第42話 その6「よくひとりで気づいたな」
『砂漠の旅人ゲーム』は砂漠を西に歩いて6日先にある
私は3日目からひとりになった。
食糧はひとり4日分しか持てない。その条件で6日の道を進むには、誰かひとりにだけ食糧を託すしかない。アネットもイムも当然のように私に食糧を渡して先に進めと言ってくれた。ふたりは
4日目、私は自分の影を引きずるようにしながら白い砂漠を進み、自分の影を見続けながら進むことに飽きた頃、ひとりで夕食を取ってひとりでマントにくるまって寝た。
5日目、前日と同じようにひとりで歩き、ちょうどいい岩場で昼食をして、また歩いて砂の上で寝た。私にもう迷いはない。なので、一日中歩いた疲労が身体に蓄積されていても心は反対にすっきりしていた。
6日目、このまま砂漠を進めば夕方にはオアシスに到着する。私は自分の影を従えながら歩み始め、昼食の時だけ少し休み、午後からは自分の影を見ながら進んだ。
そして、自分の影が前方へと伸びた夕刻、薄紫色の砂上に小さなオアシスが見えてきた。
私が足を進めるごとにそのオアシスは近づき全容が明らかになってくる。緑の椰子の木に囲まれたこぢんまりとしたオアシス。
あそこの泉は透明で、冷えていて、水浴びをすれば気持ちいいだろうなって思ってた。
泉のほとりで2つの影が動いているのが見えた。何か火を起こしているのか、影の間に光るゆらめきがある。
まだ居てくれた! 胸が高鳴る。それに合わせて早足になる。一歩踏み込むごとにその影たちは確実に大きくなり、私に気づいてゆらゆらと立ち上がる。
足の遅さがもどかしい。私はリュックとマントと放り出すと、ドレスの裾を掴んで大股で砂の上を走る。
一歩、二歩、三歩、動かした分だけ早く2つの影に近づける、会いたかったふたりにっ。
「アネット! イム!」
走りながらあらん限りの声で叫ぶ。2つの影は慌てふためいてる。
そりゃ驚くよね、送り出したはずの人間がここにいるんだもの。けれどもそんな事は構わない。私はこうすることに決めたんだから!
私は一直線に、赤いドレスの彼女と、水色のドレスの小さな女の子のところへ向かう。
「アネット! イム!」
もう一度叫ぶ。忘れもしないふたりの顔。
その顔がはっきりと見える距離まで近づいた時、アネットに支えられたイムの腕が伸びた。ムチのようにしなったその腕は、私の身体に巻きつくとグイッと引っ張ってくれた。その力も加わり、私は飛ぶようにしてふたりの前まで走りきった。
「ただいま、ふたりとも。帰ってきたよ!」
けれどもふたりは、嬉しそうな、悲しそうな、複雑な顔をして固まった私をじっと見ているだけ。
分かってる、もし私がその立場だったらふたりのように戸惑っていたと思う。
私も同じだ、次の言葉が出てこない。だから私は、思いっきり笑ってみせると大きく腕を広げた。
「勇者しゃま!」
ムチのような腕が縮んでイムが胸に飛び込んでくる。私はそれをしっかりと受けとめる。
イムの声に釣られたかのようにアネットはゆっくりと近づくと、
「おバカ。なんでこっちに来ちまうんだよ」微かに震えるアネットの声。
「私、ちゃんと決めてここに来たから」アネットにはっきりと答える私。
「勇者しゃま、勇者しゃま、勇者しゃま」イムは私たちの間で繰り返す。
私とアネットの視線が交差する。
イムの声だけが流れ続ける中、眉間に皺を寄せていたアネットが「ふう」と溜め息をつくと、
「ったく、イムがこれじゃちょーしが狂うよ」
イムの頭をポンポンと叩き、
「お帰り、レナ」
顔を綻ばせると私の背中に手を回してしっかりと抱きしめてくれた。
こうやって3人で抱き合ったのは何度目だろう。そのたびに私は、ふたりの新たな温かさや優しさに気づかされる。また迎え入れてくれたことが何よりも嬉しい。ありがとう、ふたりとも。
ふたりの元に戻ってきたことを実感している私に、アネットが「どうして
私は少し顔を放すと、
「私ひとりでゴールしたくない。それがいま私が望んでることだって分かったんだよ」
「それじゃあけぼのはどーすんだ? レナだってこの砂漠から抜け出せねーだろ」
眉を曇らせ心配するアネットに私は何も言わずに笑ってみせた。
「本当はうれしいの、デス。でもでも、戻ってきてほしくもなかったの、デス」
イムは抱きついたままそう言うとまた顔をうずめた。
私も同じだよ、やっぱり一緒に居たいと思ったんだ。そして、ゴールできずに期待を裏切ってしまったことがとても悲しいとも思ってる。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが両方あって、それはどちらも私の気持ち。人には感情がいくつもあって、それは同時に幾つも心から湧き出してくる。時には極端な感情が並ぶこともある。その全てが本当の自分、どれかを否定する必要なんてない。そうした矛盾を含んだ生き物が人で、そうした人同士が集まったところに〝普通〟が生まれる。
そのようにして〝普通〟が出来るのだから、ひとりの人間がそんな〝普通〟になんてなれるわけなんかなくて、せいぜい自分の中に生まれた全ての気持ちを受け入れること、それしか出来ないと思う。
なので――、
「ありがとう、イム、アネット」
〝普通〟の人だったらどうするかなんて考えなくていい。〝自分〟がどうしたいかを考えればいい。
そう気づかせてくれたふたりに伝えたかった感謝の言葉。
それを私が口にした瞬間、一陣の風が私たちの周りをグルグルと回った。
風は私たちの目の前で渦を巻いて砂を巻き上げたかと思うとあっという間に消え去り、そこには
「
司は黒髪をかき上げると不敵な笑みを浮かべながら尋ねる。
「トリックスターの遊戯」の主人公にして女探偵。けれども、その容姿を借りているだけで中身は違う。私は
アネットとイムが前に出ようとするのを止めると、私は一歩前に出た。
「アネットやイムが大切だって分かったから」
「その2体は
「ここが私の病気を治すための仮想空間で、ふたりもそのための仮想の
「だけど、玲奈は2体を見捨ててひとりで
「きっと、そう考えてる所もどこかにあったと思う。けれども、私の中の何か1つでも否定すれば、それ以外は私だって証明できなくなる。だから、全て私なんだって受けとめればいいことに気づいた」
「そうか」
顎に手を当て興味深そうに聞いていた司は、コクリと頷くと指を立てて左右に振った。
「玲奈が導き出した答えはそれで結構だよ。しかし、ゲームは君の負けだ。君の望むものは手に入らない。君はこの仮想空間から抜け出せない、現実世界にも戻れない、そして、私が誰なのかも分からない。それとも、その2体のプログラムとずっと一緒にいるために延々と
「続けたいわけじゃなし、きっともう、このゲームは続かない」
私がはっきりと答えると、司は黒目がちな目を細めて薄く笑った。
心配して私のドレスの裾を掴むアネットとイムに微笑み返した私は改めて司を見た。
長身で黒髪、白いシャツと黒いスカート。唇だけが赤く、それがこのキャラをミステリアスな存在にしていた。けれども、いま目の前にいる彼女は「トリックスターの遊戯」の春夏秋冬司じゃない。中身はあの人しか考えられない。
「玲奈。君はいま、自分が病人で治療中だということを知っている。
「多分、その必要はないと思う」
私の言葉に司の指が止まる。そして、「さあ言ってみろ」と言わんばかりに口元がつり上がった。
これから私は、ようやく思い出したことを口にする。それは私にとってとても重大な出来事で、今まで封印されていたかのように私の記憶から消えてしまっていたことだ。それが今、私の脳内からあふれ出そうとしていた。
「どうして私が治療中なのか、現実の私に何があったのか、ようやく思い出したから――ねぇ、健司
その言葉に司――健司義兄さんはひとしきり笑った後、優しく微笑んだ。
「玲奈、よくひとりで気づいたな」
その言葉を合図に
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