第14話

 月曜日、無事に試験を終えたアマキが下校の準備をしていると「フジー!」と鞄を抱えた碧菜が飛びつくようにやってきた。


「どうよ? 今回の数学の出来は。いや、待って。言わなくてもいい。分かってるから。フジは今回もまた赤点ギリを狙ってるとみたね」

「いや、今回もってなんだよ。てか、別にいつも赤点ギリを狙ってるわけじゃないから。それに今回はかなり自信あるし」


 アマキは余裕の笑みを見せながら鞄を持って立ち上がる。碧菜は「へえ?」と意外そうに眉を上げた。


「なに、その謎の自信。初めて見るんだけど。試験の後でそんな余裕な表情を浮かべるフジ」


 アマキと一緒に教室を出ながら碧菜は訝しげに首を捻る。


「実は、今回はけっこう勉強したんだよね」

「いや、いつも勉強はしてんじゃん。それであの点数でしょ? フジは」


 アマキはムッと頬を膨らませて「そうなんだけど、そうまっすぐに事実を突きつけられるとちょっとイラッとする」と碧菜を横目で睨んだ。彼女は悪びれもせず笑いながら「ごめん、ごめん」と片手をヒラヒラさせながら謝る。


「それで? なんで今回は自信があるわけ?」


 アマキは視線を廊下の先へ向けながら「シロに教えてもらったんだよね」と答えた。


「シロ……。妹ちゃん?」

「いや、だから」

「はいはい、覚えてますよー。バイト先の常連さんの娘さんね。てか、あの子って中学生じゃないの?」

「いやー、わたしもそう思ってたんだけど違ったんだよね。土曜日に発覚。びっくりしたよ。なんと、同い年だったの」

「タメ? マジで?」


 碧菜は目を丸くして驚いている。アマキは笑いながら「マジで」と頷く。


「しかも、めっちゃ頭良いの。数学なんか教科書読んでたらできるでしょみたいな感じでさ。いやー、ほんとびっくりした」

「マジかぁ。それでバイト中に勉強教えてもらってたの?」

「そうそう。教えるのも、わりと上手くてさぁ」

「仕事しろよ」


 思わぬ碧菜のまともなツッコミにアマキは声を上げて笑う。


「たしかに、この土日は全然仕事しなかったわ。まあ、いつも仕事らしい仕事はないんだけど」

「いや、何なの? そのバイト、めっちゃ羨ましいんだけど。わたしも紹介して?」

「残念。募集は締め切られております」

「マジかぁ」


 碧菜は心から残念そうに肩を落とした。しかし、すぐに笑みを浮かべて顔を上げる。


「でもあの子、タメだったのかぁ。すごい意外。どこの学校?」

「え、さあ?」

「さあって……。普通、聞かない?」

「聞かなかったなぁ」


 昇降口で靴に履き替えながらアマキは呟くように言う。まったくそういう考えが浮かばなかった。別に彼女がどこの学校に通っていようが、何か変わるわけでもない。しかし、どうやら碧菜にとってはそれは重要なことであるようだった。


「いや、普通は聞くって。気になるじゃん? 友達がどこの学校行ってるのかとかさ」


 先に靴を履いた彼女はブレザーのポケットに両手を突っ込んで理解できないというように眉を寄せる。


「んー、そういうもん?」

「そういうもんでしょ」

「友達ねえ……。友達、なのかなぁ」

「え、引っかかってるとこってそこ?」

「んー、まあ」


 校舎を出ようとした時、碧菜が「あ! ナベ!」と突然声を上げた。振り返ると、背の高い男子生徒数人が何かを抱えて廊下を歩いて行くところだった。


「部活? あれ、でも試験期間中なのに部活やってもいいの?」

「部室の片付け。部活ない日にやっとかねえといつまでも片付かないってマネージャーがうるさいから」

「ああ、なるほど納得。では、しっかり綺麗にするように」

「なんでお前が偉そうなんだよ」


 ナベは顔をしかめながら、ふとアマキに目を向ける。しかしすぐに視線を逸らすと「じゃあな」と碧菜に言って去って行った。


「あれって誰だっけ? すごい見たことある」

「いやいや、なんで忘れんのよ。祭りのとき会ったでしょうが。ナベだよ、ナベ。バスケ部の」

「……ああ。スポドリの人か」


 すると碧菜が吹き出すようにして笑った。


「どういう覚え方してんの」

「いや、だってくれたから。お祭りのとき」

「そうだけど。てか、前から思ってたけどアレだよね? フジって、人の顔とか覚えるの苦手だよね」

「あー、たしかにそうかも」


 アマキは苦笑する。


「アオはめっちゃ覚えるよね? 顔も名前も」

「当然でしょ。一回会ったら友達じゃん?」

「ふうん……」


 その感覚はイマイチ理解できない。友達という定義も人によって違うのだろうか。そんなことを考えながら校舎を出る。

 登校時には降っていた雨も今は小康状態のようだ。ただし、ぬかるんだ校庭がスニーカーを容赦なく汚していく。


「ねえ、フジ」

「んー?」


 足元に視線を向けながら返事をすると、碧菜は「次のバイトっていつ?」と珍しいことを聞いてきた。思わず顔を上げた瞬間、水たまりに踏み込んでしまい、アマキは悲鳴を上げてその場から飛び退いた。その様子を面白そうに碧菜が笑う。


「いやいや、なにやってんの? 今の動き超ウケるんだけど」

「あんたが珍しいこと聞いてくるから……。うっわ、最悪。靴ドロッドロになった」

「ご愁傷様。で、いつ?」

「なにが」

「だから、バイト」

「ああ、今週は土曜だけだけど。なんで?」


 つま先を地面にトントンと叩きつけ、なんとか泥を落とそうと試みながらアマキは碧菜に問う。すると彼女は「行こっかなと思って」とニッと笑った。


「は? なんで」


 アマキは顔を上げて思い切り眉を寄せる。


「いや、なにその反応。ダメなの? わたしは客だよ、客」

「いやいや。絶対何も買わないし売らないでしょ。何が目的よ?」


 言うと彼女は「バレたか」と苦笑した。そして並んで歩き出しながら「妹ちゃんに会いたいなぁって」と続けた。


「妹じゃない……。って、シロに会いたいの?」

「うん。さっきの話で興味沸いたからさ。前にちょろっと会ったときも思ったけど、あの子ってなんか雰囲気あるじゃん? しかもめっちゃ頭良いんでしょ? 仲良くなって損はないじゃん。どこの学校なのかも知りたいし。というか、単純に話してみたい。だから行ってもいい?」

「んー」


 アマキは歩きながら考える。良いも悪いも、碧菜の行動をアマキが決めるものではないだろう。しかし、彼女の目的がシロだというのなら少し考えた方がいいかもしれない。マサノリは言っていた。シロには友達がいないのだと。それは十中八九、彼女が見ている世界のせいなのだろう。人の色に酔ってしまうから。そしてそのせいで、おそらく彼女は人との接し方が上手ではない。

 考えながらアマキは碧菜を横目で見た。

 碧菜はきっと遠慮なくシロに話しかけるだろう。いつものように。そうしたらシロはどう反応するだろうか。碧菜は見た目は派手だが雰囲気的には話しやすい。アマキと話すように、シロも彼女とならすぐにお喋りできるようになるかもしれない。


 ――仲良く、二人で。


 シロと碧菜が楽しそうに談笑している姿を想像しながらアマキは自然と胸に手を当てていた。なんだか少しだけ胸の辺りがモヤッとする。


「フジ? 行ってもいい?」


 碧菜の声にアマキはハッとして彼女を見た。そして誤魔化すように笑う。


「ごめん。今回は遠慮してよ」

「えー、なんで?」

「シロ、来るかどうかわかんないし。それにあの子、人見知り激しくてさ。いきなりアオみたいなの連れて行くとびっくりすると思うし」

「なに、わたしみたいなのって……。ま、いいや。じゃ、その次のバイトの日に行くから妹ちゃんに来るよう言っといてよ」

「いやだから、妹じゃないってば」

「よろしく!」


 彼女はそう言うと「じゃ、また明日!」と言い残して突然走り出した。どうしたのかと思ったが、どうやら前方に友人を見つけたようだ。彼女は飛びつくようにその友人に追いつくと、そのまま一緒に帰り始める。

 碧菜の行動は唐突すぎてよくわからない。いや、よくわからないのは彼女の人間関係に対する感覚もだ。

 一度会えば友達だと碧菜は言う。その友達とは、彼女にとってどういう存在なのだろう。きっと彼女の言う友達はアマキにとってはただの顔見知り程度の存在だ。ではアマキにとって碧菜はどういう存在なのかと考えてみると、それもよくわからない。友達、とは違うような気がする。しかし顔見知りよりは近い存在。


「……クラスメイト、か?」


 呟いてみるものの、やはりよくわからない。

 小学生の頃までは自分も碧菜と同じだったような気がする。話して仲良くなれば友達。そんな風に疑いもせず思っていた気がする。だが今はもう、そんな単純には思えない。どうしても考えてしまう。

 どこからが友達なのか。

 どこまでが友達ではないのか。

 その正解がどこにあるのかも、わからない。


「まあ、いいか」


 別に何か困ることがあるわけでもない。ただ少し気になっただけだ。他人が思う友達という存在がどういうものなのか。ただ、それだけのこと。

 アマキは浅く息を吐くと、ゆっくり歩きながら空を見上げた。どんよりとした雲は再び雨を降らそうとしているようだった。

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