第17話

 アマキはシロへ視線を向ける。彼女はじっと碧菜のことを見ていた。表情は硬いが具合が悪くなったという雰囲気ではない。どちらかというと悲しそうな表情に見える。


「――てことで、これ飲んで。ついでにお菓子もサービスしちゃうぞ」

「バイト中なんだけど」

「客いないじゃん」

「さっきまでいたよ」

「へえ。ま、今は誰もいないんでしょ?」


 碧菜は言いながらテーブルに視線を向ける。そして「おお、妹ちゃん発見」と嬉しそうに呟いた。


「あれ? フジ、妹もう一人増えた?」

「違うから」


 アマキの返答に碧菜は笑う。


「あの子も客じゃないんだよね? なんか宿題してるっぽいし」

「ああ、うん。最近シロが連れて来てて……。あ、そうだ。アオってわたしよりは数学マシだったよね?」

「まあ、たしかにフジよりはマシかな。なんで?」


 怪訝そうに碧菜は首を傾げる。アマキは「うん」とクロに視線を向けた。


「悪いんだけどさ、あの子の宿題見てあげてくれない? 数学やってるみたいなんだけど、わたしが教えるよりはマシじゃん?」

「いいけど、妹ちゃんは? 頭良いんじゃないの?」


 碧菜がシロに視線を向ける。シロは彼女から目を逸らすとリュックからサングラスを取り出してかけ、再び手元の本を読み始める。


「……なぜ」


 碧菜は傷ついたような表情をアマキに向けた。


「ねえ、もしかしてわたしって嫌われてんの? だからフジ、来るなって言ってたとか?」


 アマキは「なんで嫌われんの」と笑った。


「嫌われるほどシロと関わってないでしょ」

「そうだけど。でも第一印象が悪かったとかあるじゃん?」

「へえ」

「なんだよ、その顔は」


 碧菜は嫌そうに顔をしかめた。


「意外だなぁと思って。アオ、そういうの気にするタイプだったんだ」

「……フジはわたしを無神経な馬鹿だとか思ってたわけ?」

「いやいや、そこまでは思ってないって」


 アマキは笑うと「それで? お願いできる?」と首を傾げた。碧菜は不満そうにアマキを見ていたが、やがて「いいよ」とため息を吐きながら頷いた。


「あの子、中学生?」

「うん。クロ、アオが勉強教えてくれるってさ」


 アマキが声をかけるとクロはパッと嬉しそうに笑った。


「ありがとう! アマキの友達?」

「そうだよ。アマキちゃんの親友の綾坂碧菜っていうの。アオでいいからね」


 碧菜はそう言うとクロの隣に腰掛けながら「で、君はクロっていうの?」と聞く。


「うん。黒宮だからクロ。アオは頭良いの? シロみたいになんでもわかる?」

「んー、どうかなぁ」


 碧菜は荷物を下ろしながらシロを見る。しかしシロは顔を俯かせるようにして本を読み続けていた。碧菜は苦笑する。


「まあ、少なくとも数学はアマキよりマシだから」

「そっか。じゃあ、これ教えて?」

「おお、いきなりだな? どれどれ」


 クロは本当に人見知りをしない性格のようだ。碧菜も面倒見が良いので何も問題はないだろう。それにしても、とアマキは本を読み続けるシロに視線を向けた。

 クロが言うように機嫌が悪いのか、それとも単純に碧菜に対して人見知りをしているのか。


「フジ」


 不意に名前を呼ばれてアマキは碧菜に視線を向ける。


「フジもこっち来れば? そこ微妙に遠いから話しづらいんだけど」


 アマキは苦笑する。


「さっきも言ったけどバイト中なんだってば。お金もあるから離れられないよ」

「あー、そっか。あまりにも暇そうだからつい」


 碧菜はそう言うと「じゃあ、いいか。ねえ、いまクロと話してたんだけどさ」とクロと顔を見合わせて笑う。


「いや、勉強してたんじゃないの?」

「勉強しながら話してたんだって。で、さ。今度、みんなで遊びに行こうよ」

「みんなって?」

「決まってんじゃん。わたしとフジ、それからクロとシロちゃん」


 碧菜は言ってシロへ視線を向ける。シロはゆっくりと顔を上げた。その反応が嬉しかったのか碧菜は満面の笑みで「どう、シロちゃん。行く?」とシロの顔を覗き込んだ。


「……行かない」


 シロの小さな声。碧菜は「そっかぁ」と残念そうにアマキへ視線を向けた。


「フジは? 行くでしょ?」

「んー、そうだねぇ」


 アマキは言いながらシロを見る。彼女の視線がどこを向いているのかわからないが、サングラスはアマキのいるカウンターへ向いていた。


「場所による、かな。どこ行く気? 人が多いところは行きたくない。疲れるし」

「そう言うと思った」


 碧菜は笑ったが、すぐに眉を寄せて悩み始める。


「でも夏休みだし、今はどこ行っても人多いよ?」

「はい!」


 突然クロが元気よく手を挙げた。碧菜は「はい、元気のいいクロちゃん」とクロを指差す。


「お祭りに行きたいです!」

「いやいやいや、クロ。あんた話聞いてた?」

「聞いてた。どこに行っても人多いって。だったらせめて楽しいところがいい!」

「なるほど、正論だ」


 碧菜は妙に納得した様子で頷くと「そういや来週の土曜日って花火大会じゃなかったっけ」とスマホを開いた。


「花火大会……」


 ポツリとシロの声が聞こえた。碧菜は笑みをシロに向ける。


「行く? みんなで」


 シロはわずかに首を傾げると「アマキは?」とサングラスを外した。碧菜とクロが期待した目でアマキを見てくる。アマキはそんな彼女たちを見返し、そしてシロを見た。彼女は何かを訴えるようにアマキを見つめている。


「――まあ、行ってもいいけど。夜なら少しは涼しいだろうし」

「よっしゃ! じゃあ、シロちゃんも行くよね?」

「……アマキが行くなら、行く」


 彼女は言いながら再びサングラスをかけると手元の本に向かって顔を俯かせた。碧菜は「なんだかモヤッとする反応だけど」と複雑そうな笑みを浮かべてからクロの肩を力強く叩いた。


「じゃあ、お祭り前に少しでも宿題を終わらせるぞ。クロ」

「おお!」


 クロと碧菜は息もピッタリに頷くと勉強を再開した。アマキはため息を吐くと「シロ、ほんとに大丈夫?」と彼女に声をかけた。シロは顔を上げる。


「無理しなくてもいいんだからね?」

「……アマキが行くなら、行く」


 彼女はそれきり口を閉ざしてしまった。やはりいつもと様子が違う。


 ――怒ってるのか、体調が悪いのか。何なんだろ。


 よくわからない。シロが楽しそうなときは何となくわかるようになったが、それ以外の感情の変化についてはまだ分からない。


 ――まあ、別にいいか。


 そう思うものの、どこか気になってしまうのはどうしてだろう。

 アマキは視線を碧菜に移す。彼女はクロと楽しそうに笑い合っていた。すっかり仲良くなったようだ。その様子を見てアマキはホッと息を吐いた。そして眉を寄せる。


 ――なんでホッとしてんだろ。


 胸に手をやりながら考えるが、これもまたよくわからない。

 そのときドアベルがカランッと鳴り響いた。また客が来たようだ。アマキはカウンターの中で背筋を伸ばした。

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