第10話 幕間・その3「レナにはあたしではなくレナの願いを優先して欲しい」


 私とアネットが案内されたのは朝とは違うふたり部屋だった。

 部屋まで連れてきてくれたのは空飛ぶ小さな妖精だ。兎の男と似たような仮面をつけていて、全くの無口で、部屋の前ですぐに消えてしまったのだけれども。


「思ったよりいー部屋じゃん」


 ドレッサーや暖炉、テーブル、椅子などを次々と触れながらアネットは声を弾ませる。確かにこれらの家具は派手さはないもののクラシカルな装飾が施されており見ていて安心する。落ち葉模様の壁紙や可愛らしいティーセットもこの雰囲気を作り出すのに一役買っている。

 アネットとデスゲームをしていたのは夢だったのではないかと錯覚してしまいそうだ。もちろん、そんなわけがない、私はさっきまで彼女と生と死を賭けて戦っていた。


「あの時はあー言ったけど、ホント、感謝してるんだ」


 部屋に向かう途中で、アネットは直角に頭を下げた。

 私よりちょっとだけ背の高いアネットは何を言ってもなかなか頭を上げてくれない。あたふたした私はスカートの裾を踏んで転んでしまったのだけれど、それを見てようやく頭を上げて笑ってくれたのが嬉しかった。


「あった、あった。これでいーや」


 チェストの引き出しを下から開けていたアネットは、黒いレースのリボンを見つけると素早く髪に編みこんだ。ポニーテールになった彼女は、気位の高い貴族令嬢のイメージからちょっと悪戯好きな勝ち気な子に変わっていた。


「あけぼのの尻尾にもつけてやろうーか?」

「俺には絶対に触るな!」


 ベッドの上で丸まっていたあけぼのは、瞬時に起き上がるとシャーと威嚇音を出す。それを見てアネットは大口を開けて笑う。今回ばかりはあけぼのに同情する。

 部屋の扉が開く直前、無防備だったあけぼのを後ろからすくい上げたアネットは、彼を吊して腹部の下の方を見ながら「あ、この使い魔、やっぱオスなんだ」とやってしまったからだ。


「んだよ、まだ根に持ってんのかよ。減るわけじゃないし、いーじゃん」

「いいや減った。俺の自尊心が減った」


 私にはいつも偉そうにしているあけぼのがこれだけ慌てているのはなんだか可笑しい。そう考えていると顔がニヤついてしまったのだろう、あけぼのが睨み付けてきた。

 彼は兎のように部屋中を跳ね回ると、一番背の高い書棚の天板に逃げ込んでしまった。さすがのアネットも諦めたのか「あーあ」と溜め息をつくとベッドに寝転ぶ。

 無造作に身を投げる彼女を見て思ったが、どことなく私に似ているような気がした。

 私、といっても小鳥遊たかなし玲奈れなではなく、フォーチュネに出ている悪役令嬢「レナ・フォン・ヴァイスネーベル」の方だ。

 それについてはアネットも同じ意見だった。


「あたしたちってどこか似てるよな。フンイキというかなんというか」


 上半身を起こしたアネットが椅子に座った私に話しかける。耳横の後れ毛をかき上げる彼女を見て、フォーチュネの体育祭イベントの〝レナ〟なんだと気づいた。


「こんなぐーぜんってあるんだな」


 ニカッと笑う彼女に私はなんと応えればよいか言葉に詰まる。

 確かに私も〝レナ〟ではない。それは私がこの異世界の住人ではなく、本来ここには実在しない人物なせいで、それをアネットと似ていると言ってはいけないような気がする。


「赤の他人に似てるって言われても困るよな」


 私が言いよどんでいると、アネットはひとり納得したようにうなずいた。勘違いしてくれたのはありがたいけれど、なんだかちょっと心苦しい。


「ところでレナは、何を叶えたくてこのデスゲームに参加したんだ?」

「最初はヴァイスネーベル家の再興だったけれど。今はとにかくこのゲームから抜け出したい」

「はは。願いなんてどーでもいーから逃げたいんだ。それ、あたしたち、棄てられた民も入ってるのかい?」


 ギラリと、アネットの眼光が一瞬鋭くなった。でもそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間には人懐っこい笑顔に戻っていた。

 そうか、アネットとチームになった今、これからどうしたいかってもう私ひとりだけの問題じゃないんだ。


「お? その顔は何も考えてないって顔だね?」

「だって、どうやったらアネットと引き分けられるか、それしか考えてなかったから」

「そだね、そのお陰であたしは殺されることなく、こうやってレナと話してられるんだ。だから――」


 ボフッ、その音と共に私の視界が真っ暗になったのは、アネットが投げてきた枕が顔面に直撃したからだ。ちょ、いきなり何するのよ。


「その顔でいーんだよ、レナは。あたしは負けたんだ、あのゲームで」

「そうじゃないよ、引き分けだよ」

「違う。引き分けにしたのはレナで、あたしじゃない。あたしはレナに救われたんだ。それだけじゃない。レナは妹やみんなを救ってくれたんだ」


 アネットはベッドから降りると、私の手を取りひざまずくと、上体を曲げて深くお辞儀をした。


「ありがとうございます。レナはみんなの恩人です。あたしの命はレナのものです」

「急にやめてよ、アネット」

「んーん、これだけは先に言っておくよ。絶対にそうだと思うけど、あたしたちが勝ち進んでも叶う願いは1つだけだと思うから。だから、もしそうなったとき、レナにはあたしではなくレナの願いを優先して欲しいと思う。あたしはそれでいいってこと、先に言っておくよ」


 真っ直ぐ見つめるアネットの瞳を見て、私は何も返すことができなかった。

 彼女はすごい。みんなを救いたい、妹を救いたい、やりたいことがきちんと分かってる。私なんて、目の前で起こっていることを考えるだけで精一杯だ。お前はどうしたいんだと、言外に尋ねられているような気がした。


 私はどうしたいんだろう、このデスゲームから逃げ出すだけ? アネットたちを助けたい? ここから抜け出した後はどうしたい? その先にある何を私は望んでる?

 書庫の天板に目を移すと、飛び出していた灰色の尻尾だけがゆらゆらと揺れていた。

 そうだ、あけぼのは何を考えてんだろ。


「俺は玲奈を勝たせたいだけさ」


 私の呼びかけにあけぼのは顔も出さずに素っ気なく応える。相変わらず上から目線の生意気な態度。そういえば、前は私を助けるとか言ってなかったっけ?


「ああ。俺は小鳥遊たかなし玲奈れなを助けたい。前はお前しか候補がいなかったが、今はふたりいる。だから本物を助けたい、それだけさ」

「ちょっと、それじゃ私が本物じゃないって言うの!」

「少なくとも、現実の記憶がなければ証明はできないな」


 そりゃ確かに名前以外に現実世界での記憶は覚えていないけれど。

 あ、でも、高校生だったと思うし、フォーチュネも大好きで暇さえあればやっていた、と思う。

 ――と、ここまで思い出すと、やっぱり、頭の中の記録が霧がかかったようにおぼろげになる。

 私は現実の何が不満でここに来てしまったのだろう。


 私が黙ってしまったせいで、アネットが心配して私の顔を覗き込んだ。

 頭上に視線を感じて見上げれば、あけぼののブルーとジェードグリーンの目が書庫の上から見えた。

 ふたりの視線を浴びて、私はあることを思い出した。


「あけぼの、私、1つだけ思い出したよ」

「なんだ?」

「私の家、ピーちゃんなんてインコ、飼ってない。てか、ペットはいなかったよ」


 あけぼのの尻尾がするりと書庫の上に消えた。

 アネットは何も分からずにきょとんとした顔をしていた。



   ◇   ◇   ◇



 窓もなく、天井の照明だけで照らされた白一色の病室には、機械でできた繭のようなベッドだけがある。

 ベッドが植物の根のように伸ばしたケーブルは、壁を埋めつくす計器類に繋がれ何かの信号をやりとりしている。

 キーン、ベッドの一部である生命維持装置の稼働音が微かに振動する。

 病室にある機器類全てを総称してBCIMと呼ばれていた。


「〝彼〟と接続してから8時間。数値に異様はありませんし、今のところ順調のようですね」

「今のところは、ね」


 眼鏡をかけた小柄な女性の説明に、背の高い白衣の女性が相づちを打つ。

 ふたりともベッドの1つに目を落とす。

 そこにはヘルメットのようなヘッドデバイスを被せられた少女がいた。


「後は、彼女が本当に〝目覚めたい〟と思ってくれていればね」


 ベッドで眠る少女――小鳥遊たかなし玲奈れなは何も応えなかった。


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