第38話 その2「だからちゃんと伝えなくちゃいけない」


 ――『砂漠の旅人ゲーム』、それは謎解きゲームだ。


 私たち3人はそれぞれ4日分の食糧を持っているけれど、ひとりで4日分を越える食糧を持つことはできない。砂漠の横断なので1日でも食糧を口にしなければ死んでしまう。そんな条件で今いるオアシススタート地点から歩いて6日かかる次のオアシスゴールに行かなければならない。次のオアシスゴールには司が待っていて、約束どおり彼女が何者かを教えてくれて、あけぼのを返してくれるだろう。


 4日分しか食糧が持てないのでひとりでオアシスに行くのは無理、かといって、3人で一緒に行こうとしても5日目には全員の食糧がなくなるのでこれも無理。だから、考えるべきは「誰をオアシスに行かせるか」と、その人に「どうやって6日分の食糧を持たせるか」になる。


 現実世界の記憶を思い出してきた私は、このゲームが「トリックスターの遊戯」の最後に出てきたことに気づいていたし、このゲームの解き方も分かっていた。なので、私がこのゲームのクリア方法をアネットとイムに話した時、ふたりは迷うことなく私にオアシスに行ってあけぼのを助けるよう勧めてくれた。

 ふたりの気持ちは嬉しかったけれど、私は素直に喜ぶことが出来なかった。こんな風には考えたくないのに、どうしても頭に浮かんで消し去ることができない事――初めからそうするようにプログラムされていただけじゃないのか、と。 


「はじめのお別れはイムでいい、デス」


 ゲームのクリア方法を話し終えた後、イムは迷うことなくそう言って笑った。片目、片腕、片足のイムひとりじゃ最初のオアシススタート地点に戻れないんじゃないかと心配したら、


「イムは魔物の姿に戻ればひとりで歩けます、デス。でも、勇者さまとお話しできなくなりますし……それに、その……勇者さまに見られるのは恥ずかしい、デス」


 小声でそう言うと、イムは私に抱きついて赤くなった顔を隠した。思わず抱きしめると、私たちふたりの頭をアネットが優しく撫でててくれた。


「あの女のところにはレナが行け。あたしたちはこっちのオアシスで待つよ。だからなんにも心配することはねーよ。行ってあけぼのを取り戻したら、心配させやがってって、あたしの分まであの猫をひっぱたいでくれよ」


 アネットの優しい声が私の薄汚い心に染みる。ふたりを疑っている自分が嫌になる。それなのにその感情を消すことが出来ないでいる。ふたりはこの世界のコンピュータによって作られた仮想の人物、プログラムされたとおりにしか動かないのに――そう思ってしまう。



『ゲームは玲奈が知っているとおりだよ。このオアシススタート地点から6日先のオアシスゴール。わたしはそこで待ってる。6日先のオアシスゴールでわたしに会った人が勝者、この世界で生き残るのはわたしに会った人だけだよ』



 腕の一振りでオアシスを出現させた司は、吹いた風に黒髪をなびかせると不敵な笑みを浮かべて消えていった。残ったのは青い空と白い砂漠、そして緑の椰子の木と透明な泉だけだった。


 そして私たちのゲームが始まった――。





 次のオアシスゴールを目指して1日目、私とアネットはイムを抱えながら空と砂漠の間を歩いていた。

 前を見ても後ろを見ても青と白の2色の世界が果てしなく続いている。見上げれば輪郭がぼやけた太陽が空に浮かんでいるだけで雲など1つもない。こんな殺風景な世界だけれど、進むべき方向は自然と分かっていたので私たちの足取りに迷いはなかった。


「デスので、イムの仲間たちは集まって生活していたの、デス」


 私とアネットに支えながら歩くイムはいっぱい自分のことを話してくれた。

 彼女たちは粘液状の不定形な魔物で、沼地や洞窟の湿ったところに群れを作っていて、動物や魚や虫の死骸を食べて生活しているので他の魔物や人間を襲うことはほとんどない。体表の色は私の知ってる水色だけじゃなくて、緑色とか黒色とか幾つか種類があるようだ。


「イムの水色は綺麗だね」と呟くと、イムは「えへへ」と笑って私の腕に絡み付いてきた。アネットはそのやりとりを横目で見ながらイムの身体をずっと支え続けた。


 太陽が西に傾くまでイムの話は途切れることがなかったけれど、私にはそれがありがたかった。会話もなく、3人で黙々と歩いているだけだったら、私はきっと、もっと余計なことを考えてしまっていたと思うから。

 それでも私は、ほんの一瞬だけれども、ニコニコしながら話すイムに相づちを打ちながら別のことを考えてしまっていた。

 

 「トリックスターの遊戯」の最終章、春夏秋冬ひととせつかさが敵組織のボスであり、正体は自分の父親と戦ったラストゲーム。

 幼い頃、大好きだった父親に捨てられて誰も信じられなくなった司が、唯一心許せたロシアンブルーの小猫あけぼのを取り戻すため、助手の少年とその彼女の3人で挑戦する内容だ。

 このゲームは誰かひとりしか次のオアシスゴールで待つあけぼのの所に辿り着けない。少年と彼女は司を行かせるために犠牲になることを伝える。司は悩んだけれど、最後は少年たちではなくあけぼのを選択してしまう。


 助手の少年とその彼女を選ばなかった以上、司はもう少年たちの元には戻れない。あけぼのを救い出した司は、あけぼのを抱いたまま油断した父親に体当たりして、3人は1つの塊となって【奈落】へと転落し『砂漠の旅人ゲーム』は終了する。

 後日、デスゲームをふり返った少年が「僕は変人の部分も含めてそれ全部が人間なんだって、司さんい言いたかった」と涙して終わる、そんな悲しい結末の物語だった。



「――勇者さまのお口に合わなかった、デス?」



 不安げに眉をひそめるイムの顔が急に視界に入り込む。

 気づけば夜のとばりが降りた砂漠の真ん中で、私たちはたきぎを前に夕食を食べていた。用意されていたのはライ麦パンに、ベーコンと野菜のコンソメスープ。スープに固いパンを浸して食べればそこそこ美味しい。そうだ、イムが用意してくれた、3人揃っての最後の食事だった。


「ごめんね、ちょっと考えごとしてただけだから」


 私は精一杯笑ってみせたけどちゃんと笑えてただろうか。


「そんな顔すんなよ、レナ。これはちゃんと3人で決めたことじゃねーか」


 アネットが薪に小枝を放るとパキッと弾ける音がした。

 彼女の言うとおり、私たちはこのゲームを3人で解くことに決めたんだ。


 『砂漠の旅人ゲーム』は、誰かひとりだけを6日先の次のオアシスゴールに進ませると考えれば解ける謎解きゲームだ。

 1日目の夜で食糧はそれぞれ3日分に減るけれど、誰かひとりが残りのふたりに1日分ずつ食糧を渡せば4日分、4日分、1日分となる。2日目になったら食糧を渡した人は1日かけて元のオアシススタート地点に帰り、残りふたりは旅を続ける。

 2日目の夜にはふたりとも3日分の食糧になるけれど、ここで片方の人が食糧を1日分渡すと4日分と2日分に分かれる。3日目になったら4日分の食糧を持った方は次のオアシスゴールを目指し、食糧を渡した方は2日かけて元のオアシススタート地点に帰る。

 これで確実にひとりだけは次のオアシスゴールに行ける。


 けれども、元のオアシススタート地点に戻ったふたりはどうなるんだろ。

 司は言った、次のオアシスゴールで彼女に会った人が勝ちだと。それって元のオアシススタート地点にいるふたりは含まれないってことだよね。


「だーかーらー、ひとりで悩むのはよせって何度も言わせんなよっ」


 アネットは私とイムからお椀を取り上げると、あっという間に私たちを押し倒した。

 腰掛け代わりのリュックを蹴飛ばして、私は砂の上にひっくり返った。私の目の前に夜空が広がる。

 見れば、月は出ていないのに星空が明るいのは、星の1つ1つが信じられないぐらいに輝いているからかもしれない。星の光に照らされて白い砂漠も薄明るく見えた。

 アネットが手を放すと、私たちは川の字になって澄んだ空を見上げた。


「あたしたちの問題は3人で考える、そー言ったのはレナだよな」

「――うん。言った」私はアネットの横で頷く。

「あたしとイムのことでなんか悩んでんだろ」

「…………」私はなんと答えていいか分からなかった。

「はは、大丈夫、無理に聞いたりしないよ。多分それはあたしたちが聞いても分かんないことだと思うし。だって、あたしたちが分かることだったらとっくに話してくれてただろ?」


 驚いてアネットを見ると、彼女は夜空から私に視線を移した。切れ長の緋色の目が私をとらえる。

 アネットはどこまで知ってるんだろ、きっと本当の事は何も知らないはず。アネットとイムも仮想の人物で、現実世界には存在してなくて、それもこれもコンピュータの計算どおりに動いているだけにすぎないのに――嫌な考えが頭を埋めつくそうとする。

 そうじゃないんだ、もっと単純なはずなんだ。今までアネットやイムと一緒にいた記憶や経験や感情は「仮想だから存在しなかった」? なかったことになんてしたくない。


「おバカッ」


 突然、おでこに衝撃が走る。アネットがゴツンと自分の頭をぶつけてきたからだ。


「何すんの。痛いんだけど」

「眉間にしわ寄ってたからほぐしてやったんだよ――どう、これで少しは話せそうかい?」


 急に真剣な顔をするアネット。


「言えることだけでいい、最後にイムと話してくれよ」


 迷いのない、真っ直ぐな瞳。いつもお姉さんぶってズルいな、と思っていると、


「あー、ズルいの、デス。イムも勇者さまとゴッツンするの、デス」

「おい、ちょっと、あたしに乗るなよっ」


 私たちのやりとりに気づいたイムが這いずりながら、アネットを乗り越え私のお腹にダイブする。ポンッと重みが加わるが小柄なせいか大して痛みはない。


「へへ、勇者さま、今日はいっぱい勇者さまとお話しできて、イム、幸せなの、デス」


 そう言っておでこをこすりつけてくる。小さな顔に水色の丸い目。笑みを満面に浮かべているけれど、結われた髪に隠された下には片方の耳と片方の目がない。それを失わせたのは間違いなく私だ。

 アネットは言った、最後にイムと話して欲しい、と。けれども、イムをこんな風にした私が彼女になんて言えばいいんだろ。


 その時、地表を走る風が白い砂を巻き上げながら私たちの上を通った。それはあまりにも突然のことで、私たちは一瞬にして砂まみれになった。

 髪も顔も衣服も何もかも砂まみれ、私は手を振って積もった砂を追い払うと胸に顔をうずめるイムを見た。


「大丈夫、イム?」

「砂はあんまりおいしくないの、デス」


 顔を上げたイムは私を見てニコリと笑う。私はイムを抱えて上体を起こすと、髪や背中についた砂を丁寧に払った。

 その間、イムはなされるがまま私に寄りかかった。

 水色の髪、水色のドレスをまとった彼女は本当に小さい。それでも彼女は400年の間、勇者に憧れ続けて生きてきた魔物だ。この小さな身体にどんな想いを詰め込んできたのだろう。

 それが分からない私に口に出来ることは少ない。


 本当に少ないけれど、だからちゃんと伝えなくちゃいけない――イムの体温を感じながら、私は言わなければと決心した。


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