第24話

「フジ! 聞いて!」


 翌週の水曜日。昼休憩があと少しで終わるという頃、バタバタと教室に駆け込んできたのは碧菜だった。アマキは頬杖をついてスマホをつつきながら「なに、うるさいなぁ」と視線だけを彼女に向ける。


「いやいや、テンション低っ! なに、眠いの?」

「なんか怠くて。ご飯食べたから眠いのかな」

「子供かよ」


 碧菜は苦笑してから「いや、そんなことより新情報来たよー」とアマキの前の席に座った。


「新情報……。何の?」


 仕方なくスマホを机に置いて答える。


「決まってんじゃん。転校生だってば。さっきマッキーから聞いてきた」

「ああ、転校生」

「もー、そんな興味なさそうな顔するー」

「はいはい、ごめんごめん。で? 新情報って?」

「名前がわかりました!」

「……それだけ?」


 アマキは首を傾げる。碧菜は「それだけ」と笑顔で頷いた。


「先生も口が固いらしくて。ほら、最近は先生も大変なんじゃん? 生徒のプライバシーを洩らしたとかなんとかになったらさ」

「ああ、たしかにね。で、名前って?」


 アマキの問いに碧菜は「お?」と嬉しそうに眉を上げた。


「やっぱ気になる?」

「あー、いや。じゃあ、いいや」

「ウソ。ウソだってば! 聞いてよー、フジー」


 小さな子供のように喚く碧菜に苦笑して「わかったから早く言って。休憩終わるから」と言う。


「柊朱音っていうんだってさ」

「へー。柊……。ん、柊?」


 アマキは呟きながら眉を寄せる。どこかで聞いたことのある名字である。机を見つめながら考えていると碧菜が「どした?」と首を傾げた。


「ああ、いや。なんか柊って――」


 そのとき唐突にそれが誰の名字なのか思い出した。アマキは顔を上げると「シロの名字も柊っていうんだよね」と言った。


「そうなんだ?」

「うん。たしか、そう」


 まだ会ったばかりの頃に名前を聞いたとき、彼女は名字だけ答えてくれたのだ。


「シロちゃんって下の名前なんていうの? まさか、ほんとにシロ?」

「いや、違うっぽい」

「え。じゃあ、なんでシロ?」

「あー、それはなんかわたしの勘違いから始まったあだ名で、じつは本名知らないんだよね」

「なんだそれ」


 碧菜は笑うと「そういえば」と机に頬杖をつきながら続けた。


「シロちゃんって結局どこの学校行ってんだろね?」

「……てっきり、もう聞き出してるんだと思ってた」

「いやー、なんかタイミングを逃しちゃってさ。まだ聞いてない」

「ふうん。なんかアオ、シロに対しては慎重じゃない?」

「んー、まあ、ね」 


 碧菜は誤魔化すように笑うと「フジだって、なんで聞いてないの? シロちゃんの学校とか本名とか」と責めるように聞いてきた。


「そういう話題にならないから」

「どんな話題なんだよ、いつもは」

「んー……」


 そう言われるとよくわからない。シロとはいつもどんな会話をしているだろう。とくに実りのない会話ばかりのような気がする。


「フジって、ほんとそういうとこあるよね」

「またそれ? アオの言うそういうとこっての、全然わかんない。あー、でもそういえばシロって今学期から転校したって聞いた」

「え、マジで?」

「うん。クロが言ってたんだけど」

「……なんでシロちゃんから聞いてないの」

「シロ、二学期始まってから店に来ないんだよね。学校で疲れてるって」

「へえ。疲れてるってことは学校には行ってるんだよね?」

「うん。たぶん」

「じゃあ、転校生がシロちゃんってことはない、のか?」


 碧菜が眉を寄せる。そしてアマキをじっと見つめてきた。


「え、なに」

「フジは気にならないの?」

「何が」

「シロちゃんの名前のことだってそうだし、どこの学校行ってんのかなぁとかさ」

「……別に?」


 すると碧菜は深くため息を吐いて「そっか」と困ったように頭を掻いた。


「アオ?」


 彼女の反応の意味が理解できず、アマキは首を傾げる。彼女は立ち上がると「フジはさ、もう少しそういうとこ興味持ったほうがいいよ?」と微笑んだ。


「だから、そういうとこって?」

「友達のこと、もう少し考えてみたらってこと」


 アマキは碧菜を見つめる。そして「アオってさ」と以前から聞きたかったことを口にした。


「どこからが友達なの?」

「話してみて楽しかったら」

「それは相手の意思は関係なく?」

「関係ないでしょ。わたしにとっての友達なんだから相手がどう思ってようと」

「へえ」


 やはり碧菜の考えはアマキにはよくわからない。そう思ったとき、碧菜は「でも、まあ」と髪を掻き上げるようにして少し寂しそうに微笑んだ。


「相手にも、わたしのこと友達だって思ってもらいたいけどね。本当は」

「……そういうものなんだ?」

「そういうものなのだよ。たぶん、普通は」


 碧菜はそう言うとアマキの頭をポンポンと叩いた。見上げた彼女は、まるで幼い子を見守るような優しい目をアマキに向けている。その表情はいつもの彼女らしくない。


「アオ……?」


 そのとき、昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。碧菜は「転校生については引き続き調査するからね」と笑って自分の席へ戻っていく。

 アマキは次の授業の教科書を出しながら怪訝に思う。最近の碧菜はどこか変な感じがするのだ。一年の時はアマキを振り回すような行動が多かったのに、最近はまるでアマキのことを気遣うような素振りをみせる。休憩時間も、なぜかアマキと一緒に行動する時間が多くなった。

 昼食だってそうだ。アマキを自分の友人の元へ誘うことはよくあったが、最近は碧菜がアマキの席で食べることが多い。

 気まぐれだろうか。それとも、他に何か理由でもあるのか。


 ――まあ、いいや。


 アマキは少し考えてから深く息を吐き出す。さっきよりも身体の怠さが増してきたような気がする。眠いというわけでもない。ただ全身が怠い。アマキは机に置いた両腕の上にゆっくり顔を伏せると目を閉じた。こうしていると少しは楽になる気がする。

 教室が静かになり、授業が始まったようだが身体を起こす気になれない。耳から聞こえる音がなんとなく遠く感じられる。誰かがアマキの名を呼んでいる気がするが、それが誰の声なのかもわからない。


「――天鬼さん。大丈夫ですか?」


 すぐ近くでそんな声が聞こえ、アマキはぼんやりとする意識のまま目を開けた。


「すごく顔色が悪いですが」


 声と共に腰を屈めてアマキの顔を覗き込んできたのは担任だった。そういえば五限の授業は担任が受け持つ現国だったような気がする。アマキは小さく息を吐くと身体を起こした。


「――すみません。大丈夫です」

「そうは見えませんよ?」


 担任はそう言って微笑むと「綾坂さん」と碧菜の名を呼んだ。


「あなたの言う通り天鬼さん、具合が悪いみたいです。保健室に連れて行ってあげてくれますか?」

「はーい」


 碧菜の声にアマキは彼女の方へ顔を向ける。席を立った碧菜は近くまで来ると、アマキの腕をグイッと掴んで自分の肩に回した。


「え、なに?」


 突然のことに戸惑うアマキに碧菜は「いいから。ほら、立って」と小さく声をかけた。言われた通り足に力を入れる。しかし思ったように力が入らない。碧菜の支えがなければ立ち上がれなかっただろう。そこでようやくアマキは自分が体調不良であることに気がついた。


「じゃ、保健室行ってきまーす」


 碧菜はいつものような軽い口調で言ったが、その声のトーンはいつもとは違い、低かった。

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