第25話 幕間・その7「嬉しいときは、ごめんなさいじゃなくて、ありがとう、って言おうよ」


「ほんとーに悪かったっ」


 あけぼのに切り付けられた私の腕に包帯を巻きながら、アネットが神妙な面持ちで頭を下げた。黒いリボンが編みこまれた赤毛のポニーテールが目の前で揺れる。流血のひどさに最悪の事態を覚悟していたけれど、見てみれば引っ掻き傷は皮膚の表面を裂いただけで大したことはなかった。

 頭を強打して包帯を巻いているアネットの方がよほど心配だ。


 空飛ぶ小さな妖精が案内した客室は、これまでのどの部屋より広くてきらびやかだった。

 縞模様の壁紙の品の良さやふかふかの絨毯、テーブルや椅子、家具などの調度品を見るに、私たちは貴賓室のような客室をあてがわれたんだと思う。「最高のおもてなしを提供している」なんて言ってしまった兎の男のプライドもあったのかもしれない。


 それに不思議なことに、アネットが「包帯は」と言って探し始めればすぐに包帯が見つかるし、イムの松葉杖になる物と思えば部屋の片隅で見つかったりした。この松葉杖は私が思っているようなものとは違って、上部がふたつに分かれて脇に挟む程度の質素な物だったけれど。

 これも兎の男のいう「最高のおもてなし」だというのなら、食べ物をイメージしたら紅茶とクッキーぐらい出てくるのかもしれない。そう考えれば、昨晩はお風呂で汗を流したいと思ったような気もする。


「許すと言ってくれ、レナ」アネットはそう言いながら包帯を固く結んだ。

「さっきからもう何回も言ってるけど」私は椅子に腰掛けたまま返事をする。


「いーや、それぐらいじゃあたしの気が収まらない」

「理由も聞いたし、私はもう収まってます」

「レナに借りを作ってばかりで胸の中がむずむずがむずむずするんだ。だったら、さっきの話、受けてくれよ」

「アネット!」


 包帯を巻き終わって離れようとする彼女の手を私はすかさず握りしめる。

 驚いて顔を上げるその顔は、いつもの勝ち気なアネットではなかった。眉を寄せ、本当に今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 この部屋に来るまでの間、アネットはあけぼのに告げられた作戦を教えてくれた。


『あの馬鹿は絶対に引き分けにしようと相手に持ちかける。だが、交渉しようと近づいた瞬間、必ず誰かに突き落とされる。それでこちらの残りふたりも脱落、一度で3人も落とせるのだから狙わない手はない。誰かがそのことに気づくはずだ。お前は玲奈が交渉できないように孤立させろ。それが玲奈を救うことになる』


 確かに私はあけぼのに比べたら馬鹿かもしれないけれど、あけぼのはこのゲームのことを知ってたわけでしょ、「トリックスターの遊戯」とかいうアニメで。

 この作品名を聞いてしばらくしてから、私は現実世界でそのアニメを観ていたことを思い出した。はじめは嫌々ながら観ていたのだけれど、面白いと思ってからはフォーチュネをひとりでプレイしているより、このアニメをふたりで観ることを楽しみにしていた気がする――誰と見ていたんだっけ、男の人? 家族? 思い出せない。


「痛いよ、レナ」アネットの弱々しい声が私の意識を引き戻した。


「だからアネットは私のことを想ってあけぼのの作戦に乗ったんでしょ? それに悔しいけど、アネットが止めてくれなかったら、あけぼのが言ってたとおり真っ先に落とされてたと思う」

「そのあけぼのだって、あたしがうまくやってりゃゲームマスターに捕まるなんてこともなかった」


 一瞬、ひたすら無表情な小猫の顔が脳裏に浮かんだ。あんな顔をするなんて、私に愛想が尽きたのかもしれないし、もしかすると別の理由があるのかもしれない。

 いつも大事なときに肝心なことを私にだけは言わないんだ、あいつは。だから私はあいつを取り戻してはっきりと言ってやる、言いたいことは私にきちんと言ってくれなきゃ分からないって。

 けれども今は、


「そんなことよりね!」


 アネットを立ち上がらせると改めて手を握った。戸惑った顔をする彼女に私は微笑み返した。


「むしろ私の方がアネットに謝るべき。だって、私を助けるための作戦だったのに、みんなが私を嫌ってると思って少し恨んでた」

「イムは勇者さまを嫌ったりしないの、デス!」


 椅子にちょこんと座っていたイムが大声を上げる。急いで立ち上がろうと松葉杖を手に取るがうまく立ち上がることができない。悲しそうな顔をするイムに手を伸ばすと、彼女は嬉しそうに手を繋いだ。


 私は本当に馬鹿だ。失った耳と目を水色の髪で隠し、左腕と右足を無くしてまで私の側に居たいと言ってくれた彼女のことを一瞬でも疑ってしまうなんて。アネットだってそうだ、私を助けたって彼女の願いは叶わないのに。それにきっと、あけぼのも――。


「うん、分かってるよ。イムは私と一緒に勇者が作った未来を見に行くんだもんね」

「ハイなの、デス! でも、アネット様は勇者さまをいじめたので、ふたりだけなの、デス」

「いや、いじめてないだろ」すかさずアネットが口を挟む。

「イムがやめてってお願いしたのに、アネット様は言葉で勇者さまを追い詰めたの、デス。イムは知ってるの、デス。剣は体を傷つけ、言葉は心を傷つけるの、デス」

「分かってるよ、それはほんとーにいけないことだった。だからあたしはレナの心の傷が癒えるまで謝らないと――」

「ふたりともいい加減にしてっ!!」


 思いっきりアネットを引っ張ってイムと一緒にした私は、そのままふたりに抱きついた。

 驚くふたりが逃げないように更に腕に力を込める。温かいし、いい香りがする。「痛い、痛い、デス」と言っているような気もするけどそんなこと知らない。だって私はこうしたいから。


「分かったよ、アネット、イム。こういうときは、嬉しいときは、ごめんなさいじゃなくて、ありがとう、って言おうよ」


 口をついて出た言葉、けれどもそれに嘘は混じってない。

 アネットとイムの手が私の背中に回る。ふたりの体温が気持ちいい。

 ふたりとも、ありがとう。


「ふたりが私のこと考えてくれてるように、私もふたりのこと考えるからね」


 私はふたりに、もう一度つぶやいた。


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