第39話 その3「それがイムからのお願いなの、デス」


 いま思っていることをちゃんと伝えたい――星が輝く夜空の下、私は膝の上に乗るイムに話しかけた。


「イム」

「なん、デス。勇者さま?」

「本当にごめん」


 私は約束を守れない。最初のオアシスに戻ったイムやアネットとはもう会うことは出来ない。この空と砂漠の世界をコントロールしているつかさがそれを許さないからと思うから。「トリックスターの遊戯」で司が少年とあけぼののどちらを取るかを選ばされたように、私もイムやアネットとあけぼののどちらにするかを迫られたのだ。そして、私はこの『砂漠の旅人ゲーム』で〝勝つ〟ことを選択した。


「私はイムを勇者が作った未来、新都セントラルに連れて行くって約束したのに、それなのに」


 膝の上のイムは私を見上げて不思議そうな顔をする。分からないのか、分からないフリをしてくれてるのか。私には分からないけれど、ちゃんと伝えなくちゃ――。


「私は……私は」


 私はひとり、次のオアシスゴールに進む。そう決めたのはイムやアネットが仮想の人物だから? そんなことは考えてないはずなのに、無意識でそう思っていたらと考えると、私は自分が思っている以上に心が醜いんじゃないかと怖くなる。自分で自分が分からなくなる。分かるのはイムとの約束を果たせないということだけ。


「そんな顔をしてはダメなの、デス」


 イムが私の頬を指先でつつく。優しく微笑むイムの顔がすぐ近くにあった。彼女は私の中の音を聞くかのように右耳を胸に押し当てた。


「こうやってさわってると、勇者さまが今、どんな気持ちなのかが伝わってくるの、デス。イムやアネット様のことで悲しい気持ちが感じるの、デス」

「私は。私は……ふたりを犠牲にして私だけが次のオアシスゴールに行くって、それでいいのかな、って。私、何が一番よかったのか、自分は正しいのか、まだ分かってないんだ、本当は。だから、ごめん」

「勇者さまとイムとアネット様の3人で決めた、デス。勇者さまはそれがイヤなの、デス?」

「そんなことないっ。3人でちゃんと話して決めたんだもの、嫌じゃない。イムとアネットの気持ちも嬉しかった、それは本当」

「それはよかったなの、デス。勇者さまはうれしかったなの、デス。なので勇者さま――」


 イムが上目づかいで私を見る。


「うれしい時は、ごめんなさいではなく、ありがとう、なの、デス。これは勇者レナさまから教わったの、デス」


 そうだ。『陣取りゲーム』が終わった夜、あけぼのの作戦で素っ気ないフリをしていたアネットがいつまでも謝り続けるので私が言った言葉だ。ごめんなさいの謝罪より、ありがとうの感謝の方がいい。あの時の私はそう思ったし、今だってそれは変わらない。それなのにさっきから私が口にしている言葉はなんなんだろ。言葉にすることなく、イムがそれに気づかせてくれたんだ。


「イム、こういう時こそ、ありがとう、だよね――本当にありがとう」


 イムは何も言わずにニコニコすると、片手を広げて抱っこをせがんだ。私はふたりで夜空が見られるようにイムを後ろから抱きかかえる。一緒に寝転んでいたアネットはいつの間にか肘枕でこちらを見ていた。彼女の軽い笑みになんだか救われた気がした。


「イムは400年前の勇者さまには会えませんでしたけど、勇者さまの想いをもってる新しい勇者レナさまと一緒にいることができました、デス。それはとってもしあわせなことだったの、デス」


 一緒に星を見上げながらイムが呟く。その言葉は砂漠に吹く風と共に私を撫でた。


魔物イムたちには死がない、デス。体が消えても永遠の中でまた目を覚まします、デス。イムはいつまでもイムなので、死が分からないの、デス。なので、死んでお別れが悲しいって気持ちが分からないの、デス」


 なんとなくだけど、イムが言っていることは理解できた気がする。ゲームの世界のモンスターは勇者のやられ役として、倒されても倒されても何度も出現する。それは死によって終わることを許されず戦い続けることを強いられている状態だ。


「勇者さまがうらやましいの、デス。お別れしてもその人のおもいが残る、それは人間勇者さまにはできて、魔物イムたちにはできないの、デス。なので勇者さま――」


 仰け反るように顔を上げてイムが私を見る。水色の左目に夜空の星々が映り込んできらめく。


「もらったその気持ちをずっと持っててほしいの、デス。それがイムからのお願いなの、デス」


 イムの言葉に胸がいっぱいになった私は唇を噛んで大きく頷くしかなかった。


 こうして私とイムの夜は終わった。





 次の日の朝、「勇者さまとアネット様が見えなくなってから魔物の姿に戻ります、デス」と言うイムをリュックに座らせ、私とアネットは次のオアシスゴールへと歩き始めた。

 途中、ふり返るとイムが右手を大きく振っているのが見えたので、私も負けじと両手を振って応えた。このやりとりを数回続けていくうちにイムとの距離は広がっていき、いつしか白い砂丘の影に隠れて見ることができなくなった。

 この間、アネットは黙って私の好きなようにさせてくれた。


 太陽が真上に差し掛かる頃、私たちは運よく岩場に行き着き、その影で食事を取った。


「昨日はイムに譲ったけど、まー見てろって」


 そう言いながら手に持った干し肉をナイフで素早くスライスし、沸騰した鍋に入れていくアネットの姿は本当に鮮やかだ。

 キャベツのような野菜を手でちぎって投げ込み、乾燥した豆とミニトマトは袋をひっくり返して全部入れる。ハーブやコンソメ、それに赤や黒の調味料を数種類入れて木のスプーンでかき混ぜる。実にリズミカルだ。

 スパイシーないい匂いに誘われて私のお腹もグーとリズムを刻む。恥ずかしくなってお腹を押さえる私を横目で見ながらアネットが顔をほころばせる。


 きっと、こうやって妹のイルザにも食事を用意してたんだろうなと思うと、切ないような、寂しいような、悲しいような、複雑な気持ちになる。

 けれどそれでいい、私はそう思っている自分を素直に受け入れる。

 もうそういった感情を後ろ向きにはとらえない。だって、イムにそう思う気持ちをずっと大切にしていて欲しいと言われたんだから。


「食べ物を前にニヤついてるなんて、レナも案外食いしん坊なんだな」

「こんないい匂いを嗅いで笑顔にならないなんて人いないよ」


 アネットから手渡されたライ麦パンとお椀を受け取り、さっそく浸して頬張る。口の中に広がるトマトの甘酸っぱさの後に唐辛子のような辛味が表れて鼻を抜ける。

 次にスープの具を口に流し込む。干し肉は程よい固さで塩加減がちょうどよくなってる。そこにキャベツの甘味と豆の食感が加わるとまた新たな楽しみが生まれてくる。

 いい、すごくいい。簡単に言うとおいしい、難しく言うと凄く美味しい。


「ぶん゛、ずごくお゛いじぃ゛」

「おいおい、しゃべるか食べるかどっちかにしてくれよ。イムの方がまだ行儀がよかったぞっ」


 そう言って笑ったアネットのスプーンが急に止まったのは、イムの名前を無意識のうちに出して気がとがめたからだと思う。そして、うかがうような目で私を見る。


 そんなに気を使う必要なんてないのに。

 そりゃ、胸の奥の方がまだちょっと悲しくてうずいているけれど、それは人間だけが持つものだって教えてもらったから、私はそれをそういうもんなんだと受け入れてる。いま私にある感情も何もかも全てが自分なんだって後悔なく言えるようにする、それでいいんだってイムに言われたんだから。


「そうか――レナは強くなったな」


 アネットは出来るだけ表情を変えないようにそう答えたけれど、まだどこか吹っ切れていない感じだった。


 おいしい昼食を終えて気まずい空気を漂わせたまま、私とアネットは次のオアシスゴールへと足を進めた。

 照りつける太陽は私たちが進む西へと傾き、透明で青い空は徐々に溶けて薄紫色へと濁っていく。

 私たちは大した言葉を交わすこともなくその下を黙々と歩き、時々、風に煽られてずれたマントを付け直すことで間を持たせたりした。


「あ、ちょっと待って」


 私がアネットを呼びとめたのは、フード付きのマントが激しく煽られて旗のようになびいてしまったのを直したかったからだ。


「ああ、今の風はちょっときつかったな」


 足を止めたアネットがふり返る。と、急に発生した激しい風が私たちの足元に落ちて白い砂を巻き上げた。

 驚いて周囲を見渡すと、風に追い立てられて密度を増した空気の塊が砂を巻き上げながら波打って近づいてくるのが見えた。まるで空気の津波だと思った瞬間、


「レナ!」

 

 空気の津波が作った強風にマントを奪われた私はそのまま砂上に倒された。

 次に来るのは空気の津波、そう覚悟して身体を縮こませた私の身体を何かが覆う。

 恐る恐る目を開けると、アネットの顔が目の前にあった。彼女は羽織っていたマントで私を包むと、空気の津波に押し流されないように必死に私を抱きしめていた。


 打ち付ける風の音の中、アネットの体温が全身から伝わってくる。彼女は自分のマントで私たちふたりを包みながら空気の津波に押し流されないよう私を力強く抱いた。マントの中でアネットを見ると、彼女も私の視線に気づいたのか何も言わずにウインクした。


 マントの外では巻き上げられた砂とそれを運ぶ風が激しくマントにぶつかる音がしていて、アネットはその衝撃に懸命に耐えているはずなのに、そんなことはおくびにも出さずにただ微笑んでいるだけだった。


「アネット、私はひとりでも大丈夫。だからアネットにはアネット自分のことを――」


 そう言いかけた私の言葉が止まったのは、アネットのふくよかな胸に顔がうずまったからだ。

 アネットは私の頭を抱いて胸に押しつけると、空気の津波をやり過ごそうと縮こまった。砂嵐の音が消え、アネットの心臓の音だけが私の耳に流れ込む。それはとても心地よいリズムを刻んでいて、時間が経つごとに安らぎを与えてくれた。


 はじめ窮屈だったアネットの腕の中もいつしか温かな安心を与えてくれる場所に変わった頃、ぼんやりとしていた私にアネットがささやいた。


「最後まで一緒に行けなくてゴメンな」


 その呟きは夢じゃない、そう思いながら私は眠りについた。


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