第5章 正義の天秤ゲーム

第27話 その1「それがわたくしの願いを叶えるための制約だからです」


 乙女ゲーム「フォーチュネイト・エターナルストーリー~君が巡る永遠~」には旧都レジティメトが存在する。存在するとはいってもゲーム本編で出てくるのは都市名だけで、それも100年前の遷都によって廃都と化しているという情報だけ。


 ゲームのクライマックスではこの廃墟を拠点とした敵国が新王都セントラルに攻め込んできて、主人公のソフィーやカール王太子に危機が迫るのだけれど、その時までにどれだけ登場人物たちの好感度を上げられたかでソフィーの運命が決まる。カール王太子以外の好感度の高いキャラに助けられることもあれば、誰にも助けられずにバッドエンドを迎えることもある。


 カール王太子がソフィーを守ろうとして怪我を負ってしまうルートの場合、そこで真の愛に気づいたソフィーが封印されていた聖なる力を解放してカール王太子を守るのが一番の見せ場。助かったふたりがお互いの愛を伝えあうシーンは本当に感動的で、何度もプレイしては見直した。見返りを求めることなくただ相手を信じることが出来るって、そんな人に巡り会うことが出来るって、ほんと素敵だなと思う。


 ちなみに敵国を聖ブリリアント王国に招き入れるきっかけを作ってしまうのが、カール王太子と婚約している悪役令嬢のレナ。ソフィーとカール王太子の仲に嫉妬して心が病んでしまったところを、この世界の歴史に400年以上干渉してきた魔女につけこまれた――つまりそれって〝レナ〟ってことなんだけれども。それに、いま思えばこの魔女ってイムに人の言葉を与えた魔女と同一人物なのかもしれない。

 

 そんなフォーチュネな世界でありながら、デスゲームが入り込んできたのはもうひとつの作品「トリックスターの遊戯」のせい。

 この作品、私はアニメでしか観たことがないけれど、いま考えれば原作の小説の方が面白いって誰かが言ってた。その誰かって、思い返せば一緒に観ていた誰かだと思う。それが何者かは思い出せないけれど、きっとフォーチュネをひとりでプレイするよりその人と観ていた方が楽しかったんだとは思う。

「アニメだけ観て面白いなんていう奴は、人の枠を外れた才能があるのか、そうでなければ単なる変人だな」なんかそんなことを言われたような気がする。それって、主人公の春夏秋冬ひととせつかさの台詞のパクりだったな。


 ちらりと、あけぼののしたり顔が脳裏に浮かんだような気がしたが、それはきっとこれから彼を救出することに集中していたからに違いない。肝心なことほど何も言わないあいつに「言いたいことは本人にはっきり言って」と文句を言わないと気が済まない。

 だから私はこれからおこなわれるエクストラステージのゲームで彼を救い出す。「トリックスターの遊戯」も混じり合っているなら次のゲームは間違いなくアレだ。


「だったら代表はわたしでいーよね?」


 兎の男がルール説明を終えたあと、アネットは礼拝堂に響き渡る声で返事をする。イムは〝レナ〟と抱き合うようにして参列席に座っている。


 翌朝、空飛ぶ小さな妖精が案内したのは王城にある王室礼拝堂だった。

 バレーボールコートほどのこの礼拝堂は上階と1階の二層構造で、何本もの石柱で周囲を囲み、上には宗教的な天井画が描かれている。祭壇が設置されている2階部分にはパイプオルガンの金色の外装が高くそびえ立ち、今にも荘厳な重低音が聞こえてきそうだ。

 祭壇の前には人が乗れそうな巨大な天秤が設置され、左右それぞれの皿には黒い布に覆われた大きな鳥かごのような物が置かれていた。そして、その頭上には半月型の振り子鎌が鎖に吊されている。

 司祭よろしく祭壇でルールを述べた兎の男に、アネットは作戦どおり名乗りを上げたというわけだ。


「ほう」抱いていた女の子の人形を撫でながら兎の男は小首をかしげる。


「ルールを聞いて相談することなくアネット様が志願とは。これは初めからどんなゲームか分かってらっしゃったような」

「順番に参加するゲームだったらあたしが最初に出るって決めてただけだっ」

「左様ですか――それではアネット様が代表ということでよろしいでしょうか、レナ様、イム様?」

「レナはそれでいいの、デス」


 フード付きのマントで全身を隠していた〝レナ〟が返事をする。

 兎の男の指が止まったのを見て、慌ててアネットが声を上げる。


「レナはゆうべ、腹を出したまま寝ちまって体調が悪いんだ。だからあたしが代表、だよな、イム?」

「ハイなの、デス。全てはアネット様の演技の力にかかってるの、デス」

「そーじゃねーよなぁ? あたしの知恵と経験に期待してんだよなぁ? イムはまだ人の言葉に慣れてねぇから間違えただけなんだよなぁ?」


 食いつかんばかりに顔を近づけるアネットに、コクコクと頷くだけのイム。ここからでは見えないけれどすごい顔をしてイムを睨み付けているに違いない。

 私は環状に設けられた上層の渡り廊下に身をひそめながら息を詰めてじっとしていた。廊下の手すり壁には規則的に格子が填められていてそこから1階の様子を覗き見ることができた。手のひらが汗ばんでいるのが分かる。ほんの微かな呼吸音ですら兎の男に聞こえそうで怖い。


 空飛ぶ小さな妖精が礼拝堂へ案内していた時、私は妖精に気づかれないように隠れながらみんなの後を付けていた。目の前を行くアネットとイムの間には急ごしらえの〝レナ〟がフード付きのマントを頭から被っている。イムの右手がロープのように伸びて、椅子やクッションで造った〝レナ〟の人型が崩れないように縛り付けていた。顔はイムの右手がうまく擬態してくれた。

 彼女たちが礼拝堂に入り、分厚い扉が閉まる直前にもぐり込んだのだ。


 ここまでは「トリックスターの遊戯」と同じ展開。

 主人公の春夏秋冬ひととせつかさがクライマックスで戦ったのがこの『正義の天秤ゲーム』だ。

 助手の少年が組織に捕まって天秤に乗せられる。両方の皿には檻が乗せられ、誰が入っているか分からないように分厚い布で覆われている。春夏秋冬司はたった3回の質問でどちらに少年が入っているか当てなければいけないけど、彼女がする質問はイエスかノーでしか答えてもらえない。

 1つ質問をするたびに正義のコインをどちらかの皿に投げ入れる。コインが乗った皿は下に傾く。3個目のコインを投げ入れたとき、天へと上がった皿上の檻は、鎖で吊されている半月型の振り子鎌の餌食となる。


「かしこまりました。アネット様が代表であることを認めましょう。それでは正義のコインをお渡しします」


 その声にアネットは足早に祭壇へ近づく。兎の男を〝レナ〟に近づけては偽物だとバレてしまうからだ。 

 手すり壁の格子の間から階下をチラリと見る。兎の男が両手を差し出すアネットに金色に輝くコインを落としていく。

 チャリン、チャリン――1枚、2枚、3枚……4枚? 5枚!!


「おい、なんでコインが5枚なんだよ!?」


 アネットの跳ね上がった声が石造りの礼拝堂に反響する。5枚だなんて私の記憶にはなかった!


「これは異なことを。わたくし、質問の数だけ正義のコインをどちらかの皿に入れるようにと説明しましたが、質問――つまりコインは3枚、とは発言しておりませんが?」


 仮面の下でくぐもった笑い声がするのが分かる。

 まずい、5回も質問するだなんて打ち合わせてない。見れば、アネットは明らかに狼狽うろたえているのが分かる。このままだと兎の男に勘づかれてしまう。


「それとも、5回では何か都合が悪かったでしょうか?」いやらしく笑う兎の男に、

「はん!」


 ガンッ! アネットが突然、石の床を踏み鳴らした。渾然とした空気が一気に霧散する。


「ケチ臭かったゲームマスターが5枚もくれるなんて気前がよすぎたんでビックリしただけだよ」

「左様ですか。わたくし、ゲームにおいては常に公平であることを旨としておりますので、そのようにお褒めいただくとは恐縮のいたりです。ソフィー、褒められてしまいましたよ」


 胸に手を当て深々とお辞儀をした後、兎の男が抱いていた人形に話しかける。もちろん、人形は何も答えないが、翡翠色の2つの瞳がアネットに向いているような気がした。


「それより他に言ってないことはねぇだろーな。後出しなんてひきょーなマネすんなよ」

「相変わらず信用がないようで残念な限りです」

「これまでの行いを思い返してみろ」


 首を振った兎の男は指を鳴らすと宙に舞った。そして、いつものように空中を歩く兎の男は天秤の真上に立った。


「わたくし、自らの出自にかけて、嘘をつかず、聞かれたことには正直に応え、ルールの前では自らも裁いてきたと自負しております。それがわたくしの願いを叶えるための制約だからです」


 兎の男は愛おしそうに女の子の人形を撫でる。兎の男にとってその人形は本当に大切なものなのだろう。

 上階と同じ高さにまで浮上してきた兎の男に気取られないように、私は手すり壁の背後に身を寄せる。壁の向こうには兎の男がいる。


「アネット様にはあけぼのという名の小動物が天秤のどちらの皿に乗っているかを当てていただきます。質問は5回、どちらかの檻を指してあの小動物が入っているか? とご質問するのは禁止とします。類似の直接的な質問も同様です。猫とか灰色とか生き物とか、そのような聞き方のことです」

「ちっ、わーったよ」アネットは露骨に顔を歪める。

「正義のコインを左右どちらかの皿に投げ入れることで、わたくしがイエスかノーでのみお答えします。必ず5回、コインを投げ入れて質問してください。コインが少なかった方の皿が上がり、その上に乗る檻は天井の振り子鎌によって粉砕されます。それでゲーム終了です」


 兎の男が嬉しそうに指差す先には、鎖で吊された半月型の振り子鎌が銀色の光を放っている。

 あの鎌が一度動きだせば皿に乗る檻を粉々に切り刻むまで止まることはない。もし、選択を誤ればあけぼのがあの鎌の犠牲となる。


「あけぼのを選べばあたしたちの勝ちなんだよな?」

「そのとおりです。小動物の皿は下がり、そうではない皿の檻が振り子鎌によって砕けるだけです」

「ゲームマスター。確か昨日、棄てられた民もこのゲームに招待するって言ってたよな? どこに居るんだ?」

「そのような質問の仕方ではイエス・ノーではお答えいたしかねます。ゲーム本番では、ぜひ、イエス・ノーでお答えできる形でご質問くださいますようお願いします」


 その言葉に背筋が冷たくなるのを感じたのは、私たちが想定していた最悪のパターンでこのゲームが動いていると理解できたからだ。


 私が知っていたはずの『正義の天秤ゲーム』は、ゆっくりと、しかし確実に、私の知らないものへと変わろうとしていた。


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