第24話 その4「あけぼのは私にとって大切なの!」


 アネットに向かって走る紫色の令嬢を止めようとした私は、彼女を引っ張った力が強すぎて反対側に倒れそうになっていた。


 身体を支えるために足を出したくても周りの床は消えてしまっている。

 もしかすると、掴んでいる彼女の腕を放せば、私だけは落ちずに済むかもしれない、けれども。


 刹那、紫色の令嬢の細面ほそおもての顔が私の視界に入った――何故お前だけ助かるんだという憎しみに満ちた顔。今のこの世界で覚醒した私が、最初に見た令嬢の顔と同じ表情。

 そうだ、私はこのまま落下しちゃいけないんだ。


「誰も落とすもんかっ」


 私の心臓が再加速する。

 辛うじて床に踏みとどまっていた右足の先に力を込める。引き戻すんだ、後ろに倒れさえすればふたりとも助かるんだから。今度はちゃんと助けるんだ。

 景色が回る。アネットやイムが倒れているのが見える。けれども、どんなに全身に力を込めても、これ以上、見える景色が変わらない。


 駄目だ、このままじゃ落ちる!


 【奈落】の引力に絶望した瞬間、私の腕に冷たくて鋭い感覚が走った。

 それが腕を切り裂く痛さだと理解したとき、私の腕は力を失った。


「玲奈! 手を放せ!」


 どこからか聞こえる、上から目線の声。この声に何度も悔しい思いをしたのに、聞けないと不安になる。その声は――、


「あけぼの!」


 反対側の床面に情けなくひっくり返った私の上をロシアンブルーの小猫が飛んでいた。

 彼は紫色の令嬢の顔を蹴って宙返りをする。その蹴りが最後の一押しであったかのように彼女の体が【奈落】へと吸い込まれる。


「…………!!」


 彼女は何かを口にしていたはずなのに、その言葉すら一瞬にして消えてしまった。

 助けられなかった、どうして? 何が起こったのか全部見えていたのに意味が分からない。

 

「レナ!」

「勇者さま!」


 すぐ近くでアネットとイムの叫びが聞こえる。

 私は生きてるよ。でも紫の子は駄目だった。それはあけぼのが――そう、あけぼのは!


 急いで視線を動かすと、灰色の塊、あけぼのが宙に弧を描いて遠ざかっていくのが見えた。


「…………」


 あけぼのは手足を垂らしたまま足掻あがこうともしない。

 ブルーとジェードグリーンの瞳と目が合う。彼の顔はひたすら無表情で、何を考えているか分からない。

 私の腕を引っ掻いたくせにゴメンも言えないの? それで紫色の令嬢から手を放してしまったのに何も言い訳はないの?


「これは良い物を拾いました」


 それは兎の男の声だった。あけぼのが落ちる先にいつの間にか浮かんでいたのだ。

 あけぼのを片手で受けとめた兎の男は手品をするかのように手首をくるりと回すと、次の瞬間には鳥かごに捕らわれたあけぼのが現れた。鳥かごの中のあけぼのはぐったりと横たわったままで動きがない。


「あけぼのをどうする気なの?」こいつが親切心であけぼのを助けるわけがない。


「そんなに焦らないでくださいませ、レナ様。ゲーム勝者がいつまでも床に寝転んでいては格好が付きません。まずは『陣取りゲーム』の終了を宣言させてください」


 紫色の令嬢が転落し、今は私たち3人しかいない。

 見れば、消滅していた床のマスが光を放ちながら復元していく。私は急いでアネットとイムに近づいた。


「ファイナルとなります『陣取りゲーム』、勝者はレナ様、アネット様、イム様のお三方となります。いろいろと綺麗事をおっしゃっていましたが、他の令嬢を文字どおり蹴落として掴んだ勝利の味は格別なのではないでしょうか」


 私たちが立ち上がるのを空中で観察していた兎の男が含み笑いをする。


「うるさい。それよりあけぼのはレナのもんだ。こっちに返せっ」


 種がぶつかった時に出血したアネットは、ハンカチでひたいを押さえながら声を上げる。けれども、兎の男は肩を上げて首を振った。


「レナ様がこのアクセサリーを【奈落】へと捨てられましたので、それではとわたくしが拾い上げたまでです」

「捨ててない。あけぼのが勝手に動いただけ」私が反論すれば、

「アクセサリーが勝手に動いた? これはな事をおっしゃる」兎の男は鼻で笑い飛ばし、

「おかしくはないの、デス。あけぼのさんは小猫さんなの、デス」イムが訂正すれば、

「いえいえ。アクセサリーだとおっしゃったのは他でもないレナ様です。アクセサリーであれば勝手に動くはずもなく、レナ様が破棄なさったと考えるのが自然。それに――」


 兎の男は鳥かごの中をじっくり見ながら私に、


「わたくしはレナ様に、大切なものは手放さぬようご忠告申し上げたはずです。レナ様にとってこれは大切ではなかった、それだけのことです」


 あいつ、私を挑発してるんだ。兎の仮面の下で薄ら笑いを浮かべてるに決まってる。


「大切か大切じゃないかは他人のあなたじゃなくて私が決めること。で、あけぼのは私にとって大切なの!」


 そうだ、兎の男に言われるまでもない、あけぼのはいつだって私のことを考えて行動してくれてたし、そんな彼だから私は彼との関係を大切にしたいと思った。

 右腕の引っ掻き傷の感覚が戻ってくる。指先から血が滴るのが分かる。あけぼののことを思い出した途端、腕の傷の痛みが増してきた。

 ゲーム前の素っ気ない態度やこの傷も私のためなのは分かってる。けれども、絶対に目の前で文句を言ってやる!


「レナ様がそこまでおっしゃるのでしたら、わたくし、考えなくもありません」


 兎の男は私たちの前に降り立つと一礼した。


「ファイナルステージは終了しましたが、これでレナ様たち3人がリタイアともなれば、わたくしとしてもこのゲームを主催した意味がありません。そこでいかがでしょう、エクストラステージをご用意いたしますので、そこで真の勝者を決めるというのは?」

「どうせ私たち3人で戦わせるとか、そういうことなんでしょ」

「そこまで信用されていなかったとは、わたくし、正直、少し切なくなります。ゲームにおいては公平にジャッジし、それ以外では皆さまに最高のおもてなしを提供していたと自負していたのですが」


 かごを持った手を大きく動かすと袖で仮面を覆って泣いてみせる。このわざとらしい演技が信用を下げているというのに。


「わたくしはゲームにおいて真摯でなければなりません。それがわたくしの目的だからです。次のエクストラステージでは皆さまを競わせるルールにはしないことをお約束します」

「それぐらいで私たちが参加するなんて思ってないでしょ」


 私の言葉に兎の男は大きくうなずくと鳥かごを高く掲げた。


「ご明察のとおりです。もし皆さまがエクストラステージに進まずリタイアなさるとのことでしたら、このアクセサリーはわたくしが確実に処分させていただきます」

「私がもし、そんなアクセサリーいらないって言ったら?」

「このアクセサリーの価値をご存じのレナ様はそのようにはおっしゃらないでしょう。なにしろ、このアクセサリーには棄てられた民の命もかかっているのですから」


 まさかこいつ、あけぼのだけじゃなくてアネットの仲間にまで何かする気なの!?

 ふり返ると、イムを抱くアネットが真っ青な顔をしている。彼女にも兎の男の言葉の意味が分かったのだ。

 兎の男は鳥かご越しに碧い瞳を向けた。仮面の奥のその目の冷たさに私はゾッとした。


「エクストラステージでは棄てられた民の中からゲストをご招待します。ですが、レナ様たちがこのゲームをリタイアなさるとのことでしたら、彼らも人生をリタイアいただくほかないと考えております」

「卑怯者!」

「お互い手持ちのカードを切って交渉をしているだけでございます。例え配られたカードに偏りがあったとしても、それを含めて〝ゲーム〟なのです」


 そう言うと兎の男は女の子の人形に何かを語った。

 彼女は何も応えないけれども、丸い翡翠色の瞳は確実に私を見ていた。


 手持ちのカードにこの状況をくつがえせる切り札はない。私たちにリタイアする選択肢はなかった。


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