第06話 その3「私は、50人目は選ばずに負けを宣言します!」


「私、思ったんですけど、ふたりで協力して引き分けにするのがいいと思うんですよー!」


 聖ブリリアント王国の旧都レジティメトの王城にある、四角い中庭に私の声が響きわたる。

 小猫のあけぼのや赤いドレスのアネットだけではなく、中庭にいた棄てられた人々の動きも止めた。

 全員の視線が私に集まる。

 その視線の多さに、自分がとんでもないことをしていることにようやく気づいた。


「レナ様。これは勝者と敗者を決めるゲームです。共闘によって引き分けなど、ゲームマスターであるこの私が許すはずがありません」


 いつもの小馬鹿にしたようなトーンではなく、語尾が少し跳ねた兎の男の声が頭上から降ってくる。平静を装うため怒りをかみ殺そうとしているのがそれだけで分かる。


「じゃあ、お願いするので今から認めるというのは」

「すでにゲームは開始されています。プレイヤー双方ならびにゲームマスターであるこのわたくしの全員が同意しない限り、途中からのルール変更は認められません。一応、参考までにお聞きしますが、レナ様はどのようにして引き分けにするおつもりだったのですか」

「それは――アネットさんと一緒に考えるつもりでした」

「おバカ! なんの考えもなしに、行き当たりばったりで言ってきたのかよ?」


 向こうから突き放すようなアネットの声が上がる。

 やっぱり私の考えは甘いんだろうか。


「あたしは全部背負しょってここに来てんだ。伸るか反るかに命賭けてんだ。自分だけ助かればいいってヤツとおなじにしてもらっちゃ困る!」

「アネット様、また言葉遣いが乱れているようですが」宙に浮いている兎の男が指を振って注意する。


「それとも、わたくしとの約束を破棄し、レナ様と共闘することにしたのでしょうか」

「違う、協力なんてしない! ……ですわ。あたしはみんなのために勝ち上がるって決めてんだ、ですの」


 兎の男の言葉にアネットは急におとなしくなる。

 一瞬の静寂が中庭に訪れる、私は次に何を言えばいいか分からなくなった。


「玲奈、独りよがりな勝手な思いつきでは誰も動かせない。相手には相手の意思がある。お前は今、自分でどうしたいのかすら分からないんだろ?」


 手すりから飛ぶとあけぼのが私の肩に乗る。

 みんなが助かる方法を探すことがそんなにおかしい? 私の小さな呟きに、あけぼのは目を細めるだけで何も応えない。

 代わりに、青空の中に黒い染みのように浮いていた兎の男が軽やかに話し始めた。


「自分の願いを叶えるためには相手を蹴落とす、それがこのゲームの本質です。それをみんなで助け合いましょう、ですか? それは夢も希望も望みも願いも全部棄てろと強要するに等しい行為です。誰もが同じということは誰もが不幸ということ。ご覧なさい――」


 兎の男が中庭を指差す。見れば私たちを無言で見上げる棄てられた民たちがいた。


「旧都に棄てられた不幸な民がまさにそれです。わたしたちで、そこから這い上がろうとする者たちにチャンスを与えるのです。わたくしはレナ様かアネット様のどちらかに。おふたりは棄てられた民の中から50名に。その希望の光を消そうとするあなたはどれだけ傲慢なのかと嘆かずにはおれません」


 仮面を押さえて兎の男がくぐもった声で笑う。

 みんなで幸せになんて、そんなの子供じみたことだと分かってる。ただ私は、誰にも死んで欲しくない、そう思っているだけなのに。

 兎の男もアネットも、そしてあけぼのも、みんな、自分ではない誰かが死ぬのは仕方ないことだと思ってる?


 ――自分ではない誰かが死ぬのは当たり前のこと?


 刹那、私の中で何かが弾けた。


「どうした、玲奈? にゃっ」


 私の顔を覗き込もうとするあけぼのの前足を掴んで天高く吊すと、私は頭の中を駆け回るイメージを目の前でジタバタする小猫にぶつけた。


「あけぼのは、私が勝つためだったらアネットさんは負けて消えてしまってもいいと思ってんのよね?」

「嫌な聞き方をするな。俺たちは勝つだけだ。その結果、アネットが消滅してしまうかどうかは彼女が自分の知恵でどうにかすることだ」

「アネットさんも同じ。私が消えてしまっても仕方ないと思ってる。あそこで飛んでるゲームマスターなんて消えるんだったら誰でもいいって思ってそう」

「何が言いたいんだ?」


 身をよじるのを諦めたあけぼのは、重力に身を委ねて手足をだらりと垂らす。


「つまり、みんなは誰を犠牲にするか、それを決めるのがこのゲーム」

「お前にしては随分と歪んだものの見方だな」

「歪んでる? そうでしょ。だって、自分の身を守るために相手を犠牲にするなんて考えが初めから歪んでるんだから。けれども別に犠牲になる人は相手って決まってるわけじゃないよね?」

「ん? 玲奈、まさかお前!」


 何かを言おうとしたあけぼのを乱暴に振りまわして喋れないようにしながら、私はアネットに大きな声で呼びかけた。


「アネットさん! アネットさんはさっき、私のことを『自分だけが助かればいいやつ』とか言ってましたよね。そのとおりだと思います! あの時の私、なんの覚悟もしてないことに気づきました!」


 きょとんとしているアネットから返事はない。猫を振りまわしている女から急に呼びかけられたら、どう反応したらいいか分からないか。

 私は目を回しているあけぼのを片手で抱きかかえると、残る手を大きく振ってアピールした。


「ですので私、ここではっきりと覚悟を見せて、アネットさんとふたりでこのゲームをどうにかしたい気持ちが本物だと証明します!」


 上を見れば兎の男も私をじっと見てる。中庭の人々も固唾を呑んで見守っている。

 なんか緊張するけどこれしか方法はないはず。

 私は大きく息を吸い込むと、これでもかというほどの大声を張り上げた。


「私は、自分が50人目の人を選ぶことになったときには、50人目は選ばずに負けを宣言します!」


 中庭の人々からどよめきの声が上がる。

「それってどういうことだ!?」「50人目を選ばずに勝敗が決まったらどうなるんだ!」「俺たちがどうなるんだか説明してくれよ!」「やだー、死にたくない!」


「おバカッ!」


 アネットの叫び声がざわついた人々の間を走り、周囲を沈黙させた。


「お前――レナが負けを宣言したらあたしが勝つだけよ。ねぇ、ゲームマスターさん?」


 視線を向けると、兎の男はこめかみを押さえながら無言で首を縦に動かす。


「アネット様のおっしゃるとおりです。レナ様が敗北をお認めになりましたら、その瞬間にアネット様の勝利となります」

「敗北宣言なんてレナひとりが不利になるだけの話だろ、ですわ」

「けど、これで私が本気だって分かってもらえましたよね、アネットさん」

「それはそうかもだけど――いや、違う。それより、そんなことしてレナにどんなメリットがあるんだよ、だわ」

「そりゃあります。私はアネットさんとふたりでこのゲームを終わらせたいんです。私は私の命を賭けにしてアネットさんの協力を引っ張り出します」

「ウソをついてあたしを騙そうとしてんだろ、かしら?」

「だったら、今ここで負けを宣言してもいいです。ゲームマスター、私は――」

「やめろぉっ!」


 悲鳴にも似たアネットの絶叫が私の言葉をさえぎる。


「そ、そんなこと言ってもあたしは協力なんてしない。あたしはみんなが大事なんだよ」


 それだけ言うとアネットはそっぽを向いてしまった。

 離れているのでどんな顔をしているのかは分からない。私が本気だって伝わってて欲しいけれど。

 それに私が自分の命を懸けたのはアネットにだけではない。もうひとり、協力してもらわなくちゃいけない人がいる。


「そう言うと思ったよ」


 どうしても協力者にしたいもうひとりの声が私の腕の中から聞こえた。


「私は本気だからね」

「俺を脅して助けてもらえると思うのか」

「じゃあ、私を見捨てる? 私、ここで本当に負けました宣言するよ?」

「ちっ」


 あけぼのは私の腕を思いっきり蹴って床に飛び降りると憎々しげに私を見上げた。


「お前は最後になるといつだってわがままを押しつけてくる」

「いつだって?」

「いやいい。それよりこれからだが、引き分け狙いなんて俺ひとりでは無理だ。お前の助けも必要だし運もある。だから1つだけ約束しろ」


 私は黙って大きくうなずく。


「どうしても引き分けにできないときには、お前は必ず50人目を選択しろ。それが約束できないなら俺はお前を助けない」

「やだ、できない」

「即答だな」


 溜め息をつくかと思いきや、あけぼのは冷静に次の質問をする。


「ならば、引き分けにできないと明らかになったとき、50人目を選ぶ以外のことであれば俺の言うことを必ず実行する、これなら約束できるな」

「分かった、約束する。私からも質問いい?」


 あけぼのは返事の代わりに長い尻尾を揺らしてうながす。


「50人目になるまで、あと何人?」


 あけぼのは心底呆れたように大きな溜め息をついた。


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