第2章 50人目を取れゲーム
第04話 その1「気持ちで彼女に負けてちゃ駄目だ。そうでしょ、あけぼの?」
幾つかの廊下を曲がり、大きな扉をくぐり抜け、私たちは中庭を見下ろすバルコニーに到着した。
中庭の四面は石造りの高い壁に囲まれ、地面には緑の芝生が絨毯のように敷きつめられていた。
長方形の中庭は、短辺の壁に私たちのバルコニーがあり、向かい側も同じような造りになってる。見れば、向こうのバルコニーにもワインレッドの長髪に赤いドレスの令嬢が立っている。
彼女も前回のゲームに勝ち残った人なんだろうか。私と同じ目に合っているのにあんなに堂々と立ってられるのは高貴な生まれだから? なんかそれだけで負けた気がする。
「玲奈、そんなに緊張するな。俺にまで移る」
「だって、どんなゲームをさせられるのかと思うと」
「俺を信じろとは言わない。だが、俺の言うとおりにすれば必ず勝たせてやる」
肩に乗っているあけぼのがささやく。
何者かも分からない小猫を信じろといったって無理な話だし、信じて欲しかったらもう少し信用できることをして欲しい。てか、なんで緊張してるって分かったの?
「不安なのは理解できるが震えすぎだ。心臓の音もうるさい」
「心臓の音って――あけぼの、いやらしいんだけれど」
「なっ。勝手に耳に入ってくるだけだ、猫は聴覚が優れているのを知らないのか、無知だな」
無知で結構、変なこと言うぐらいなら黙ってて欲しい。
払いのけようと手を伸ばすのを見透かして、あっさりと避けたあけぼのは反対側の肩に移る。ほんと憎たらしい。
「レナ・フォン・ヴァイスネーベル様、アネット・アルテンブルク様。おふたりが揃いましたのでゲームの説明に入らせていただきます」
私たちの言い争いを尻目に、兎の男は詠唱するとふわりと宙を舞って中庭の真上に止まる。
「おふたりに戦っていただきますのは『50人目を取れゲーム』となります。おふたりには棄てられた貧しき民を救っていただきます」
兎の男が指を鳴らすと、魔法のような光に包まれて無数の人々が中庭に次々と現れた。
彼らが棄てられた民? 確かに男性も女性も子どももお年寄りもみんなみすぼらしい可哀想な姿をしているけれど。
「ここ、旧都レジティメトは100年前の遷都によって放棄されました。大部分の国民は新都に移住しましたが、それを許されなかった人々もいました。貧民、犯罪者、宮廷の権謀術数に破れた貴族など、実に様々。そんな彼らですが全員に共通していることが1つだけあります。それは、今ここにいる彼らは自分たちが犯した罪ではない、自分の祖先の罪でこの旧都から出られないということです」
旧都にまつわる昔話はフォーチュネにも出てきた。
棄てられた民として扱われていた彼らが敵国にそそのかされて新都でクーデターを起こすのがフォーチュネのクライマックス。主人公のソフィーとカール王太子が力を合わせてクーデターを止めつつ彼らを救って大団円なのだけれど。
ふと、あけぼのの様子をうかがうと、あけぼのは赤い令嬢をじっと見つめたまま動かない。
どうしたのだろうと彼女を見返すと、さっきまで堂々としていた彼女が中庭を覗き込んで青ざめた顔をしている。
「哀れな民を救うのは貴族の勤め。中庭には取り残された100人の民がいます。これからおふたりには誰を救いたいか交互に1人から3人までを選んでいただきます。選ばれた者はこの旧都から解放されます。ただし、おふたりが救えるのはこの中にいる50人まで。見事50人目を選んだ方が勝者となります」
「え? それじゃ、選ばれなかった残りの50人はどうなるの?」
叫んだつもりはなかったけれど、石壁の造りのせいか思いのほか声が響いてしまった。
一瞬にして全てが静まり返る。中庭の人たちが一斉に私を見る。
「レナ様のご想像どおりです。ゲームの敗者および選ばれなかった哀れな民は【奈落】に落ちていただきます。ご安心ください、消滅はほんの一瞬です」
太陽を背にし、抱えていた人形の頭を撫でていた兎の男が私を見る。小馬鹿にして笑う兎の仮面に影が下りて歪んで見える。
と、100人の阿鼻叫喚が中庭に溢れた。
「俺を選んでくれ!」「助けて!」「人の心がないのか!」「子どもだけでも!」「私を見て!」「人でなし!」
耳を塞ぎたくなるような言葉の数々が津波のように押し寄せてきて私の心を潰そうとする。
バルコニーの下にはどれぐらいの人々が群がってるだろう。
彼らが伸ばす手、救いを求めるような、恐怖におびえるような目、誰も彼もが私にすがろうとする。
「場の空気に飲まれるな、玲奈。これも奴の作戦だ」
うずくまってしまった私の顔をあけぼのが尻尾で叩く。肩から降りていたあけぼのが私の顔を見上げていた。
「これ、どうすればいいの?」
「このデスゲームから抜けたいんだろ。今はそのことだけを考えろ。俺が勝たせてやる」
そうだ、私はどうにかしてこのゲームから抜けたいんだ。
あけぼのの声を聞いて私は自分を落ち着かせる。あけぼのを見ながらゆっくりと呼吸をしていくと、徐々に動悸が治まっていくのが分かった。
あけぼのはそこまで見届けると、
「おい、兎男」バルコニーの手すりに飛び乗って兎の男を睨んだ。
「このゲームに勝ったら俺たちはリタイアしたい。それはできるか」
「ヴァイスネーベル公爵家の再興はよろしいのですか」
「そんなことよりこのゲームから抜ける方が重要だ」
「ほう」
空中の兎の男は、あごに手を当て考え込む。そして、あけぼのを見て、私を見て、赤い令嬢を見たあと、
「分かりました。あなた方が勝利できるのであればそれを認めましょう」あっさりと口にした。
そんな簡単にOKが出るんだ。私は肩の力が抜けるのを感じた。
「ちょっと待って、ですわ! そのしゃべる猫はなに、かしら? 獣魔? 使い魔? なんにしてもふたりで戦うなんて卑怯だろ、だわよ!」
反対側のバルコニーから声が上がる。
赤い令嬢が、髪やドレスと同じくらいに顔を真っ赤にしていた。それにしても、見た目に反して随分と変な言葉遣いをしているような。
私の視線に気づいた彼女は慌てて背筋を伸ばすと、扇子で顔を隠しながら「2対1はフェアじゃない、ですわ」と呟く。
「ふむ、それは一理ありますね。どうですかレナ様」兎の男があごに手を当ててうなずく。
生意気な小猫だけど、さっきも助けられたし離されるのは困る。ちょっと心細いし、できればこのゲーム中もずっと近くにいてもらいたい。
なにかないか、ずっと側に置いておくもので――無意識に耳たぶを
きっと、あけぼのの尻尾でぶたれたときに外れたんだ。過度な装飾が施されていてあまり好きではなかったので、無くしても構わないのだが。
装飾品? その言葉に、私の頭の中であることがひらめいた。
「この猫、あけぼのは言葉を話しますが、〝ひとり〟とはカウントはできないかと。どうしてかというと、このあけぼのは、〝私のアクセサリー〟だからです」
「はぁ!」
あけぼのが一番大きな声を上げる。
私はすかさず手すりに乗るあけぼのを後ろから捕まえると、有無も言わさず首に巻いた。「フギャー」とか「ニュギャー」とか聞こえたが、最後まで力を抜くことなく〝猫の襟巻き〟を完成させた。
「これは見事な灰色猫の襟巻きですね」兎の男は拍手をして讃える。
「マフラーじゃないぞ、俺は」
「身につけてる人を飽きさせないように話しかけてくるなんて洒落てると思うけど」
「玲奈、お前いい加減にしろ」
騒いでるあけぼのは無視して、様々な角度からポーズを決めて兎の男にアピールをしていると、
「いいでしょう。そこまでに滑稽に、いえ、レナ様にお似合いなのですからアクセサリーと認めざるを得ないでしょう。よろしいですね、アネット様」
腑に落ちない顔をする赤い令嬢に、兎の男は空中からくぐもった笑い声を降らす。
「アネット様、あなた様が命を懸けて手に入れたい願いとは、あんな襟巻きだか猫だか分からない畜生1匹の存在で諦める程度のものなのですか。それでしたらそれで結構です。ゲームなどなさらず負けを宣言ください」
「ふざけんな!」
アネットは鋭い眼光を兎の男に飛ばすと、持っていた扇子を振りかざした。
「こっちは負けられねぇーんだ! 使い魔だろうがボロぞうきんだろうがまとめて相手をしてやる! 向こうが1つ条件を加えたんだ、あたしも1つ追加だ。あたしが勝ったらここにいる100人全員を助けてくれ!」
「いいでしょう、ただし」兎の男はコクリとうなずくと、
「言葉遣いにはお気を付けください、アネット様」
一瞬、アネットの動きが止まる。私ですらその言葉の中に鋭利な刃物を忍ばせているような冷たさを感じた。
それでも怒りが収まらないのか、アネットは私に顔を向けると目と眉をつり上げて闘志を剥き出しにした。
私だって勝ってこのゲームから抜け出したいんだ、気持ちで彼女に負けてちゃ駄目だ。そうでしょ、あけぼの?
いつの間にかおとなしくなったあけぼのを横目で見ると、あけぼのは白目をむいてヒゲをピクピクと動かしていた。
ちょ、私を助けてくれるんじゃなかったの!
慌てて逆さづりして揺さぶると意識を取り戻したようで、私の手から抜け落ちるとくるりと回転して床に着地した。
「寝てる場合じゃないでしょ。私をサポートしてくれるんじゃなかったの?」
「……お前。それ、本心で言っているとしたら頭おかしいぞ」
そっぽを向くあけぼのに謝り倒す私など気にすることなく、兎の男が大きく手を広げて宣言した。
「最後まで勝ち残ったご令嬢がカール王太子の婚約者に選ばれ、望みを叶えることができます。おふたりにはそれぞれゆずれない願いがあります。どちらの願いが叶えるに足る崇高なものなのか、ゲームに勝利してそれを証明してみてください。それではデスゲーム本戦、『50人目を取れゲーム』、スタートです」
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