第35話 その2「私がどうしたいかってだけだっ」


 緑色に発光する電子機器がひしめく電脳世界で、私は暗号鍵キーを選択しなければならない。

 ここが私を治療するための仮想の空間であることは分かったけれど、その治療行為を強引に止めてこの電脳世界に私を閉じ込めたのが目の前に浮かんでいるコンピュータソフィーだ。

 向こうは私を保護しているのかもしれないけれど、私はアネット、イムを取り戻したい、それにあけぼのも。だから、この電子機器だけの世界を解除したい。

 

治療環境世界診断セーフモードヲ終了スル暗号鍵キーハ、疑似人格プログラムキャラクターアルファ『アネット』、疑似人格プログラムキャラクターベータ『イム』ノドチラカガ保有シテイマス」

「どちらがキーを持っているか当てればいいってこと?」

「1ツノ質問デドチラガ暗号鍵キーヲ保有シテイルカ選択シテ下サイ。権限保有者ノミ正シイ質問ヲ所有」


 ソフィーから流れる合成音が言いたいことは分かった。コンピュータソフィーを操作できる権限を持っている人は正しい質問を言えるはず、知らない人は権限を持ってないと判断するんだ。ということは、間違った質問をしたり、当てずっぽうでどちらかを選ぼうとすると、


「質問モ暗号鍵キーノ一部デス。質問ハ『アネット』『イム』のドチラ一方ニノミ可能デス。疑似人格プログラムキャラクターハ『はい』マタハ『いいえ』デ回答シマス」


 やっぱりそうだ。きっと、何度もやり直させてくれない、一度失敗すれば権限なしとみなされて終了だ。


 私はゆっくりと視線を動かし、最初にアネットを見て次にイムを見た。白目を向けるふたりはまるで別人のようだ。ソフィーに操られてるんだと思う。すぐに解放してあげたい。それには正しい質問をしてどちらがキーを持っているか当てなければいけない。


 正しい質問、それはキーを持っているのがどちらなのかを導き出せるようなものじゃないといけない。ソフィーの説明だと、質問できるのはアネットとイムのどちらかに対して1回だけ。しかも、ふたりは「はい」か「いいえ」しか応えてくれない上にその答え方がややこしい。


「一方ハ、『はい』イコール右手ヲ、『いいえ』イコール左手ヲ上ゲマス。モウ一方ハ、反対ノ動作ヲシマス、ドチラガドノヨウナ動作ヲスルカハ、アナタニハ判別不能デス」


 これでは質問して手が上がっても、「はい」なのか「いいえ」なのか、どちらの意味で動いたのかが分からない。一体、どんな質問をすればキーを持っている方が分かるんだろ。やっぱり、私だけじゃ何も出来ないって事?


 刹那、脳裏にあの生意気な小猫の顔がよぎった。彼は私を見下しながら鼻を鳴らす。いつも私を小馬鹿にするふてぶてしい猫。


 そうだった、あの生意気な猫に言ってやりたいことがたくさんあるんだ。何か言いたいなら私だけ除け者にしないで直接言って、いつもひとりで勝手に決めるな、私だって一生懸命考えてるんだから馬鹿にするな――けれども、いつも私のことを考えて動いてくれてるのは知ってるし、それで何回も助けてもらった。馬鹿にしたいの? 助けたいの? 一体どっちなんだ、あの猫は!

 

 バチンッ、私は自分の頬を両手で力一杯たたいた。


「しっかりしろ私。うだうだ考えたってしょうがない、私がどうしたいかってだけだっ」


 思ったよりも頬がヒリヒリする。思い切り叩きすぎた気がするけれど、お陰で自分がやりたいことが見えてきた。

 今度は私があけぼのを助ける。「馬鹿にしてた私に助けられて今どんな気分?」って言ってやって、彼が悔しがる顔を見てやる。それぐらいしないと、ここまで一緒に来てくれたアネットやイムだって納得しないもの。


 大きく息を吸って深呼吸すると、改めてソフィーに目を向ける。

 質素な白いワンピース姿の彼女は闇に覆われた目で私を見返している。彼女は私を治療しているコンピュータだから感情なんてなくて、プログラムで決められたとおりに今もあけぼのをその体内で保護してる。電脳世界この仮想空間を管理しているのは彼女で、その彼女を解除しなければあけぼのは救えない。


 考えろ、私は自分に言い聞かせる。


 質問は一回だけ、アネットとイムのどちらかにしかできない。しかも答えは「はい」か「いいえ」でしか返ってこない。それだけでも悩むのに、上がった手が「はい」「いいえ」のどちらの意味なのか分からないのだから何を質問すればいいんだろうと思ってしまう。上げたのは右手? それって「はい」って意味? それとも「いいえ」って意味? 右手が「はい」なのはアネットなの? イムなの? それが分からない。


 アネットもイムも白目をむいて私を見ているだけで何も応えてくれない。少しでも意思の疎通が出来れば何かヒントが得られたのかもしれないけれど、ふたりの表情からはやっぱり何も分からない。ソフィーに視線を戻したけれど、白くて幽霊みたいなソフィーは何も教えてくれない。彼女たちからは何も情報をもらえないと思って考えるしかない。


 アネットとイム、「はい」の時に右手を上げるのはどちらなのか分からない。これだと「キーを持ってるのはあなたですか?」と聞いて右手が上がっても「はい」の右手なのか反対の「いいえ」の右手なのか分からない。同じ動きなのに正反対の意味を持つから。


 だったら質問を変えてみる? どちらの右手が「はい」なのか分からないんだから、それを割り出そうとするよりもっと別の、例えばキーを持っているか持っていないかという立場で考えてみるとか。

 自分がキーを持っているとして「キーを持っていますか?」と聞かれた時、右手が「はい」なら右手を上げるし、左手がそうならそちらを上げる。じゃあ、キーを持ってるのが私じゃなくてもう一人の方だったら? 私はもう一人の方がキーを持っているのを知ってるわけで、「キーを持っているか?」と聞かれても私じゃなくて相手が持ってるとしか答えられないわけで――。


命令コマンドヲ入力シテ下サイ。無反応ニヨル固定ロックマデノ時間ヲ表示シマスカ?」


 ソフィーの身体から無機質な合成音が流れる。考えてるところなんだから邪魔しないで……それよりロックの時間って?

 

「不正アクセス防止ノ為、一定時間経過後、暗号鍵キー入力プログラムハ固定ロックサレマス。固定ロックマデノ時間ヲ表示シマスカ?」


 じっくり考えてる時間もないってこと!? 私がうなずくと、目の前にポップアップメッセージのようなウインドウが現れて数字が表示された。一秒ごとに減っていく数字は「180」を下回ったところだ――ってことは、残り3分!?


 もちろんソフィーは何も応えないし、私の驚いた声で時間が増えたりもしない。

 考えろ、いま私がやるべきことは考えることなんだ。


 私はアネットとイムのどちらがキーを持っているか質問して言い当てなければならない。ということは、どちらかは必ずキーを持っていることになる。質問できるのはどちらかに1回だけ。キーを持っていてもキーを持っていなくてもそうと分かる質問。しかも、上がった手が「はい」なのか「いいえ」なのかそれも分かるような質問――あなたはキーを持っているの? と、上げた手は「はい」なの? を満たすような質問。


 視界の端で動く数字が気になって思わず見てしまう。「90」という数が目に入る。考えがまとまらないのにもう半分も時間を使ってしまった。手のひらに汗が滲むのを感じる。駄目だ、気だけが焦ってしまう。もう一度、落ち着いて考えなくちゃ。


 私は目を閉じて呼吸を整える。真っ暗になった世界にブーンという機械音だけが微かに聞こえたけれど、それもすぐに消えた。


 ぼんやりとアネットとイムが暗闇の中に浮かぶ。私が想像するふたりはいつも笑顔だ。あれだけ厳しいゲームをしてきたのに最後はいつも「よかったね」と笑ったっけ。そして渋い顔をしたあけぼのがいつも遠くから見てたっけ。


 そんな風に考えてるとあけぼのの姿も闇に浮かんだ。相変わらず生意気な顔でこっちを見てる。小猫とは思えないふてぶてしい顔、私にしか見せないとか言ってたけれど、もっと愛想良くしてくれてもいいと思う。「愛想良くしたらお前の能力が上がるのか? 俺は常に効率よく行動したい」ぐらいは平気で言い返してきそうだけれど。


「才能があるか変人かのどっちかだ」とかも言いそうだけど、それって「トリックスターの遊戯」の台詞のパクりだよね、春夏秋冬ひととせつかさの。才能がなければ変人って、何その両極端。才能を持ってない普通の人だっているのに。私みたいに持ってない人は持ってないなりに考える訳で。


 ……持ってない? 持ってない人はどう考える!?


 私の頭の中で何かが弾けた。

「トリックスターの遊戯」のあるシーンがいっぱいに広がる。それは主人公の春夏秋冬司が敵組織のボスの元に行くために挑んだデスゲームで、ふたりの門番のどちらかがボスの待つゲーム会場に通じる扉の鍵を持っていた。

 質問は1回、この時、助手の少年に言った彼女の台詞が「鍵を持つ方ばかりを考えるから見誤るんだよ。真実はその逆、持ってない方への質問と考えれば実に簡単」。それと同じなんだ。


 ――ゆっくりと目を開けると、目の前の数字は「10」を切っていた。大丈夫、いける。


「質問。キーを持っている人は――」

 

 私はイムに質問を投げかけた。


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