第8章 船長の年齢を当てろゲーム

第44話 幕間・記憶 その1「家族としてその誤解は解いておいた方がいいという訳だ」


 まるで水の中をもぐっているような、浮遊感と圧迫感を全身に感じながら、私は透き通った空間を漂っていた。

 ふと横を見ると左右に伸びた楕円形の泡が私の身体をかすめながら浮かび上がろうとしていた。と、次の瞬間には鈍い音を立てながら弾け、無数の小さな泡を生み出した。

 産まれた小さな泡たちはそのまま上昇していき、輝きながらシュワシュワと消えていく。

 横たわる私の眼前で広がる、気泡によって作り出された7色の光の乱射。


 別の泡が私の側を通る。私の頭ほどの大きな泡。それが目の前で弾けた瞬間、私はお母さんの顔を思い出した。

 中学生になるまでお母さんとふたり暮らしだった。子育てと仕事を両立させていたお母さんはすごく大変だった筈なのに、私の前ではいつも笑ってた。まるでヒマワリのように明るい人だった。


 また別の泡が割れた。すると今度は、お義父とうさんの照れ笑いしている顔が脳裏に浮かんだ。

「玲奈さえもし良ければなんだけどさ――」中学生になったある日、お母さんはお義父さんのことを話してくれた。

 少し嫉妬したけれど私は反対しなかった。だって、私を大切に育ててくれたお母さんが一緒に居たいと決めた人だから。初めて会ったお義父さんはずっと困ったような顔をしていたけれど、お母さんと話す時は優しい目をした。お義父さんはやっぱりいい人だった。


 その時にもう一人いたことを思い出した瞬間、大小さまざまな泡がわき上がった。

 現れた泡たちと一緒になって私は透明な空間を駆け上がる。降り注いだ光が泡の中を通ると7つの色を作り出す。乱反射する様々な色に照らされ、私の記憶の中の彼はよりはっきりと形になった。


 その人の名前は健司けんじ。4歳年上の新しいお義兄にいさん。彼はずっと難しい顔をしていた。緊張で顔がこわばってしまったのだと今なら分かる。けれども、あの時の私はずっと睨み付けてくる怖い奴としか思えなかった。


 泡が割れて光を散らしていくごとに健司義兄さんの記憶が戻ってくる。

 一緒に暮らすようになってからもムスッとしたままでろくに顔も会わせない。交わす言葉もあいさつ程度。私も別にそれでいい、だって家族でも他人なんだから。

 リビングでの時間を出来るだけ短くするため、私は自分の部屋でフォーチュネをプレイするのにのめり込んだ。


 そんな状態は私が中学を卒業するまで続いた。

 ある日、申し訳なさそうにお母さんが言った。「ごめんね、玲奈の気持ちも考えないで」いつも笑顔のお母さんが初めて見せた悲しげな横顔に、私は一生懸命否定した。違うよ、お母さん。お母さんが悪いんじゃない、あいつが悪いんだ。


「きっと、健司さんも同じように考えてると思うよ。だって、玲奈、あなたが健司さんを見る時、すごく怖い顔して睨んでるんだから」お母さんのひと言が私の胸をえぐった。まるでハンマーで叩かれたみたいに頭の中がぐわんぐわんとした。だから私はお母さんに心配をかけないよう接し方を改めることにした。


 まずは呼び方、「健司さん」ではなく「健司義兄さん」と呼ぶようにした。私がたどたどしくそう呼び始めると、健司義兄さんもぎこちなく返事を返してくれるようになった。

 次にリビングで一緒にテレビを観るようにしてみた。お母さんやお義父さんが居るときはテレビ番組をさりげなく変えてくれたからまだよかった。けれども、健司義兄さんとふたりきりになるとどんな番組を選べばいいのか分からない上に会話も続かなかったから、堪えきれなくなって部屋に逃げることが多かった。


 それではいけないと思い、会話をしなくても不自然じゃないもの――ゲームを一緒にすることを思いついた。けれども、私が持っているのは「フォーチュネイト・エターナルストーリー~君が巡る永遠~」だけ。いわゆる乙女ゲームと呼ばれるもの。しかも一人プレイ専用。

 それでも思い切ってこのゲームを知っているか聞いてみると、露骨に嫌な顔をして「そのゲームは知らないです、本当にごめんなさい」と敬語で返してきたので、このゲームは絶対にダメなのだなと諦めた。


 そんな健司義兄さんがいつの頃からかリビングで見始めたのが「トリックスターの遊戯」という探偵物のアニメだった。


 弾ける泡と共に記憶が蘇ってくると、あの時の健司義兄さんは私とおんなじだったんだと分かる。

 どうにかきっかけを作りたいのに、相手を理解していないから何をきっかけにすればいいのか分からない。そのようなヘンな矛盾に苦労してたんだと思う。

 そんな健司義兄さんが悩んだ末に選んだのがこのアニメで、それにまんまと乗ってしまったのが私というわけだ。


 あれはたまたま喉が渇いて夜中に目が覚めた時だった。

 麦茶を飲もうとリビングまで降りると、大型液晶テレビに春夏秋冬ひととせつかさが決め台詞「私が理解できないということは、君、人の枠を外れた才能を持ってるか、単なる変人か、そのどちらかだわ」を助手の少年に言い放っているシーンが映っていた。


 なにそれ! 理解できないことなんて世の中いっぱいあるのにどうしてそれで変人扱いされるの!? だったら健司義兄さんあいつのこと全然分かんない私は変人だってこと!?


「いや、その解釈でいくと変人は俺ってことになるよ」


 誰も居ないと思っていたリビングから彼の声がしたので私は文字どおり飛び跳ねて驚いた。

 その後に続く、彼のかみ殺した笑い声。あの時、健司義兄さんが笑ったのは、思わず口にしてしまった私の言葉に対してなのか、それともビックリして飛び跳ねた私の動きに対してなのか、それは今も分からないのだけれど。


 ただ、笑われてカチンときた私はひと言ぐらいは言い返したくて、


「でも、このキャラの言ってること、おかしいと思う――ます」

「だったら自分の目で見てみるのが一番だよ」


 健司義兄さんはまだ笑いが抜けないのか、口元を手で隠しながらリモコンで巻き戻し再生をするとちらりと私に目を向ける。流れ上、逃げるわけにもいかないのでソファの端に座ってもう一度そのシーンを一緒に観た。2回目の感想も、やっぱりこの女性キャラが男の子に言っていることは酷いなと思った。


ゲームフォーチュネばっかりやってる玲奈さんには難しいのかもしれないね」


 それは何気ないひと言だったけれど、フォーチュネの人気にかこつけてゲームに逃げている私自身を馬鹿にされたような気がして思わず口答えしてしまったことを覚えてる。

 彼は最初こそ「そうだな、そうだな」と受けとめてくれていたけれど、勢い余って私が、


「これが分かるなんて言ってる人はオタクなんじゃないですか?」


 と、口を滑らせてしまって事態が一変した。


「いいや、玲奈さんの理解力に問題があるだけだ――いや、違うな」

「何が違うっていうんですか。何度見ても同じだと思いますけど」

「確かに原作に比べてアニメは説明不足のところがある。それなのにテンポ重視だから早すぎて理解が追いつかない――なので、それを解決する方法は1つ」

「解決する方法?」

「原作小説を貸すので君はそれを読め」

「はぁ!? なんで私が小説なんて読まなくちゃいけないんですか?」

「理屈は簡単。君は司というキャラがおかしいんじゃないかと主張した。俺はきちんと観ていけばそんなことはないと反論した。そのために原作の小説を貸し出すことも提案した。提案を受け入れた結果、君の主張が変わらなかったのなら俺がオタクだと認める。だけど、これを受けないと君は一部分を見ただけで俺をオタクだと決めつけたことになる。いわゆる、見下し、差別だね」

「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「うん、分かってる。だから君は、これからのことを考えて家族・・としてその誤解は解いておいた方がいいという訳だ」


 そう言ってニヤリと笑った健司義兄さんあいつにうまく言い返すことが出来ず、この夜、私は「トリックスターの遊戯」の文庫本を押しつけられることになった。


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