第45話 幕間・記憶 その2「遠回しに自分の気持ちを伝える事がある。それは意識してではなく」


 私はまだ過去の記憶を見ていた。


 トリックスターの遊戯――この小説は、「トリックスターの遊戯ゆうぎ」から始まって、悪戯あくぎ喜戯きぎ演戯えんげきと続くシリーズで、最後の「トリックスターの演戯えんげき」が上中下の3巻、それ以外は上下巻の2巻ずつだった。なので合計9冊、健司義兄さんあいつはこれを読めという。正直言って本を9冊なんて読めると思えなかった。


 だから最初は適当にページをめくってそれらしい人物の名前と単語だけ覚えて「つまらなかった」と返してやろうと思ったけれど、試しに読んでみると何気に面白い。助手の少年の視点で語られてるので女探偵の春夏秋冬司がどうして人間嫌いで飼い猫にしか心を開かなかったのか客観的に分かったし、謎の部分は丁寧に書いてあったので私にも充分理解できた。敵組織と繰りひろげられるデスゲームのルールと駆け引きはちんぷんかんぷんだったけれど。


 この物語を読み終えて思ったのは、助手の少年を危ない目に合わせたくない、だから司はいつも少年にあんな憎まれ口をたたいて近寄らせないようにしていたということ。それは分かったけれど、


「全部読みましたし、その、面白かったです。でもやっぱり、普通じゃないから〝変人〟っておかしいと思うのは変わらないです。だって、それだとみんな少しずつ違うから〝変人〟てことじゃないですか」


 いつものように夜中のリビングで「トリックスターの遊戯」を観ていた健司義兄さんに、叩きつけるように本を返す。

 これを読んで〝普通〟なんてものは本当はないのが分かった。みんなを平均化したってそれに当てはまる人なんていない。だって、誰ひとりとしてまったく同じなんてことはないのだから。

 きっとこの時の私は納得しているようなそうでないような複雑な顔をしてたと思う。それを見た彼は口元を上げてニヤリと笑うと、


「そう思えるって事は、君も人の枠を外れた才能を持ってるか、単なる変人か、そのどちらかという訳だ」


 司とおんなじ台詞を返してきた。

 なんとなく予想していた言葉だけれど、やっぱりそれは悔しくて、どうにか否定したくても嘘をついてつまらなかったなんて言いたくなくて――何も言えないのに立ち去ることもできない私を見て、彼は顎に手を当てひとり頷いた。


「なるほど。まだ検証は終わってない、とも言えるね。君はアニメを見ておかしいと言った。ならば、もう一度アニメ版を見てまだおかしいと思えるか確認しないとフェアじゃない」


 そう言うとリモコンを操作して第1話を流し始めた。

 そうであるのが当然であるかのような動きにあっけにとられたけれど、このまま部屋に戻るのもしゃくだったのでソファに座ってテレビ画面を見た。


 小説を読んでいたせいかアニメ版を観ることに最初の頃のような抵抗感はなかったし、小説の内容がどう映像化されているのか興味がわいてきた。なので、何も言わずに一緒に観ることは当たり前のことのように思えた。


 隣に座る私に、健司義兄さんはうっすらと笑った。それは今までのぎこちない作り笑いとは違ってとても自然で、この人はこんな顔も出来るんだってこのとき初めて気づいた。


 こうして夜中にふたりでアニメを観る生活が始まった。

 

 真夜中の鑑賞会は毎晩ではなかったけれど、私が観たいなぁと思った時には大抵リビングに居てくれた。それで1話か2話を観て、おやすみなさい、とお互い部屋に戻る。

 小説では分からなかったデスゲームもアニメだと映像と音声が加わるので、ぼやけていた部分がクリアになってスッと頭に入ってきた。


『だるまさんがころんだゲーム』『50人目を取れゲーム』『勇者と助けられた魔物ゲーム』『陣取りゲーム』『正義の天秤ゲーム』『ふたりの門番ゲーム』『砂漠の旅人ゲーム』……


 テレビを観ていれば充分だったのに、健司義兄さんは隣で上から目線で解説してくれた。

 そういえばこんな得意げな顔もしてたんだっけなと思い出した。それと同時に、小説とアニメで違いがあるとああでもないこうでもないと冗談交じりに言い合ったことも、弾ける泡と共に1つ1つ蘇ってくる。


 あの頃はだんだんとそれが普通になっていって、それがないとちょっと物足りなく感じるようになっていった。


「アニメ版だけ観て面白いなんていう奴は、人の枠を外れた才能があるか、そうでなければ単なる変人だな」

「まさかそれって私に言ってるわけじゃないよね」

「そうだなぁ。玲奈に言うなら、ようやくアニメ版の良さを分かったなんていう奴はやっぱり変人だな、かな」

「そういう健司義兄さんは単なるオタクのくせに」

「はは。俺と玲奈はふたりそろってオタクって訳だ」

「ぶー」


 数ヶ月経った頃には「トリックスターの遊戯」を観ながらそんな軽口を言い合えるぐらいになっていた。

 もうフォーチュネは必要ない。私は夜中に観る「トリックスターの遊戯」が楽しかったのだから――ううん、そうじゃない、「トリックスターの遊戯」を観ながらたわいもない会話を出来るのが嬉しかったんだ。


「――どうして司があんな台詞を言ってるか分かった気がする」


 私がそう言ったのは、真夜中のリビングでいつもしていた鑑賞会の時。

 健司義兄さんは飲みかけのコーヒーをテーブルに置くと、


「長短の違いはあるけど誰もが個性を持ってる。だから、同じ、とか、普通、なんて人はいないってことになる。それはつまり、誰もが変人だってことを言ってるんだ」


 司の台詞を引用する。もっともらしいことを言って人はみんな変人なんだって揶揄しているとも付け加えた。

 皮肉屋らしい司の物の見方だと思う。けれども、父親は失踪、母親に棄てられ、人間を信じられなくなった司が口癖のように言うそれらの言葉は決して悪い意味ではないと感じる。だから私はこうなんだろうって考える。


「人間嫌いの司は、他人の事なんて理解したくないし、する気もないんだと思う。だから、私が理解できない人・・・・・・・・・は、って出会った全員を指して、みんな、何か才能があるよって伝えてるんだと思った」

「だとすると随分と回りくどい褒め言葉になるね」


 そう言いながらも健司義兄さんは満足そうにコーヒーをすする。

 誰かさんだって回りくどい言い方でからかってくるくせに、と思ったけれど、それは口に出さずに一緒にコーヒーを飲んだ。

 照明が消えた暗いリビングで大型テレビの灯りだけが私たちを照らす。深夜に繰り返されるふたりだけの時間。

 人は時に、相手がすぐ目の前にいるのに直接的じゃなくて遠回しに自分の気持ちを伝える事がある。それは意識してではなく無自覚のうちに。


「玲奈は司が好きなんだね」

「健司義兄さんは違うの? 好きそうなキャラだと思うけど」


 唐突な健司義兄さんの質問に、普段思っていたことが口をついて出る。


「俺はあけぼのがいい」

「あけぼの? どうして?」

「司に可愛がってもらえるから」

「なにそれ。やっぱり司が好きなんじゃない」


 ニヤリと笑う健司義兄さんに、思わず肩を叩いてツッコむ私。そしてふたりして笑う。

 そして夜が更けていく。そんな楽しかった思い出の時間――。


 どうして私はこんな大切な記憶を今まで忘れてたんだろ。


 刹那、見ていた記憶が無数の気泡に押し流される。押し寄せる水流が私をもみくちゃにして、泡と記憶を連れて行く。健司義兄さんの顔が泡とともに遠ざかる。


 そのまま私は透き通った空間から押し出された。

 私は空に放り出されると、天地が反転し、重力に引っ張られるまま落下した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る