第15話

 そして土曜日。アマキはいつものように店を開店させるとカウンターの中でぼんやりと雑誌を眺めていた。

 試験も無事に乗り切ることができ、あとは夏休みを待つばかり。長かった梅雨もようやく明けて気持ちも晴れやかだ。ようやくシロとの約束を果たせそうである。


「竹とんぼ、まだ飛ばしたいかな」


 さすがにもう飽きているのではないかと思ったりもするが、念のために竹とんぼを飛ばせるような広い公園を探しておこう。

 そんなことを考えているとカランと涼やかにドアベルが鳴った。アマキは顔を上げ、そして首を傾げる。


「へー、ここが古本屋? なんか辛気くさい感じ」


 聞き慣れない声が静かだった店内に響く。


「うるさい、クロ」


 低い声はシロのものだ。


「……クロ?」


 思わずアマキが呟いたとき、通路からひょっこりと見知らぬ少女が顔を覗かせた。シロよりも幼く見える彼女はポニーテールにした髪を揺らしながら「あ! これがアマキ?」とアマキを指差した。


「クロ、人を指差したらダメ」


 彼女の後ろから現れたシロはそう言うと少女の腕を引っ張った。


「大人しくしてるって言ったよね?」

「言った言った。大人しくしてるよ。で、これがアマキ?」


 シロはため息を吐くと「そう」と頷き、アマキへ視線を向けた。


「えーと、シロ。誰? この子」

「シロ? へー、ほんとにシロって呼ばれてるんだ! すごい。なんかわたしたち姉妹みたいじゃない? ね、シロ。わたしもシロって呼んでもいい?」

「うるさい、クロ。黙って大人しくそこに座ってて」

「はーい」


 少女は素直に頷くと、いつものシロの席に座った。シロは彼女が席に着くのを確認してから「うるさくてごめん、アマキ」と謝った。


「いや、別にいいけど」


 アマキは言いながら少女を見る。彼女はアマキを見ると満面の笑みを返してきた。


「えーと、シロの友達?」

「友達……?」


 シロはなぜか首を傾げる。そして「それはよくわからないけど、あれはクロ」と少女を指差した。その瞬間、クロが不満そうに頬を膨らませる。


「人を指差しちゃダメってシロが言ったのに!」

「うるさい」

「ひどい」

「……で、えーと、友達なんだね?」


 アマキの問いにシロはやはり首を捻った。


「クロは二年前、隣に越してきた子。よく家に上がり込んでくるし勝手についてくるから好きにさせてるだけで友達ではない、ような気がする」

「……そうなんだ」

「ちなみにクロは中学二年。わたしの方が年上だから」


 シロは自分が中学生と思われていたことを根に持っているのか、強めの口調でそう言った。アマキは苦笑する。


「わかった、わかった。その件はごめんってば。で、クロっていうのは彼女の色なわけ?」

「ううん。名前が黒宮だからクロと呼べって本人に言われただけ。あの子は灰色っぽい」

「灰色……」

「うん。灰色」


 そう言ったシロは、なぜか少しだけ悲しそうな表情を見せた。そういえばシロはサングラスをしていない。ということは、彼女の色はあまり変わらないということなのだろうか。それとも少人数が相手ならば我慢もできるということなのか。


「シロー、まだー? 早く勉強教えてよ」


 待ちくたびれたのか、クロが机を軽く叩いている。


「勉強?」

「うん。クロ、試験で赤点とったらしくて補習課題があるんだって。だから教えてくれって」

「へえ」


 アマキはシロを見つめる。彼女は不思議そうに首を傾げると「アマキも赤点だった?」と言った。


「いや、大丈夫。シロのおかげでセーフだった。余裕でセーフ」

「そう。さすがはアマキ。やるときはやるね」


 シロは微笑むとテーブルへ移動し、クロの隣に座った。


「よーし、じゃあしっかり教えるように」

「……そんな偉そうな奴には教えてあげない」

「ウソです。ごめんなさい。教えてください」


 間髪入れずにクロはそう言うとシロに向かって深く頭を下げた。

 コロコロとよく表情が変わる子である。アマキはカウンターの中で頬杖をつきながら二人のやりとりを眺める。やがてクロは課題なのだろうプリントをシロと一緒に解き始めた。

 並んで座る二人はどちらも小柄で体型的には大差ない。クロは年相応。シロが年齢よりも幼いだけか。それでもシロの雰囲気はクロよりも大人びていた。わからないと連発するクロに、シロは根気よく解き方を教えていた。そしてクロが自力で問題を解くことができたときには笑みを向けて褒めたりもしている。勉強の合間に雑談をして笑い合うことすらあった。


「――いるんじゃん。友達」


 頬杖をついたまま口の中で呟く。そのとき脳裏にマサノリの言葉が蘇った。シロには可哀想なくらい友達がいない。そう彼は言っていたのに。


 ――ウソじゃん。


 シロがクロのことをどういう存在として捉えているのかはわからない。しかし、少なくともクロはシロのことを友達と思っているだろう。彼女がシロへ向ける表情は、碧菜が友人に向ける表情と同じなのだから。そしてシロがクロに向ける表情もまた同じように見える。シロはアマキが見たこともない、優しい表情をしていた。

 アマキは頬杖をやめると、さきほどまで読んでいた雑誌に視線を向けた。それはキャンプ場や公園などが特集されている雑誌。こういう広い場所であれば人も密集していないし、シロも楽しめるのではないか。そう思って眺めていた雑誌。


 ――別に、わたしと行く必要もないか。


 むしろクロと一緒に行ったほうが楽しめるかもしれない。自分は人と遊ぶことが得意ではないから。

 クロの楽しそうな笑い声が響いた。シロはそんな彼女に困ったような笑みを向けている。それはアマキが見たことのないシロの表情。きっと、心を許した相手にしか見せない表情。

 アマキは二人から視線を逸らすと雑誌を閉じた。

 なんだか胸がモヤモヤする。二人の声を聞くと嫌な気持ちになってくるのはなぜだろう。よくわからない。ただ少しだけイラついてしまう。

 アマキはイヤホンを耳につけるとスマホで音楽を流した。そして二人の姿を見ないように、曲名が表示されたスマホの画面をただ眺め続ける。聞き慣れた音楽だけが頭に流れ込んでくる。余計な声は聞こえない。

 少しだけ、気持ちが楽になった気がした。


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