風呂に入ろうとしているのだが。
「折角ならお風呂に入りてーなと思ったら、次の瞬間にはお湯で満たされるんだから、ほんとお貴族様の生活ってのはすげーな、魔法か?」
そう言ってバスルームに誘ったアネットだったが、彼女は先に浴槽に浸かるでなく、私にドレスを脱ぐよう指示すると、自分はイムのドレスを脱がし、水色の髪を結い上げてやり、抱いて浴槽に入れた。
「あたし、服脱ぐから、イムの体、洗ってやってくんない?」
私に石鹸を手渡すと今度は自分のドレスを脱ぎ始める。
手慣れているなと思いつつ、私は言われたとおりにイムの体に石鹸を滑らせる。イムは浴槽の中で体を火照らせながら、私にされるがままおとなしくしている。
体をなぞった後には少しだけ泡が立つ。この世界の石鹸は香りが一番で、泡についてはあまり気にしていないのかもしれない。
小さくて白い背中が終わり、首筋から肩へ、そして腕を石鹸でなぞっていくと――その先には何もなかった。
夢ではなく、紛れもない事実として、イムは左肘から先を兎の男に渡したのだ。
浴槽の中を見れば、イムの細くて綺麗な足は左足だけが細長い浴槽の中に投げ出されている。片方の耳の跡と目の跡は、アネットがうまい具合に髪を結い上げて丸めた髪で隠されていた。
覚悟していた筈だった。けれども、事実を見て、イムに強いたことを思うと、胸がとても苦しくなる。
私の手が止まったことに気づいたイムがゆっくりとふり返る。
――私がこの世界で意識を取り戻したとき、最初に目に飛びこんできたのは、私に恨みをぶつける鬼のような形相、それは私の前で落ちていく悪役令嬢の顔。
そうだ、私は恨まれて当然なんだ。それなのに、イムの顔がそれと同じだとしたらとても怖い。
けれども――。
あまりの沈黙に耐えきれなくなって薄目を開くと、そこにはうっすらと微笑みながら私を見つめるイムの顔があった。
どうしてそんな顔ができるのかと戸惑う私に彼女は、
「今度はイムが勇者さまの体を洗う番なの、デス」
私の腕を右手で掴むと浴槽に引っ張り込もうとする。驚いて抵抗する私を、今度はアネットが後ろから押さえ込む。
「よかったな。洗ってくれるってんだ、脱ぐもん脱いでとっとと入っちまえよ」
言うが早いか、彼女は私のビスチェに手をかけ一気にはぎ取る――って、女しかいないからってこういうのやめてよ。
「うるさい。レナって土壇場じゃ勢いがいいくせに、そーじゃないときは考えすぎなんだよ」
「イムのこと、考えてくださってありがとうございます、デス」
ドボン! 身につけていたものを全てはぎ取られたのと、浴槽に頭から突っ込んだのはほぼ同時だった。
溺れる、というより、頭や手や腹を浴槽にぶつけて痛い。起き上がろうと手に触れた物にすがると、それはシーツでまた湯の中にズブズブと沈む。
アネットやイムの笑い声が波立つお湯の音と混じって聞こえるが、笑ってないで助けて欲しい。
ようやく上半身を起こした私は、一部始終を楽しんでいただけのふたりに非難の目を向けた。それなのにふたりは、お互いの顔を見てニヤリとしたかと思うと、私に向かってじりじりと詰め寄ってきた。
「悪かったよ。ふたりでレナを洗ってやるから許せよ」ビスチェ姿のアネットが私の背後に回る。
「イムは勇者さまを前から洗って差し上げるの、デス」浴槽の中のイムが手をついて近づく。
抵抗するだけ無駄だと諦めた私は溜め息で返事をすると、アネットは背中に、イムは腕に石鹸を滑らせ始める。また花とハーブの香りが強くなってくる。
「レナさ、イム見て、かわいそーとかごめんなさいとか、引け目感じてんだろ?」
首から背中にかけて手を動かすアネットが尋ねる。私が答えに困っていると、
「それ、そもそもおかしーかんな。逆だからな、逆」
「今の体、イムは誇らしいの、デス」
右手だけで腕を洗ってくれているイムが大きな瞳を私に向けてくる。
体の一部を無くすことになって私は恨まれて当然なのに、どうして誇らしいの? 私が呆然としていると、イムが私の手に指を絡めてきた。
「これは、勇者さまのところまで辿り着いた証なの、デス」
「証? 腕や足や、体の一部を取られることが?」
「そうしたかったってことだよ、レナと一緒にいられるってことは」アネットが後ろから応える。
「私がもっとうまくやればイムは体を失わずに済んだかもしれない」
「それだとイム、勇者さまと一緒、できなかったと思います、デス」
「全部平等に守ろうなんていってるヤツは、誰も守ってないのと一緒なんだよ」
アネットが手桶でお湯をすくい私の背中を流す。どさくさに紛れてまたイムが私に抱きついてくる。密着した部分からイムの体温が伝わってきた。ゲームの世界のはずなのに、本当に、柔らかくて温かい。
私はアネットと引き分けになりたいと思ったし、イムを助けたいと思った。それって全部守ろうってことじゃないのかな。もしそうでなければ、ふたりを助けた私は、イムが体の一部を捧げたように何を犠牲にしたんだろう。
「ほらまた考え込む」
私の頭の上からアネットがお湯をかける。
「ちょ、いきなりなにっ!」
「あたしたちは好きでレナを選んだんだ。それがイヤだってのはあたしやイムが嫌いだってことだからね。だから自分に自信持って胸張ってりゃいーんだよ」
手桶を投げ捨てたアネットは仁王立ちになって私を見下ろす。目が合った彼女は片目でウインクすると、
「もっとも、レナが一番、胸、小さいから、それで自信ないってなら仕方ねーけどな」
「なっ!」
「それに、あたしだっていーかげん湯浴みしたんだけどっ!」
自分のビスチェに手をかけたかと思うと、一気にそれを脱ぎ去る。豊かな胸、くびれた腰つきの、健康的なアネットの体が露わになる。
この浴槽に3人は無理でしょっ、と叫んだ私の肩を握ると、アネットは勢いよく浴槽に飛びこんだ。
無数のしぶきとなってはじける湯が私たちの周りを舞う。別の重さにふり返れば、反対側ではイムが私に抱きついていた。
私はこの狭い浴槽の中で2つの温かさに挟まれた。こんなに肌と肌が触れあう体験なんてしたことなかったのに、更に肉体の柔らかさまで加わってきていた。それは石鹸の匂いとも、部屋中の花の香りとも違うぬくもりだった。
「あたしはね、レナとイム、3人で生き残りたいんだよ。だからレナにはいつまでもしょぼくれていてほしくないんだよ」
頭から私を包むアネットの声が聞こえる。彼女の鼓動が伝わってくる。
「イムだって、いつまでも勇者さまと一緒なの、デス」
「ほんとイムはそればっかだな」
アネットのはじけた笑い声とイムの言い返す声が浴室に流れる。
細長い浴槽の中、ふたりに挟まれて窮屈な筈なのに、決して居心地は悪くなかった。むしろ、ずっとこのままでいたいとさえ思った。
けれども、アネットは私たちだけではなく、妹や棄てられた民のみんなも助けたいんだと思う。イムだって、取り返せるものなら体の一部を取り戻したいはずだ。ふたりがそれぞれ抱く望みはどうなるんだろう。
「レナにだって、レナだけの叶えたい願いってあるだろ。みんなの夢、自分だけの希望、幾つ持ってたって構わねーじゃん」
アネットの腕に力が入る。それに合わせるように、反対からはイムが片手片足でしがみつく。
体温と、蒸気と、香りと、ぬくもりの飽和状態にのぼせながら、私は自分が何をしたかったのか思いを巡らせた。
はじめは、すぐにこのデスゲームをリタイアすることだった。ゲームの世界とはいえ死んだらどうなるか分からなかったからだ。次にアネットを助けたいと思った。次にイムを。
3人でデスゲームから抜け出したい。そうするには勝ち続けるしかないのかな、けれども、そうしたら対戦相手はどうなる?
あけぼのは言った、「次のゲームからは引き分けはない。どちらかが必ず死ぬ」と。
でも、いまはアネットやイムがいる。どうにかなるかもしれない。
そして、その後は。
現実で私を待っている人がいるんだろうか。現実のことを思い出せない私には分からない。もしいるのだったら戻りたいとも思う。これは私だけの夢、希望なのかもしれない。そして、それと同じぐらいに今は、アネットとイムとこのゲームから脱出したいとも思ってる。
不意にあけぼのの顔が脳裏に浮かんだ。ブルーとジェードグリーンの厳しい目がじっと私を見つめている。
もしかして、どちらかを選べなんて時が来るんだろうか。
「だーかーらー。ひとりで悩むのはよせってるだろ!」
「イムが勇者さまの悩み事をどうにかします、デス!」
左右から同時に声が上がり、私は浴槽の中でふたりに押しつぶされた。
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