最終章 エピローグ

最終話 「初めての人に向けるような感情じゃない。なのに」


「リハビリ、ほんと頑張ったものね。それに若さ。回復が早い早い」


 そう言いながら姉崎先生がポンポンと私の肩を叩く。隣では黒縁眼鏡の井村さんがニコニコ笑ってる。6ヶ月はかかるといわれたリハビリを4ヶ月で終え、私は今日、国立BCIM脳科学医科理科総合研究センターを退院する。

 この4ヶ月の間つきっきりで私の回復にあたってくれた主治医の姉崎先生とBCIMコンピュータ技師の井村さんがわざわざロビーまで見送りに来てくれていた。


「ちょっとだけ寂しいです、井村は」

「はは、週に一度は経過観察の検査で会えるでしょ。それに退院といっても隣のケアホテルに移るだけだし、おーげさすぎ」


 姉崎先生が見た目に反した大声で笑うとロビーに居合わせた職員が何事かと視線を向ける。いつもこのパターンで、いつもちょっと恥ずかしくなる。

 姉崎先生はスラッとして背が高く、長い髪をアップにして知的でクール系な美人に見えるのに、実は声が大きくて少しがさつだ。けれども、私のことをいつも気にしてくれてて頼れるお姉さんって感じだ。

 対して井村さんは小柄で可愛らしくて黒縁眼鏡がチャームポイント、姉崎先生と並ぶと本当に小さくて私より年下に見える。前に「白衣だけが歩いて見える」って言ったら本気で怒られて、フォローしようと年齢を聞いたら更に怒られたので、私の中でこの話題は禁句にしたのだけれど。


「やすらが寂しいのは玲奈さんとフォーチュネの話が出来なくなるからでしょ? 話に夢中でリハビリ時間をすっぽかしたこと、あたしが知らないとでも思った?」

「ふふふ。それでしたら、先輩が玲奈ちゃんの若さをうらやんで、夜な夜な鏡を見ては溜め息をついてることを井村が知らないとでも思ってましたか?」

「ちょっ、玲奈さんの前でやめてよ、誤解されるでしょっ」

「いえいえ、理解、ですよ、先輩」


 膨れる姉崎先生に、ペロッと舌を出す井村さん。

 このふたりは本当に仲がいい。高校時代からの先輩と後輩だとか。

 目の前のやりとりを見て、私は仮想空間あの世界で出会ったかけがえのないふたりの顔を重ねる。似てるはずだ、だって、いま目の前にいるふたりが疑似人格プログラムアネットとイムのベースなのだから。


 意識障害で眠り続けて1年、目覚めて最初に目にしたのが姉崎先生と井村さんの顔だった。

 そのふたりの顔があまりにもアネットとイムにそっくりだったので、私は嬉しくて泣いてしまったのを覚えている。身体に力が入らなかったから抱きつくことは出来なかったけれど。


 私の体力が回復するのを待って、姉崎先生が少しずつ私に起こった出来事を説明してくれた。

 お義父さんが運転する車にトラックが衝突して、お母さんとお義父さんは帰らぬ人になったこと、私だけが助かったこと、けれども意識が戻らなくてこのセンターに移送されてBCIMコンピュータの治療によってようやく目覚めたこと――慎重に言葉を選びながら丁寧に。

 その内容は私が記憶していることと一緒で、姉崎先生は「記憶障害はないようね」と少し悲しげに微笑んだ。私が家族を失って天涯孤独になってしまったことに同情してくれたんだと思う。


 もちろん、お母さんとお義父さんがいなくなったことは悲しい。目覚めてももう待っている家族はどこにもいなくて、これからはずっとひとり。

 けれども、そのことを姉崎先生から聞いても私が動揺しなかったのは、仮想空間でアネットとイムと出会って、一緒に困難を乗り越えて、現実世界に戻れるようふたりが背中を押してくれたからだと思う。みんなからもらったものがあるから私はひとりでも大丈夫、この気持ちを大切にしていれば。


 全てを凍らせる季節が過ぎて桜がつぼみを付け始める頃まで、私は社会復帰に向けてリハビリにいそしんだ。

 学校や家やお金のことが心配だったけれど、それらは井村さんがあっという間に対応してくれた。高校は事情を汲んでくれて追試を受けることで卒業できそうだし、推薦合格が決まっていた大学も次年度の入学を認めてくれるそう。

 それはBCIMの治療を受けた人は国から手厚く保護されることも影響しているのかもしれない。

 1年以上誰も住んでいない家やお金のこと、それ以外の様々なことは国が対応してくれているらしい。もちろん、そこまでしてもらえるのには理由がある。


 BCIMの治療を受けた人はその影響で覚醒支援者アウェイクナーの素質が身につくので協力すること――それが国の条件なのだけれど、井村さんに「疑似人格プログラムのログはきちんと取ってますので、またアネットとイムに会えますよ」と聞かされた私に断る理由はなかった。

 早く元気になって覚醒支援者アウェイクナーになりたい、そうすればまたふたりに会える――この4ヶ月間、ずっとそれだけを思ってきた。

 そしてようやく、私は退院するところまで来た。


 4階まで吹き抜けのロビーの片面は全てガラス張りでセンターの中庭が見える。

 地面を覆う枯れた芝生が芽吹きはじめ、ロータリー側の桜の木々にはたくさんのつぼみが色づいている。薄水色の空と中庭の先に白いケアホテルが見える。いきなりひとり暮らしは大変だろうからと井村さんが手配してくれた、これから私が生活することになる場所。


「玲奈さん、こっち!」


 無意識のうちにガラス面に近づこうとしていた私の腕を姉崎先生が力強く引く。誰かが通るのを邪魔してしまったらしい。


「あっ、ごめんなさい」


 慌てて身を引くと看護師さんが押す車椅子が横切る。

 座っているのは若い男の人。ガラス面から降りそそぐ暖かな陽の光に照らされながら、虚ろな眼差しで中庭に目を遣っていた。スッとした鼻筋に薄い唇、整った横顔が印象的だ。


 すれ違いざま、彼が私の方に顔を向けた。

 それは私に気づいたからではなくて、たまたまだったのかもしれない。

 ぼんやりとした、意識があるようには見えない表情。

 目が少しだけ動いたけれど、私を見ているのか分からない。

 分かったのは、微かに口が開いたことだけ。そして、


「……え……あ……」


 彼の唇から漏れた言葉に、私の身体中に電撃が走った。何故か心臓が激しく鼓動する。

 忘れていた懐かしいものを急に思い出したような、懸命に探していたものにようやく出会えたような、愛おしくて思わず触れてしまいたくなるような、そんな気持ちになった。


「さ、玲奈さんもそろそろ移動しないとっ」

 

 突然、姉崎先生が声を上げると、強引に私の向きを変えた。その動きは彼から遠ざけようとしてるように思えた。


「姉崎先生、あの人は?」

「あ、ああっ! 玲奈さんが気にする必要はないからっ」


 姉崎先生は笑って答えたけれど、頬の一部が引きつってどこかわざとらしい。そうされるとかえって彼のことが気になる。姉崎先生の肩越しに向こうを見れば、車椅子の彼はロビーから中庭へ続く通路へと入るところだった。


「まったく、先輩は隠し事が下手すぎなのですよ」


 井村さんがこれ見よがしに溜め息をつく。そして私に目を移すと、


「先輩はですね、玲奈ちゃんが無茶をしないようにって、患者さんのことを伏せておきたかったんですよ」

「あ、そういうのってプライバシーとかですもんね」

「んー、それもあるのですが、どちらかというと経過観察中の玲奈ちゃんが覚醒支援者アウェイクナーをやりたいって言いださないかを心配してですね」


 慌てて姉崎先生が「おバカッ」と口を挟んだけれどそれで私は納得した。

 そっか、私には覚醒支援者アウェイクナーとして協力しないといけないんだものね。そう思うと更に車椅子の彼が気になった。


 どうして気になったのかは分からない。けれども、彼の呟きを聞いた時、確かに私の心臓は跳ね上がった。

 彼を助けたい。私が出来ることはしなくちゃいけない、彼の意識を覚醒させないと絶対に後悔する――そう思った。


「私、彼の覚醒支援者アウェイクナーになりたい」


 考えるよりも先に声に出た。

 

「ちょっ! なに馬鹿なこと言ってるのよっ」

「うんうん、それがいいと思うんですよねぇ」


 姉崎先生と井村さんの言葉が重なる。驚いて井村さんを見る姉崎先生と、それにニンマリと応える井村さん。


「やすら! あなた、なんてこと言うの!?」

「玲奈ちゃんがやりたいって言ったら止められるわけないじゃないですか」

「だからって、〝彼〟は――」

「それを決めるのは私たちじゃないですよ、先輩」


 躊躇ためらう姉崎先生にチッチッと人差し指を振ると、井村さんが私の顔を覗き込む。


「玲奈ちゃんはどうしたいのですか?」

「私は覚醒支援者アウェイクナーになれば、またアネットとイムに会えると思って――」


 そう思いながらも口ごもる。

 会いたいのはウソじゃない。いくら似ているといっても姉崎先生と井村さんはふたりとは違う。また会えるチャンスがあるのならふたりに会いたい。

 けれども、〝彼〟を目覚めさせたいと想った気持ちはそれとは別のような気がした。

 だって、アネットとイムもそうしろって言ってくれるような気がしたから。


「私、もう一度、自分の気持ちを確かめてきます」

「うん、それがいいと思うのですよ」

「なに言って――やめなさい!」


 姉崎先生は止めようとしたけれど、それよりも早く私は駆け出していた。

 さっきから胸に溢れてくる気持ちがなんなのか分からない。だから〝彼〟の顔をもう一度見て、それがなんなのか確かめたい、そうしなければならないと思った。

 後ろから「もー、最後までやってもらうからねっ!」と姉崎先生の声が聞こえた。


 静かなロビーに私の走る音だけが聞こえる。ガラス面から入る陽の光が眩しい。

 走りながら横目で見れば、車椅子の彼は中庭に出ていて芝生の上に作られた白い小路を進んでいた。

 ロビー突き当たりの通路を使えばすぐに中庭だ。そうすれば私はすぐに彼に追いつく。

 この胸の高鳴りは走っているからじゃない、彼に近づいてるからだ。


 彼の前に立った後、私はどうするんだろ。

 こんにちは? 初めまして? そんなあいさつ、眠っている彼には届かない。

 だから私はきっと、いま湧き上がっている気持ちをそのまま彼にぶつけてしまうと思う。

 それは、心配だったとか、安心したとか、ようやく会えたとか、およそ初めての人に向けるような感情じゃない。なのに、そうしなければ気が済まなかった。


 初対面の人に、何故そこまでしたいと思うのか理解できない。

 けれども、彼なら受け入れてくれる、そんな根拠のない自信があった。

 

 辿り着いた扉を両手で押し開く。

 優しげな風が頬を撫でる。

 私は春の息吹に満たされた中庭に飛び出した。



   了



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【完結】悪役令嬢×デスゲーム -デスゲームで生き残るなんて絶対無理なので、生意気な猫とリタイアを目指すことにした- 図科乃 カズ @zukano-kazu

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