第13話 その3「だからイムはこのゲームに勝って勇者さまに会うの、デス」
『勇者と助けられた魔物ゲーム』のカード対決4回目、渓谷にかけられた釣り橋の中央にある丸いステージの上に私たちがいる。
橋の下には空間を切り裂いて現れた、薄暗い【奈落】が蠢いている。
今、この渓谷は気持ち悪いほど静かだ。【奈落】はその黒い闇の中に物質を飲み込むだけではなく音すらも吸い込んでいるのかもしれない。
ステージの中央に立つのは2人の令嬢、1人は編みこんだポニーテールに赤いドレスのアネット、もう1人は透き通った水色という表現がしっくりとくるイムだ。彼女たちはそれぞれ1枚のカードを握っている。
私たちに残されているのは勇者と戦士のカード、イムに残されているのは魔王と助けられた魔物のカードの2枚。この中から1枚ずつ同時に出し合い勝敗を決める。勇者と魔王の組み合わせなら私たちの勝ち、勇者と助けられた魔物だったら負け。
負けたプレイヤーは【奈落】に落とされるか、体の一部を差し出して死を免れるか。
私はアネットに対峙している小さなイムに目を向ける――左耳、右目、左手、本来あるべき所にその3つの部位はない。
イムはこの4回目のカード対決で、魔王と助けられた魔物、どちらのカードを出すのだろう。
いや、そうじゃない、イムはどうして他のカードを選ばないのだろう? だ。
「なぁ、イム。対決もあと二回だけど、また同じカードを出すのかい?」
アネットの問いかけに、イムは右手に持ったカードを強く握りしめてうなずく。
「だったらあたしは、こう宣言するよ。あたしは今回も戦士のカードを出す。そーなれば残った勇者のカードは次で必ず出てくる。イムはこの対決で魔王のカードを出して、次の対決では助けられた魔物のカードで勝ちゃあいい。カードはお互い伏せたままなんだ、今だったらまだカードの交換は可能だろ、ゲームマスター?」
アネットが顔を向けると、人形の頭を撫でていた兎の男はうなずいて肯定する。
あけぼのはよく見てろって言ったけど、これは駆け引き? 私はアネットの肩に乗る彼の背中に目を向けたけれど、一向にふり返ってはくれない。
イムは、魔王、助けられた魔物のカード、どちらも選択できる。けれども、おそらくは――
「イムがどのカードを使うかなんて初めから決まってます、デス。これはイムのためのゲームなのです、デス。ゲームマスターさんはイムのために用意してくれたんですよね? デス」
「当然に、そのとおりでございます」
兎の男が腕を振って応えると、イムは持っていたカードを口の端にくわえ、
「イムには1枚のカードで充分なの、デス!」
別のカードを取り出すと宙に投げ捨てた。
1枚のカードが風にさらわれ、流れる風と共に【奈落】へと吸い込まれていく。
その軌跡を片目で見届けるイムの凜々しい横顔に迷いの色など欠片もない。小さな彼女は残った1枚を手に戻すとアネットを見据えた。
ここにいる誰もが理解した。400年前に勇者がある魔物を助けた出来事は伝説ではなく、今も続いている事実に過ぎないのだと。ただ、そこに考えが行き着くのに個人差があっただけ。
私は、ようやくみんなの思考に辿り着いたんだ――一番最後に。
勇者に語りかけることにこれだけこだわるイムは間違いなく、400年前に勇者に救われた魔物本人なんだ。
私は、今更分かったからって、引き分けにしようだなんて言えないんだ。だったら、なんでもっと早くに気づかなかったんだってことだもの。
「兎男、イムのは残り1枚になってしまったが、これでゲームが成立するのか?」
アネットの肩からあけぼのの冷たい声が問いかける。
「イム様がこの対決で勝利した場合、5回目のカードがないとおっしゃりたいのですね。イム様の熱い想いに胸打たれたところですのに、なんとも無粋ですね、あなたは」
「こんな悪趣味なゲームをしかけてきた奴に言われたくない。お前はこのゲームで初めからイムを追い込む気だったんだ。こんなものゲームなどではない。ゲームの名を借りた一方的な虐殺だ」
「くくく――ああ、これは失敬。あなたから負け惜しみを聞けたのがつい嬉しくなりまして」
兎の男はあけぼのに向かって軽蔑と嘲笑の混じった声で応えた後に更に吹きだした。
「ああ、心底楽しませていただきましたよ。ここまで愉快なゲーム、途中で無効にするなどもったいない。いえ、むしろどのような形であれ必ず決着をつけていただきます」
「相手のカードが消えてルールの前提が崩れた。ゲームマスターが自らルールを無視する気か?」
「はは、あなたのようにルールの不備を突いて勝利を盗もうとする貧民とこの私を同列にしないでください。ゲームが成立するように双方納得の上でルールを追加します」
「カード対決は残り2回、そんな場面でのルール追加など俺たちが納得すると思うか。イムにはカードが1枚しかない。従って、5回目に入った瞬間にカードのないイムは不戦敗。それがルールに照らし合わせた考え方だろう」
「いえいえ、イム様にはまだ賭けられる体の部位が残っています。それを捧げていただければカードの復活を認めましょう」
「それは負けた場合の復活ルールだろ!」アネットが口を挟む。
「そのルールをカード対決の勝敗に関係なく適用できるようルールを変更します」
もしそんな風にルールを変えても、イムは次のカードも助けられた魔物を選ぶだろう。それが分かっているから言えるんだ。
これは、イムが捧げる部位がなくなって朽ちていくのを黙って見ているか、そんなイムを助けるために勇者のカードを出してわざと負けてあげるか、そのどちらを選ぶか迫られているゲームなんだ。
だからアネットは私の代わりにカード対決に出続けようとしたし、あけぼのは私にずっと見ていろと言った。ふたりとも私がどちらかを選ぶことなんてできないと思ったからだ。
確かに私はどちらかなんて選べない。
アネットの時のようにどちらも負けていないという方法があればそうしたい。
けれども、それをどれほど望もうとも私にそれはできない――私はステージ中央に向かって話しかけた。
「私はゲームマスターが言うルール変更には反対します」
「イムはルール変更でいい、デス。イムは勇者さまとお話をしてお礼が言いたいの、デス。どうかレナ様、イムに力を貸してください、デス」
「イムちゃん、これはゲームで、勇者ってのもカードなだけで、400年前の勇者なんてもういるわけがなくてね」
「違います、デス。勇者さまはいます、デス。イムが弱くてまだ力が足りないから勇者さまのところに行けないだけなの、デス。だからイムはこのゲームに勝って勇者さまに会うの、デス」
「そうじゃない。これはゲームっていう作り物なの。だからとっくに勇者なんていないの」
「イムにはレナ様も言っている意味が分からない、デス」
イムはただ真っ直ぐに、私を睨んで否定した。
そうなんだ、400年を生きる魔物に人間の道理なんて分からないし通じるわけがないんだ。
こんな純粋な相手だと気づいた今だからこそ、私は何も言えなくなったんだ。
引き分けなんてイムは望んでない、私たちに勝ちたいわけでもない。彼女はただ、勇者と話したい、それだけなんだ。
――勇者に会わせること、私にはその方法が分からない。
「……私も、ルールの変更に賛成します」
心配そうにふり返るアネットと目が合う。編みこまれた赤毛のポニーテールが寂しげに揺れ、そこから覗いていたあけぼののブルーとジェードグリーンの目が私には痛かった。
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