第15話 その5「それがね、イムちゃんの会いたかった勇者なんだよ」


 イムとバトルしている『勇者と助けられた魔物ゲーム』も、最後となる5回目のカード対決を残すのみとなった。

 この最後のカード対決で、私はイムと決着をつけることを選んだ。


「本当にいいのかよ?」


 眉を曇らせるアネットに手を振って大丈夫なことをアピールした私は、彼女から勇者のカードを受け取ると、


「ねぇ、イムちゃんは勇者に会いたいのよね? だったら私が会わせてあげる」


 アネットに支えられていたイムが固まったが、次の瞬間、顔をくしゃくしゃにして私に右手を伸ばした。


「ほんと、ほんとなの、デス? イムは勇者さまに会えるの、デス?」

「会えるよ、約束する。けれどもそれはイムちゃんの望む形じゃないかもしれない。それでもいいなら」

「それでいい、デス。イムは勇者さまに会って、あの時のこと、いっぱい、いっぱい、話したい、デス!」


 私が思わず彼女を抱きしめたのは、もうこれ以上、イムの真っ直ぐな瞳を見ていられなかったからだ。私は勇者に会わせる、それは嘘ではない。ただ、会った時のイムを思うと胸が痛い。

 アネットと目が合う。うなずく彼女に私はイムの体を預ける。アネットはイムを支えて立たせると兎の男に向かって、

 

「おい、いつまでひとりで踊ってんだ。イムはひとりじゃ立てねーんだ。あたしが支えてやってもいーよな?」


 ピタリ、動きを止めた兎の男は、天高く掲げた人形はそのままに顔だけをアネットの方に動かし、


「失礼いたしました。介添え、ですね。これが最後の対決、結末の何が変わるわけでもないでしょう。お好きになさってください、アネット様」


 そう言って視線を頭上の人形に戻す兎の男は、もはや心ここにあらずという感じだった。

 了承を得られればそれで充分、私たちはできるだけ兎の男を見ないようにしながらゲームテーブルの前に立った。イムはアネットに支えられてテーブルの向こうにいる。右足のない今のイムはアネットなしに立つこともできない。

 あけぼのがテーブルの横で私たちを見上げている。

 私はイムを説得すればいいんだよね、あけぼの?


「いよいよ最後の対決です。わたくしたちを目一杯楽しませてくださいませ。カードオープン!」

 

 喜びで声をうわずらせる兎の男の合図で、私たちはカードをめくった。

 私のカードは残った1枚、勇者だ。白い光に包まれると青い服に剣と盾を持つ勇者へと姿を変えた。ゲーム内の王宮にあるレリーフでもよく見る姿形だ。

 イムは、と視線を動かせば、水色の光の球が消えようとしているところで、その影から不定形に蠢く魔物の姿が現れた。


『勇者さま、勇者さま、勇者さま、勇者さま』


 私の心にイムの声が響く。大丈夫だよ、イム、ちゃんと聞こえてるよ。

 その声に応えるように跪いて手を差し伸べると、粘液状の魔物は体中を震わせ、体の一部を私の腕に巻き付けた。


『イムは、魔女にお願いして勇者さまとお話しできるようにしてもらいました、デス。勇者さま。勇者さまは弱いイムを助けてくれました、デス。それはとっても嬉しかったの、デス、勇者さま』

「うん、うん、聞こえてるよ、イムちゃん」

『勇者さま、会いたかった、デス。お礼を言いたかった、デス。気持ちを伝えたかった、デス。ありがとうございます、デス。イムは、イムは、勇者さまにきちんと伝えたかったの、デス』


 私は返事の代わりに粘液状の魔物に腕を広げた。魔物は全身を預けるように私に絡み付く。

 抱きかかえ、立ち上がり、周囲を見渡すと、緑の森林の向こうに尖った塔と石壁が見える。あれは聖ブリリアント王国の旧都レジティメトの王城、この国の始まりの城だ。


『勇者さま、とってもありがとう、デス。いっぱいありがとう、デス。すごくすごくありがとう、デス。勇者さま、勇者さま!』

「イムちゃん、私はね、イムちゃんの知ってる勇者じゃないんだよ」

『嘘、デス。この気配、この感覚、間違いなくイムを助けてくれた勇者さま、デス』


 私の体中を這う粘液から電流のような怒りと悲しみが伝わってくる。


「私は〝この世界のレナ・フォン・ヴァイスネーベル〟、ヴァイスネーベル公爵家の長女で、シェーンベルグ王家、カール王太子の許嫁。もしこの私に400年前の勇者の雰囲気が残っているのだとしたら、それはイムちゃんが正しいんだと思う」

『何を言ってるのか分からないの、デス』


 イムを抱きしめながら、私はフォーチュネの世界設定を思い出していた。

 400年前に魔王を倒した勇者は、この地に人族の国を造った。それが聖ブリリアント王国の始まり。勇者が亡くなってからは勇者の血を引く者たちが王位を継いで国を繁栄へと導いていった。そういう設定だった。


 不意に、現実世界の記憶がフラッシュバックした。

 中学生の時、顔を合わせるのが恥ずかしくて、その言い訳にフォーチュネに没頭してたんだ。誰と顔を合わせるのが嫌だった? それは新しい家族の――ここで記憶が途絶えた。

 それはほんの一瞬のこと、私はすぐにイムに意識を戻した。


「この国は、勇者の末裔のシェーンベルグ家とヴァイスネーベル家が治めてるの。だから〝私は〟勇者の子孫なの」


 人間の数倍の寿命を持つと設定されている魔物に、短命の生き物たちは世代が変わるとは理解できないかもしれない。けれども、そんな短命の生き物だからこそ永遠に繋ぐことができるものがあることを伝えなくちゃいけないんだ。


 混乱して粘液状の体をくねらせるイムを抱きかかえたまま私は王城を指差した。


「あそこでイムちゃんの勇者は国を造って多くの人を守ったの。勇者に守られた人たちは勇者に感謝して、もっともっと多くの人を守れるように国を大きくしていったの。弱いみんなを守ること、それが勇者の願いだったから。勇者はね、イムちゃんを助けて守ったように、多くの人を守って、平和に暮らせるようにって頑張ったの」


 正直、そこまでの設定はこのゲームにはなかったと思う。けれども、イムがこれだけ想いを寄せている勇者だったのなら、きっとそう思っていたに違いない。


「その勇者の想い、願いが今もこの国に続いてるの。それがね、イムちゃんの会いたかった勇者なんだよ」


 私の言葉がイムにどれぐらい届いているかは分からない。腕の中の魔物は、ただただ、小さく震えながら何も言わずに私の話を聞いていた。


「イムちゃんも一緒にここから出よ。このデスゲームから抜け出して新都セントラルに行こ。そこには勇者が守ったものがたくさんあるから。それをたくさん、たくさん、見ようよ」


 私の小さな胸の中で魔物は小さく震え続けて、そして――


『勇者しゃまぁ! イムの勇者しゃまぁ!』


 堰を切ったようにイムの声が私の頭の中を駆けめぐった。粘液状の肉体が広がり、私の体の至る所に伸びて這い回った。その感触は決しておぞましいものではなかった。

 イムは分かってくれたんだ、彼女の体温を全身で感じながら私はそう思った。

 しかし、あの男の声がすぐに現実に引き戻した。


「さすがは勇者の末裔といったところでしょうか。実によいものを見せていただきました」


 兎の男が指を鳴らすと私たちは勇者と助けられた魔物の姿から令嬢の姿に戻った。片足のみでバランスを崩したイムを受けとめた私の後ろで、兎の男は話し続ける。


「このカード対決、レナ様は勇者のカード、イム様は助けられた魔物のカード。イム様は見事、勇者に話しかけることができました。それにより勇者は戦意を喪失、これで勝敗が決まりました。『勇者と助けられた魔物ゲーム』、魔王陣営のイム様の勝利です」


 そして兎の男の笑い声が続く。


 ――そう、私はイムに負けたんだ。


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