第28話 その2「どちらの皿を振り子鎌の餌食とするかお決めください」


「それでは『正義の天秤ゲーム』、スタートです」


 冷厳とした王室礼拝堂に兎の仮面を着けた男の声が響く。

 正義のコインを固く握りしめたアネットは、参列席に座るイムを見てから巨大な天秤への前へと進んだ。

 均衡を保っている左右の天秤の皿には分厚い布を被った檻が乗っている。このどちらかの皿にアネットが正義のコインを投げ入れれば左右の均衡が崩れる。5枚のコインを入れ終わったとき、天へと向かった皿の檻は天井から吊される半月型の振り子鎌によって切り刻まれる。

 アネットは5回の質問で左右どちらの皿にあけぼのが居るかを言い当てなければならない。しかもその質問はイエスかノーで回答できるものに限るし、あけぼのが居るかを直接聞いてはいけない。


「アネット様、正義のコインを1枚だけ投げ入れ、最初の質問をお願いします」


 天秤の真上に浮かぶ兎の男が抱いている人形を撫でながら催促する。黒タキシードに身を包んだ兎の男にとって、片時も離さないあの人形は本当に大事なものなんだと思う。


「分かってるよ。あけぼのみたいにせっかちな男だなぁ」

 

 アネットは挑発するようにわざと語尾を上げたが、兎の男はもちろんそれ以外の誰も返事をしない。彼女は舌打ちすると天秤の皿の上に乗る檻を見比べ始めた。

 右の檻も左の檻も厚い布に覆われ見た目は変わらない。何か音がしているわけでもない。匂いは――ここからでは分からないけれど、アネットの動きを見る限りでは何もないのだと思う。

 得られる情報だけではどちらにあけぼのが居るのか分からない。いつもの憎まれ口や全然似ていない猫の鳴き真似でもしてくれれば分かるのかもしれないけど、さっきのアネットの言葉にも反応しなかったということは、眠らされているか、魔法で身動きが取れないのかもしれない。

 やはり、作戦どおり行くしかない。


 正義のコインを1枚握ったアネットは、右の皿に投げ入れる。

 ギギギ、金属がきしむ音が振動となって私が隠れている上階の廊下にまで伝わってくる。悲鳴にも似た音が鳴り止むとガシャンと天秤は大きく右に傾いた。


「ゲームマスター、最初の質問は『次の質問でイエスと答えますか?』だ」

 

 打ち合わせたとおりの台詞がアネットの声で聞こえる。手すり壁の格子の隙間から階下を覗くと堂々とした彼女の姿が見える。


「イエスかノー、どっちなんだ、ゲームマスター?」

「これはなかなか面白い質問ですね。生意気な小動物を取り上げれば大丈夫だと思ってましたが、まだ他にも知恵者がいたとは。実に面白いです。そうですよね、ソフィー?」


 抱いている人形に話しかけた兎の男は仮面を手で押さえながら本当に愉快そうに体を震わせた。


「いーから早く答えろっ」

「いいでしょう。どこまでソフィーを楽しませてくださるのかここから見物させていただきます。回答は『イエス』です」


 イエスと言った! それなら次の質問はあれだよ、アネット!

 すかさずアネットが握っていたコインを左の皿に投げる。ギギギ、重い音が響いたかと思うと、ガシャン、天秤の左の皿が下がり平行になる。


「次の質問だ。『天秤に乗る2つの檻の布を両方取り除いてもいーですね?』だ」

「素晴らしい。わたくしの回答は先ほどの宣言どおり『イエス』です」


 最初の質問で次はイエスと答えると言ってしまったのだから、ここで布を取りたいと言えばそれを拒否することは出来ない。「トリックスターの遊戯」でもこの方法で相手の逆手を取って助手の少年を救い出してる。

 ここまではうまくいっている――はずだけど、この状態になっても慌てない兎の男の態度やコインの枚数が違うことが気にかかる。


 この違和感はアネットやイムも持ってるはずだ。見ればイムはさっきからチラチラと私の方に視線を送ってきている。けれどもアネットは一気に行ける読んだのか、躊躇ためらうことなく天秤の右の皿に向かうと布の端を掴んで一気にずり落とした。


 布の下から現れた鳥かごのような檻の中には、ぐったりと横たわる灰色の小猫、あけぼのが居た。

 ああっ、これで次の質問で言い当てられる――声が漏れそうになるのに気づいた私は慌てて口を押さえた。


「左の檻の布もお取りください、アネット様」

「いやもう、あけぼのがどっちに居るか分かったんだ、取らなくたって」

「アネット様、あなた様は両方の布を取るとおっしゃったのです。ご自身の宣言に従わないおつもりですか。それに、ここで布をお取りになっておかないとおそらく後で後悔なさることでしょう」

「おい、それってまさかっ!」


 悲鳴にも似た叫び声を上げたアネットは、左の皿の下まで駆け寄ると力任せに布をずり落とした。

 露わになった黒い鳥かごのような檻には、ひとりの少女が鎖に吊され猿ぐつわをされていた。


「イルザ!」アネットが妹の名前を叫ぶ。


「そうですね、ご令妹様、かもしれません。しかし、後で偽物だったと言いがかりつけられても困りますので、しっかりとご確認をお願いします」


 仮面の下でくぐもった笑い声を立てた兎の男が指を鳴らすと、少女を縛る鎖と猿ぐつわが消える。


「お姉ちゃん!」

「イルザ、大丈夫か? どこか怪我してねーか?」

「会いたかったよ。急にいなくなるんだもん。お姉ちゃん、私のこと、邪魔になったのかと思って」

「おバカッ、そんなことあるわけねーだろ」

「だって、だってぇ」


 アネットと同じ赤髪のイルザは、緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込むと大粒の涙を流して泣き始めた。アネットは皿の端を掴んで必死に手を伸ばしたがイルザには届かない。


「イルザのこと、邪魔なんて思ったことねーよ。ねーちゃんはな、イルザをこの街から出してやりたかっただけなんだ、ホントだよ」

「うそ。だったらどうして何も言わずにいなくなったの?」


 震えるイルザの声に、アネットが言葉を詰まらせたのが分かった。

 きっとデスゲームに参加する条件としてイルザに何も言わないことを約束させられたに違いない。本当にどこまで酷いことをするんだろう、あの兎の男は。


「あのな、信じてもらえねーかもだけど、ねーちゃん、いつもイルザのこと、考えてたからな」


 絞り出すようなアネットの声。その言葉に嘘はない、だって、アネットと戦ったとき、アネットは懸命にイルザのことを探していたのだから。私があそこに居ればきちんと話してあげられたのに。

 袖で涙を拭ったイルザは口を固く結んでアネットを見る。アネットは目をそらすことなく真っ直ぐにイルザを見返す。


 アネットのことを信じて欲しい、そう願う私は腕に巻かれている包帯を見た。アネットが巻いてくれた包帯、出会って数日の私にすら優しさを見せてくれた彼女が、妹のことを邪魔だなんて思うはずがない。

 刹那、イルザの吹き出す声が聞こえた。


「お姉ちゃん、髪にリボンを編みこむの、ほんと下手だよね」


 はじけるようなイルザの明るい声。それだけで彼女がどんな顔でアネットを見ているか分かる。


「あ、ああ。ああっ! あたしじゃダメなんだ。イルザみたいやろうとしても、あたしじゃうまくできねーんだ」

「お姉ちゃん、ほんと不器用なんだから。せめて編みこみぐらい自分でできないと」

「ゴメンな、ねーちゃん、女の子らしくなくて」


 あの勝ち気なアネットがイルザを前に優しいお姉さんになっていく。本当に、妹が大切なんだな。

 そんなアネットが可笑しかったのかイルザの声が弾む。


「もう仕方ないな。また私がやってあげるから」

「ホントか、またやってくれるか。ホント、嬉しいよ。ありがとう、ねーちゃん分かったんだ。何が一番大切かって」


 アネットが背伸びをして手を伸ばす、イルザも檻の間から手を出す。

 ふたりの距離は離れすぎていて互いの手は触れることは出来なかったけれど、ふたりにはこれで十分通じ合えてると思った。


「さて、確認はこれぐらいでよいでしょう」


 パン、兎の男が手を打ち鳴らした音で場の空気は一変した。張り詰めた緊張感が場を支配した。


「アネット様、ゲームを再開いたします」

「再開って、あけぼのはあっちの皿に居るってもう分かっただろ」

「何をおっしゃってるのです。アネット様はまだ正義のコインを3枚お持ちではありませんか」

「3枚って」

「そうです、それらをどちらかの皿に入れない限りゲームは終わりません」

 

 人形を両手で抱え直した兎の男は、言葉を失ったアネットを人形と共に見下ろす。

 人形の翡翠色の2つの目はまるでこれから起こることが分かっているかのようにしっかりとアネットを見つめている。

 今は水平を保っている天秤も、3枚のコインを投げ入れれば必ずどちらかに傾く。

 全てのコインを入れ終わり、天秤のどちらかの皿が高く上がったとき、そこに待つのは――


「さあ、どちらの皿を振り子鎌の餌食とするかお決めください」


 兎の男は楽しげに笑った。


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