第29話 その3「だからね、お姉ちゃん――」


 古城の礼拝堂で行われている『正義の天秤ゲーム』は、あけぼのが天秤のどちらの皿に乗っているか導き出してもまだ終わりではなかった。

 正義のコイン5枚を天秤のどちらかの皿に投げ入れて質問をしなければゲームは終わらない――違う、そうじゃない。5枚のコインを全て投げ入れて上昇した方の皿を振り子鎌で切り刻まなければ終わらないんだ。


 均衡の取れた天秤を前に、アネットは何も言えずに何度も左右の皿の上に視線を動かしていた。右はあけぼのが捕らえられている檻、左はアネットの妹であるイルザがいる檻。その2つを見比べている。

 そうするのは当然だと思う。このゲームはたった今、あけぼのがどちらの皿に乗っているかを当てるゲームから、左右どちらの皿を振り子鎌の犠牲にするかを選択するゲームに変わってしまったのだから。


 昨夜、「トリックスターの遊戯」での「正義の天秤ゲーム」を思い出した私は、アネットとイムとで作戦を考えていた。

 天秤は必ず傾き、上がった方の皿が振り子鎌によって粉々になる。皿に乗せられるのは、おそらくあけぼのと棄てられた民の誰か。確実に助けたい方を投げ入れるコインで誘導し、上昇した皿の方は上階の廊下に隠れている私が飛び乗ってどうにかする。ここは少し運任せになるけれど、3人の中で一番動けるのが私なのでこの役は譲らない。

『大好きなあけぼのが心配で失敗されても困るからな。あけぼのは任せな、上がった皿の方は頼むよ』

あの夜、冗談めかしてそう言ったアネットは笑顔を見せてくれたけど。


「さあ早く、3枚目の正義のコインを投げて質問をしてください」


 空中で兎の男が楽しそうにアネットに催促する。


「アネット様、イムが変わるの、デス!」

「いや、いい。あたしがやるよ」


 心配するイムに手を振ったアネットは、覚悟を決めたように天秤を見据える。

 右の皿にあけぼのの檻、左の皿は妹のイルザの檻。


「お姉ちゃん?」


 鉄格子を掴んでアネットを見ていたイルザが不安そうな声を上げる。檻が布で覆われていた間も私たちのやりとりが聞こえてたんだと思う。イルザは一瞬だけ頭上を見て、またすぐにアネットに視線を戻した。


「大丈夫だから、ねーちゃんを信じて」


 アネットの声が微かに震える。抑えようとしても心の動揺が漏れているのが私にも分かる。だとしたらイルザにはもっと伝わるんじゃ――。

 手すり壁の格子の隙間から階下を覗き見ていた私の目の先でアネットが正義のコインを放る。コインは金色の軌跡を描きながら片方の皿に落ちる。

 ギギギギ、不気味な音を立てて天秤が一方へ傾く。


「きゃあぁぁぁぁー!」


 イルザの悲鳴と共に彼女の皿が天井へと近づく。


「待ってろ、すぐに戻してやるから!」

「まだですよ。質問をしてからでないと次のコインは投げられませんよ」


 駆け寄ってイルザの皿にコインを投げ入れようとするアネットを兎の男が嬉しそうに制止する。


「『あっちにいるあけぼのは本物ですね?』だ!」アネットはイルザでない方の皿を指差す。

「本当にその質問でよろしいですか? もっと他に聞かなければならないことがあるのではないですか?」

「これでいーから早くしろ!」

「アネット様は怖いですねえ、ソフィー? 心地よい音色が聞けたからそれでいいですって? 本当にソフィーは優しいですねえ」

「ふざけんなっ! 人形と喋ってねーで早く答えろ!」

「焦るその表情、ソフィーも大変満足しております。次はそれ以上でお願いしますね。回答は『イエス』です」


 兎の男がイエスを口にした瞬間、アネットは4枚目のコインをイルザの皿に投げた。

 金属がきしむ音を轟かせながら天秤が水平に戻る。


「元に戻っただろ? 大丈夫だからな。な、イルザ?」

「お姉ちゃん、お姉ちゃーん!」

「心配いらないから、ねーちゃんが居てやるから」

「うそ! うそ! お姉ちゃんのうそつき! やっぱり私のこと、いらないんじゃん!」

「うそなもんか!」

「だって、次で私、死んじゃうんでしょ!」


 泣きじゃくるイルザに、アネットは皿の縁に手をかけてどうにかイルザの顔を覗き込もうとする。水平になった天秤の皿の位置では、手を伸ばしても届きそうで届かない。

 本当はどちらの皿の人も助け出す作戦だけれども、そのことを言ってしまうと兎の男に作戦がばれてしまう。だからアネットは何も答えることができないんだ。


 姉妹の関係が壊れてしまうぐらいならいっそ私がここで名乗り出てしまえば――私がそう思って立ち上がろうとした瞬間、鋭い殺気に当てられ金縛りに遭ったように体が硬直した。見れば、ふり返ったイムが刺さるような視線で魔物特有の殺意をぶつけてきている。

 動くなってこと? イムの意図を読んで腰を沈めると、彼女は一瞬だけ微笑んで前に向き直った。


「アネット様、4つ目の質問をお願いします」


 仮面の下でくぐもった笑い声を出しながら兎の男がゲームを進行する。

 正義のコインが5枚もあると思わなかった私たちは、4つ目以降の質問を考えていなかった。あけぼのだったら、この状況を逆転できる質問をひらめいたかもしれない。けれども私には何も思いつかない。


「あ、ああ……ああ」


 イルザを見つめたまま、アネットも必死になって質問を考えているのが分かる。イルザを安心させようと笑って見せていたが、その笑顔はどこかぎこちない。その心の動揺はイルザにも伝わったのか、彼女は青白い顔をしたまま涙をこぼした。


「……あ、あけぼのを見つけたんだから、このゲームはもう終わりだろ?」

「回答は『ノー』です」

「ま、待て。今のは質問じゃなくてルールの確認をしただけだ」

「そうです、アネット様はルールについて『質問』なさいました。ですのでご回答申し上げたまで。さあ、5枚目のコインを、最後のコインを投げ入れて『正義の天秤ゲーム』の勝者となってください」


 震えるアネットに兎の男は容赦ない言葉を浴びせる。

 このゲームはもう天秤のどちらの皿にあけぼのが乗っているかを当てるのではなく、ゲームの最後に行われる振り子鎌の犠牲者をどちらにするか選択を強いるものになっていた。

 あけぼのかイルザ、最後のコインを入れられなかった方が犠牲者に選ばれる。もちろん、選ばれなかった方も助けるために私がこうやって上階に隠れているのだけれど。


「ここでアネット様の決断に大いに役立つ情報を提供いたしましょう」


 空中に漂う兎の男が人形の頭を撫でながら笑う。


「ご令妹様には棄てられた民の代表としてこのゲームに参加いただいております」

「おい、それってまさか」

「お察しのとおり、もしイルザ様があの鎌に切り裂かれるようなことがあれば、全ての棄てられた民に同じ結末を迎えていただきます」

「いやぁぁぁー! お姉ちゃーん!」


 イルザの悲痛な叫びが礼拝堂にこだまする。

 酷い、なんて悪辣なやつ。イルザから見れば、姉のアネットが自分にコインを入れてくれなければ姉との絆は切り裂かれて二度と姉を信用しないだろう。だからコインをイルザに投げ入れればいいしそうして欲しい。けれどもアネットは言った、「あたしの事なんかよりあけぼのを救うのが大事」だと。アネットだったら本当にそうするかもしれない。


 気づかれないように格子の隙間から階下を覗くと、アネットが天秤から離れコインを握っているのが分かった。


「イルザ」アネットが皿の上の妹に語りかける。


「ねーちゃん、ここに来るまでにレナとイムにいっぱい助けてもらったんだ。助けてもらってなけりゃ間違いなく、ねーちゃん、死んでた。だから、その恩は返さなきゃなんねぇ」

「お姉ちゃん?」


 鼻をすすりながらイルザはアネットを見る。そばかすだらけの顔は涙でくしゃくしゃになっていた。


「だけどよぉ……あたしは、どーすりゃいいんだ」


 アネットの絞り出す声、その後に続く沈黙。彼女は迷ってる、どちらにコインを投げればいいかを。

 私は音を立てないように腰を浮かす。もうすぐアネットがコインを投げる。それによって天秤が傾き、どちらかの皿が天井へと上がる。その時、私はその皿めがけて飛ばなければならない。


 上階の廊下はどの位置からでも礼拝堂を見下ろせるように環状に造られている。天秤を正面に見ている私の位置からだと、右に進めばあけぼのの檻、左に進めばイルザの檻に近づける。

 作戦どおりであれば私は左に進めばいい――のだけれど。


 ガシャン、音が響いたのはイルザが檻を掴んで目一杯アネットに近づこうとしたからだ。


「お姉ちゃん」


 鉄格子から顔を覗かせるイルザは俯くアネットを呼ぶ。


「お姉ちゃん、ごめんね。お姉ちゃんがそんな風に困ってる時って私のことなんだよね。いつも強くて、いつも私をかばってくれてる。私の大好きなお姉ちゃんが強いのは、お姉ちゃんが正しいと思ってることをやり通すからなんだよ。だからね、お姉ちゃん――」


 先ほどまで泣きじゃくっていたとは思えないほど落ち着いた声。それは何か覚悟したことをうかがわせた。


「――私はお姉ちゃんを困らせたくない、お姉ちゃんが正しいと思うことをやって」

「イルザ!」

 

 アネットが顔を上げた先のイルザはもう泣いてない。うっすらと微笑みを浮かべて姉を見ている。


「さあ、5枚目のコインを投げ入れて、私とソフィーに最高のショーを見せてください!」


 宙に浮かぶ兎の男の声が歓喜に震える。


「うわぁぁぁ!」


 アネットが振り上げた手から金色のコインが放たれた。それは金色の放物線を描きながら天秤へと向かう。

 右か左か。

 私は体を起こすと、廊下の一方を全速力で走った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る